人間・ムヒカのさまざまな側面を描き出す
2012年6月20日、ブラジル・リオデジャネイロ。この日から3日間の日程で「国連持続可能な開発会議(RIO+20)」が開催された。188カ国3オブザーバーの97名の首脳と、多数の閣僚級を含む約3万人が参加した、最大級の国際会議だった。
その日最後に登壇したのは、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領(当時)だった。席もまばらな会議場で始まった、10分ほどのスピーチ。
だがその内容は、世界にはびこる行き過ぎた「消費至上主義」に対する批判、“発展イコール幸福”という「観念」の否定、今人類に突き付けられている環境や貧困などの問題は政治が解決するべきだ、といった刺激的な内容に満ち満ちていた。
かつて反政府運動の闘士として活動し、政治犯として13年にわたって全国の刑務所をたらい回しにされたムヒカ。解放後は国会議員や閣僚を経て2010年に大統領に就任したが、豪華な公邸に住むことをせず、暇を見つけては自らトラクターを運転して農作業に精を出し、大統領給与の90%を寄付するといった質素な生活をしていることから、就任当時から「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれていたムヒカ。ところがこのスピーチが世界で報道されて以来、世界の彼を見る目は大きく変わった。
1954年に旧ユーゴスラビアで生まれ、『パパは出張中!』(1985年)と『アンダーグラウンド』(1995年)で2度、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した名匠エミール・クストリッツァ監督も、その1人だ。
「何年も前に、フランスにいた時、誰かがトラクターを運転する大統領がいる、と教えてくれたんだ。その写真を見て『次はこの映画を撮る』と決めた」
という監督が、任期の終盤から退任式までのムヒカに密着したドキュメンタリー映画『世界でいちばん貧しい大統領 愛と逃走の男、ホセ・ムヒカ』が、3月27日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開される(アルバトロス・フィルム配給)。
美しいタンゴの調べをバックに、人間・ムヒカのさまざまな側面を描き出したクストリッツァ監督に、レンズを通して何が見えたのか、本作が何を描き出したのかについて聞いた。
退任式に凝縮された人間性
――本作の原題は『El Pepe:A Supreme Life』(Pepeはムヒカの愛称)ですが、邦題にもあるように、「世界でいちばん貧しい大統領」がムヒカの代名詞として定着しています。実際にムヒカと接してみて、この「貧しい」という言葉についてどう感じていますか。
私たちが考える「貧しい」は、彼にとってはたぶん当たらない。間違ったものだと思います。
彼の言う「貧しい」は、決して金銭的なことを指しているのではありません。身近に接していて感じたのですが、彼はマインドが豊かか貧しいか、つまりメンタルな部分で計っているのだと思います。彼はそういう人です。
――確かに2012年のスピーチでも、ムヒカはセネカやエピクロス、アイマラ族(南米の先住民族)の言葉を引用する形で、
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
と、心の重要性を説いていますね。
ぼくもそうでしたが、アメリカ的な生き方をみんな模倣しているわけです。何かの物のために生きる、いろんな物をたくさん持つことが幸せだ、という生き方ですね。
ところがこの映画を作る中で彼の姿を見ることができたのは、ぼくにとってとても光栄でした。それは、いろんな物を持つことが幸せということではないんだ、ということを常に見せてくれたからです。むしろ彼のような人こそが、自然と対話できたりするんです。
今、世界の政治家を見ても、権力を手にするとそれを悪い形で使う人が多いわけですが、彼は一切そういうことがなかった。
ウルグアイは、人口が約300万人で牛の数が800万から1000万頭という発展途上国です。その国を率いていく中で、非常に聡明でありつつ、一方で妥協する心の準備もできていた。彼はそういう人なんです。
19世紀から20世紀にかけて、いろんな国や地域が社会主義の理想を求め、結局はうまくいきませんでした。たぶんですが、世界で唯一社会主義的な成功を収めたのが、ムヒカ大統領時代のウルグアイだったのではないかと考えています。そのくらい国民は、社会主義的な生活のスタンダードを共有していました。
それはおそらく彼が、矜持といったもの――社会主義と言ってもいいかもしれません――を失うことなく、しかし状況に合わせていく力を持っていたからできたことなのかもしれません。
ぼくがこの作品をまとめた時に一番達成感が大きかったのが、彼の生き方、人生というものを、大統領としての最後の日に凝縮できたことですね。それを枠組みにして、すべてを描くことができたことです。
だって彼の退任の日、10万人もの人々が泣きながら彼の名前――愛称の“ペペ”を呼んでいるというような光景を、他の政治家で見たことがありますか? ないですよね。明らかに彼らによって選ばれ、彼らにそこまで惜しまれるという人物はとてもユニークだと思うし、そんな彼の最後の日を枠組みに、彼の深い人間性を描くことができたのではないか、と自負しています。
内面をコントロール
――ムヒカ前大統領はもちろん有名人ですから、彼の柔らかい笑顔や丸い雰囲気などは、よく知られているわけです。
ところが映画の中で、反ムヒカの市民とかなり激しくやり合うシーンがありました。これが、実はとても印象的だったんです。常に笑顔を絶やさないムヒカの、別の一面を見ることができたという思いがしました。
そうしたムヒカの柔らかさと激しさは、密着取材を続ける中で違和感なく共存していたのでしょうか。また、それを作品の中でうまく表現できたと考えているでしょうか。
ぼくは、人間が持つことのできる最もパワフルな道具とは、自分の苛烈な内面をうまくコントロールすることのできるキャパシティなのではないか、と思っています。
彼について書かれた本はずいぶん読みましたが、すごく面白いなと思ったのは、彼は刑務所や軍事刑務所などでの経験が豊富なわけですが、彼はそういう中でもずっとリスペクトされ続けていた、ということでした。
看守の中には、囚人を虐待するような人もいたようですが、彼らも唯一手を出さなかったのがムヒカだったのだそうです。
しかし、そういうことを話したがらないのが彼なんですね。かつては銀行強盗もしたし、警察に撃たれて重傷を負ったり、脱獄したりしたわけですが、そういうこともあまり話したりはしません。
でも10年15年経てば、こうした過去の活動がウルグアイという国の大義のため、国民みんなのためにやったことなのだと認められることを、彼はあらかじめ知っていたかのように振る舞っているんですね。
1973年にウルグアイに軍事政権――これは最悪な社会構造ですが――が誕生し、85年に民政に移管するまでの間、彼はずっと獄中にいたのですが、そのせいで戦えなかったことを、彼は結果的に喜んでいたように思います。そういうところが、彼のオリジナルでユニークな部分だと思いますね。
これだけの偉大な人物は、外の世界に対してどこか物議を醸しだすような感情というものを持っていると思うんです。
でも彼はそんな感情を、自分の哲学や知性というものを持つことで、あるいは自分の原点に戻ることによって、自分の激しい側面をミニマルに収めることができたのだろうと思います。その原点とは、国のために、国民のためにという気持ちですね。
だから苛烈な部分はもちろんありますが、それを抑える力も持っていて、それをコントロールしているのだと思うし、作品の中でも表現できていると思います。