【ブックハンティング】グローバルな「成長なき時代」をどう理解するか

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 本作『国家・企業・通貨』著者の岩村充氏は、日本と世界の金融のあり方を透徹した視点で考察し、そこで練られたアイディアを実践してきた日本人の1人である。

 私が彼の著作に初めて出会ったのは、2000年に公刊された『サイバーエコノミー』(東洋経済新報社)であった。その著作では、すでに非対称暗号の議論を提起し、暗号技術が金融の中核となっていくことが明解に論じられていた。暗号通貨が「流行」してから後に議論を追っかけ始めた私のようなものとは、年季の入り方が違うのである。そんな著者が、国家、企業、通貨を語るのであるから、面白くないはずがない。

 本書は、すでに新潮選書から公刊された『貨幣進化論』『中央銀行が終わる日』に続く第3部にあたる。これらの3部作では、いずれも「成長なき時代」の金融、とりわけ通貨のありようを論じ、論点を深化させてきた。

 しかし本書では、金融・通貨に国家と企業を加えることで、議論をより高い次元に発展させている。

 第1章「それらは19世紀に出そろった」は、本書の主役たち、すなわち国民国家、株式会社、そして中央銀行が19世紀に出そろった経緯が、読者の興味を引き続ける筆致で描かれている。

 章のタイトルだけを読んで、「中央銀行の登場は、イングランド銀行にしても、仏王立銀行にしても、17世紀末から18世紀初頭じゃないか」と首をかしげる読者にも納得してもらえるように、仏王立銀行の創始に関わったジョン・ローの物語も巧みに語られている。

 ただ、すべての主役が世界各国で出そろったのは、確かに19世紀であった。日本銀行が日清戦争で得た賠償金を原資に金本位制を打ち立てたのは、19世紀も終わろうとしていた頃であった。

「グローバル企業」に頭を垂れた「国家」

 第2章から第3章は、国家と中央銀行に率いられて企業が経済成長を謳歌した20世紀が終わるとともに「成長なき時代」に突入し、3つの主役の位置関係が大きく変わっていくことが論じられている。

 20世紀末より中央銀行を苦しめたのは、自然利子率の低下という事態であった。

 自然利子率は、非常に難しい概念である。私のような説明下手の教師は、

「物価が安定する金利水準」

 というように説明して、学生諸君をいっそう困らせてしまうが、著者は、大変に巧みである。「現在のモノ」と「将来のモノ」との交換レートだというのである。

 確かに、これは分かりやすい。経済が成長しているときであれば、「現在のモノ」が、より多くの「将来のモノ」と交換されて、自然利子率が高い。ところが経済が低成長に突入すると、自然利子率も低下し、マイナス成長になれば、自然利子率も負になる。

 中央銀行は、低成長時代になっても、金利水準を自然利子率よりも低めに誘導して経済成長を促そうとする。しかし、いくら金利を低めにするといっても、一応、ゼロが下限となって、それ以上になすすべがなくなる。すると、どこの国の中央銀行も、低成長の責任を一手に背負わされてしまう。

 かといって、無理に金利水準をマイナスにすると、今度は、預金者から猛反発を食らう。このようにして、中央銀行はかつての栄光を失っていく。

 国家と企業の関係も逆転してしまった。成長の20世紀は、国家の保護のもとに企業の活動があった。かといって、国家と企業が蜜月ばかりとはいかず、たとえば、独占力の高い企業は、国家によって解体されることもしばしばであった。

 ところが、「成長なき時代」に突入するやいなや、国家は、グローバルに活躍している企業に頭を垂れ始めたのである。国家は、有力な企業を自国に誘致するために法人税を引き下げ、労働市場などの規制緩和を大胆に進めてきた。あまり世上で指摘されていないことであるが、著者は、法人税減税の財源となった消費税増税が、労働所得への課税強化であることを鋭く指摘する。確かに、消費税の対象である付加価値は、企業収益よりも雇用者報酬の方がそのウェートがはるかに高い。

活用されてしまう「個人情報」

 デジタル企業が人々を支配していく様を描いた第4章「人々の心に入り込む企業たち」は、本書の中でも白眉の章であろう。著者は、GAFAと呼ばれる巨大デジタル企業のなかでも、「グーグル」と「フェイスブック」に注目している。

 これら2つの企業は、これまでとは全く異なる形で消費者と取引をしている。彼らは、価値ある個人情報を利用者から巧みに集めると同時に、利用者に「快適さ」を提供するシステムを構築してきた。

 たとえばグーグルは、利用者が日々打ち込んだ検索項目から利用者の嗜好や趣味を察知し、利用者が快適と思う検索情報を提供していく。その間、グーグルは、経済的に有用な個人情報を蓄積していく。

 フェイスブックは、利用者が入力したメッセージを蓄積し、似通った思考や信条を持つ人々がひとつの「繭」の中に集まるように巧みに誘導していく。「繭」の中に集った人々は、そこで盛んに交換されている情報が真実であるかではなく、自分の思想信条や趣味に合致していることに心地良さや快適さを感じていく。

 そんな「繭」を無数に組織するフェイスブックは、マーケティングや選挙運動にとんでもなく有用な情報を手中に収めていることになる。

 グーグルにしても、フェイスブックにしても、そこで交換されている個人情報は法的な保護を受けそうであるが、これまでの「自分に関する情報をコントロールする権利」というプライバシー権では埒が明かない。

 というのは、従来のプライバシー権は、1人の個人に属している情報を対象としているが、新しい個人情報の交換は、複数の個人間の関係において位置付けられるからこそ価値ある情報となっているからである。

 著者は、「芝麻(ごま)信用」という中国の個人信用格付け会社の例をあげている。「芝麻信用」はどうも、その親会社「アリババ」が有する個人間送金の情報を活用して、個人の取引関係から個人信用を評価しているというのである。

 今、経済産業省が推進しているフィンテックも、個人間の決済情報の活用を目指しているという意味では、芝麻信用がやっていることとそれほど変わらないとして、著者は警鐘を鳴らす。

経済格差を演出した「中央銀行」

 第5章「漂流する通貨たち」では、企業に歩み寄りすぎた中央銀行の深遠な悩みに焦点が当てられている。先述したように、どの国の中央銀行も、金利水準をゼロ近傍に、あるいは、マイナスに誘導してきたが、著者は、そうした超低金利政策こそが格差拡大を招いていると指摘する。

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、「資本収益率>経済成長率」が経済格差のもっとも重要な要因であるとして、世界中の人々の関心を集めた。この不等号は、経済成長の果実が労働所得よりも、企業収益により手厚く分配され、経済格差を生んでいる証左とされてきた。

 著者は、このピケティの不等号を「資本収益率>自然利子率>借入利子率」と置き換え、中央銀行の超低金利政策で借入コストを大幅に節約できたことが、企業収益に過度に手厚い所得分配システムを支えてきたことを明らかにしている。著者は、中央銀行が経済格差を演出してきたとして手厳しい。

 長い歴史的な文脈を丁寧に踏まえつつ、先端の金融技術に関する深い造詣に裏付けられた著者の周到な議論に接していると、現在、世上を騒がせているMMT(現代貨幣理論)や「リブラ」、あるいは先進国の中央銀行が首尾よく対応したとされるリーマンショックが些事に見えてしまうから不思議である。

FTPLは成り立つか

 ここまで本書を積極的に評価してきたが、マクロ経済学研究者として、第5章に関わる違和感を一点だけ述べたい。著者は、前著の『中央銀行が終わる日』でも本章でも、物価水準の財政理論(通常、英語のthe fiscal theory of the price levelからFTPLと略される)と呼ばれる物価理論を、唯一の物価水準の決定理論として用いている。

 FTPLでは、現在の国債の実質価値は将来の財政余剰(正確には、国債金利支払いを除いた財政支出を財政収入が上回る基礎的収支)に裏付けられ、「国債の実質価値=将来の財政余剰」が成り立つように現在の物価水準が決定されるとしている。したがって、将来の財政余剰が十分に見込めない場合、国債価値をより割り引くように物価が上昇することになる。

 しかし、マクロ経済学では、FTPLによって物価水準が決まる状況はかなり限定的であると考えられている。たとえば、現在の日本経済では、1990年代半ばより基礎的収支が常に赤字となり、2020年代を通じても基礎的収支の黒字が全く見込めない状況にあっても、物価が安定し、国債が超低金利で取引されてきた。そうした日本経済の状況は、FTPLでは説明できない。仮にFTPLが成り立っていれば、物価水準はとっくに上昇し、超低金利状況も脱却していたはずである。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」と題された第6章は、本書の中で一番短い章であるが、示唆に富んだいくつもの論点を含んでいる。ここでまとめてしまうのは比較的簡単なことであるが、そんな野暮なことはやめておこう。第1章から第5章をじっくりと読みこなしてきた読者こそ、第6章を堪能できるのだと思う。

 多くの人々、とりわけ、これからの社会を担っていく若い人々に手に取ってもらいたい労作である。

齊藤誠
名古屋大学大学院経済学研究科教授。1960年名古屋市生まれ。1983年京都大学経済学部経済学科卒業、1983年住友信託銀行、1992年マサチューセッツ工科大学大学院経済学研究科経済学博士課程修了。1992年ブリティッシュ・コロンビア大学経済学部、京都大学経済学部、大阪大学大学院経済学研究科、一橋大学大学院経済学研究科などを経て、2019年より現職。専門分野はマクロ経済理論、ファイナンス理論、金融理論。2001年日経・経済図書文化賞(『金融技術の考え方・使い方』、有斐閣)、2007年日本経済学会・石川賞、2008年毎日新聞社エコノミスト賞(『資産価格とマクロ経済』、日本経済新聞出版社)、2011年全国銀行学術研究振興財団・財団賞、2012年石橋湛山記念財団・石橋湛山賞(『原発危機の経済学』、日本評論社)を受賞。2014年春に紫綬褒章受章。他の著書に『競争の作法』(2010年、ちくま新書)、『父が息子に語るマクロ経済学』(2014年、勁草書房)、『震災復興の政治経済学』(2015年、日本評論社)、『経済学私小説:〈定常〉の中の豊かさ』(2016年、日経BP社)、『危機の領域』(2018年、勁草書房)など。

Foresight 2020年3月20日掲載

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