宮内義彦(オリックス シニア・チェアマン)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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 言わずと知れた「ミスター規制改革」である。歴代政権のもと、十数年にわたってさまざまな規制の撤廃を主導してきたが、意外にも「達成感はない」のだという。その宮内氏から現在の日本はどのように見えているのか。いまからでもすべき改革は何か。平成を代表する経済人の提言。

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佐藤 宮内さんは、社員13人で始めたベンチャー企業オリックス(旧オリエント・リース)を、世界37カ国、3万人を超える巨大グループに発展させました。その一方で、宮内さんと言えば、やっぱり「規制改革」です。

宮内 皆さん、そういう印象をお持ちですが、私は十数年、政府の規制改革会議に携わってきて、実のところ達成感はないんですよ。

佐藤 それは意外です。

宮内 さまざまな分野、いろいろな業種で規制改革を提言してきましたが、最後は岩盤規制と言われる部分で止まってしまった。日本は硬い国だなぁ、と思いますね。規制なんてものは、前向きに作られたのではなく、過去の経験に基づいて決められたものです。ところが世の中はどんどん変わっていきますから、規制を作ってもすぐ陳腐化していく。それなのに日本の場合は、後で変えられないほどに、硬く硬く制度を作ってしまいます。これでは人が生活しやすい社会にはなりませんよ。

佐藤 ソ連時代のモスクワにいたとき、それを嫌というほど体感しました。大使館の同僚が結婚式をやるので、丸くて白いウエディングケーキを買おうとしたのですが、どこにも売っていない。国がケーキのレシピを作って管理しているからです。

宮内 そうなんですか。

佐藤 モスクワでもサンクトペテルブルクでもウラジオストックでも、同じレシピです。丸いものはプラハ風のチョコレートケーキで、白いのはメレンゲの四角いケーキしかない。

宮内 白く丸いケーキ自体がないわけですね。

佐藤 ええ。また飲み物は全部値段が決まっているし、モノには商品に値段が刷り込んであります。それ以外の値段で売ると投機行為罪になる。

宮内 それは大変だ。

佐藤 規則が隅々まで行き届いた結果、どうなったか。ソ連崩壊前夜の1991年8月19日から21日、ロシア政府のホワイトハウスを戦車が取り巻いているとき、2キロ離れたソ連共産党中央委員会では、幹部職員が深夜まで、いつもと同じように普通に仕事をしていました。規制が積み重なり、官僚制がとことんまで行くと、社会は硬直化し、このように滅んでいくのだと思いました。

宮内 ソ連の最期はそんな状態だったんですか。

佐藤 そうでした。これを見て、私は官僚機構の中でも、はっきり物を言うようになりましたね。

宮内 私の場合、そもそも権威とか制度を、あまり信用していない世代なんです。戦争が終わったとき小学4年生でしたから、空襲も知っています。爆撃で命を落としたり、お腹を減らして死んでいったり、そうしたことを見てきた。そして8月までは天皇陛下万歳だったのが、ひと月でマッカーサーの時代に変わったわけです。それは、子供心に非常に違和感がありました。

佐藤 歴史には、あっという間に、価値の転換が起きてしまうことがあります。

宮内 わずか1カ月で権威が崩れてしまった。だから私の世代は、わりと権威とか規制には疑い深いのです。

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