職員が逃げる秋篠宮家 “傘事件”でまたひとり…人手不足が慢性化

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発端は「ブータン旅行」

 宮務官の定員は本来10人のところ、

「直前で辞退者が出たこともあり、5月の発足時は定員以下の8人でスタートしています。その後も女性宮務官が体調を崩して休職したり、昨年暮れには都内の学校法人から出向していた別の女性宮務官が急に辞め、代わりに皇嗣職で事務の補佐を務めていた男性が充てられるなど、わずか半年ほどで顔ぶれは目まぐるしく入れ替わってきました」(同)

 その中には、こんな事例もあった。

「警察庁から出向していた30代の男性宮務官が、今年1月24日付で依願免職となっています。東大法学部出身の彼はキャリア官僚として嘱望され、昨年5月に送り込まれたのですが、夏を迎える頃、ブータン旅行の打ち合わせに際し、秋篠宮殿下のご不興を買ってしまったのです」(同)

 ご夫妻と悠仁さまは8月にブータンへ私的旅行をなさっているのだが、

「現地にはこの男性が随行する予定になっていました。ところが直前に殿下から『それには及ばない』と遠ざけられてしまい、実際に側近である宮務官は誰一人随行しませんでした。一方で、殿下と親しい人類学者が一行の“団長”として旅程を取りまとめるなど、前代未聞のご訪問となった。私的旅行とはいえ、例えば平成の時代の侍従職や旧東宮職において、侍従や女官が旅先に同行しないケースなどあり得なかったのです」(同)

 さらに、こう明かすのだ。

「10月22日、即位礼正殿の儀に先立ち、午前中に皇居内で『即位礼当日賢所大前の儀』が執り行われていました。雨の降る中、両陛下の拝礼が終わったのち、秋篠宮殿下をはじめ妃殿下や他の皇族方も続いて宮中三殿の賢所に入られたのですが、殿下はその際、差していた傘をたたまれ、脇に控えていたこの警察庁出身の宮務官らに、まるでボールを投げるかのように無造作にお渡しになったのです」

 虚を衝かれた宮務官らは傘を落としかけ、慌てて掴む場面が目撃されている。

「その間、殿下は一貫して険しい表情で、この男性と目を合わせようともなさりませんでした」(同)

 こうしたことで心労が祟ったのか、先述の通り彼は1月末、職を離れるに至った。まさに傷心の末の辞表提出だったのだ。そして、先の宮内庁関係者によれば、

「欠員を埋めるべく、すぐに同じ警察庁から男性が出向してきました。ですがキャリアの前任者とは異なり、後任は準キャリア(旧国家II種合格)の幹部。そもそも霞が関では、皇嗣職の仕事の厳しさはつとに知られており、どの省庁も手を挙げたがらない。事務職員などは現在、地方自治体から人をかき集めているのが現状です。警察庁は今回、有能なキャリアを失意のまま古巣へ戻されてしまった格好で、後任にキャリアを差し出さなかったのは“今後は考えさせてもらう”という通告であると、宮内庁内では受け止められています」

 警察庁に尋ねると、

「お尋ねの職員は本年1月から当庁暴力団対策課理事官として勤務しておりますが、個別人事異動の理由についてはお答えを差し控えさせて頂きます」(広報室)

 というのだが……。

週刊新潮 2020年3月26日号掲載

特集「職員が逃げる『秋篠宮家』の黄昏」より

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