人生はローリスク・ハイリターン(古市憲寿)

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 人生はリスクに満ちている。街を歩けば交通事故に遭うかも知れない。連続殺人犯に襲われる可能性だってある。もちろん悪い病気に感染するリスクもある。

 家の中も安全ではない。浴槽での溺死、餅による窒息死、窓からの転落死などの危険に満ちている。実際、家庭内の死亡事故は交通事故よりも多い。

 日本列島に住む以上、いつ大地震が起こるかわからないし、台風や豪雨の天災も油断できない。現代の科学でも、地震や津波を止める手立てはない。大いなる自然災害の前で、人間は逃げ惑うくらいしかない。

 日本脱出も大変だ。多くの国は日本よりも治安が悪く、どんな事件に巻き込まれてもおかしくない。飛行機はいつ墜落するかわからないし、ハイジャックやテロも起こり得る。クルーズ船は沈没することもあるし、疫病の流行にも弱い。

 しかし、このような無数のリスクがありながら、なぜ人類は今日まで滅亡していないのだろうか。なぜほとんどの人が元気に毎日を送れているのだろうか。

 それは、ほとんどのリスクが極めて低い確率でしか発生しないものだから。特にテロや殺人事件で命を落とす確率は極めて低い。日本では1年に約140万人弱が命を落とすが、死因の1位は癌などの悪性新生物、2位が心疾患、3位が老衰である(2018年)。

 ほとんどの人は、余程のことがない限り死なない。唯一の例外は年齢である。いくら平均寿命が延びたとはいえ、年齢を重ねるほど死亡リスクは上がっていく。

 それでも厚生労働省の発表する簡易生命表によれば、50歳男性が1年以内に死ぬ確率は0.2%、65歳で1%、75歳でも2.7%だ。女性の場合、50歳で0.1%、65歳でも0.4%、75歳で1.2%である。90歳になっても9.3%だ。

 どうして、人はこんな低いリスクに過敏に反応してしまうのか。それはリスクをゼロにすることが極めて難しいからだろう。あらゆる事故に遭わず、病気にもかからずに一生を過ごすのは難しい。しかもリスクは、いつ誰のもとに舞い降りるかわからない。

 マンガ『こち亀』に登場する根画手部不吉(ねがてぶふきち)という警官は、極端にネガティブな性格。地震の予兆を知るために多数の動物を飼育、震度1でも大騒ぎする。不審者の襲来を恐れ、夜は消火器を持ちながら防護スーツで眠る。警官であるにもかかわらず、災害時に暴徒化した市民から身を守るためにバットや手榴弾まで持ち歩く始末だ。

 心配性の人は彼のように生きてもいいだろう。実際、新型コロナウィルスに過剰反応している世界の状況を見る限り、根画手部不吉というマンガのキャラクターを現代人は笑えない。

 だけど統計的に言えるのは、人生とは総じて「ローリスク・ハイリターン」ということだ。街での買い物やライブ。友達とのランチ。海外旅行。世界には楽しいことがあふれている。ローリスクを怖がりすぎてハイリターンを逃すのはあまりに勿体ない(ただし自己責任で)。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年3月19日号掲載

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