最高裁が親告罪だったころの「強制わいせつ」も“告訴なし”で起訴できると判断した意味

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 かつて強姦などの性犯罪は「親告罪」として被害者の女性や身内が刑事告訴しなければ起訴されず、女性も世間体などから告訴せずに示談など金を払って済まされることも多かった。しかし、2017年7月から施行された改正刑法で、客観的に事実関係が固まれば告訴がなくとも殺人などと同じように起訴されるようになった。

 一般的には、改正後の法律を、改正前の事件に遡及して処断することはできない。憲法で明確に禁じられている。ところがこの改正刑法は「附則」の2条2項として「改正前の事件でも告訴なしに起訴できる」となっている。

 この「附則」について「憲法違反ではないか?」と問題提起された性犯罪事案で、このたび最高裁で初めて判断が出されると聞き、傍聴に行ってみた。

「筆記具とノート以外は一切持ち込めません」。3月10日、雨模様の昼下がり、筆者は厳重な荷物チェックを経て最高裁第三小法廷の傍聴席に座った。傍聴者は少なかったが若者が多く驚いた。後で聞けば事件関係者ではなく司法研修生だったようだ。

 午後1時半、宮崎裕子裁判長が4人の男性裁判官を従えて入廷した。傍聴席の人たちも起立・礼をする。(事前に職員に求められている)。着座した同裁判長は被告人のいない法廷で「主文。本件上告を棄却する」と言い渡し、1分ほど理由(後述)を述べた後、くるりと背を向けて法廷を去った。

 通常の裁判取材では、閉廷すればフリーランスの筆者も新聞記者たちと当事者や弁護人などの関係者を追うのだが、最高裁では法廷の出入りが自由な司法記者会の記者と違い、筆者は一般傍聴人として番号札を持たされて職員の指示があるまで勝手に退廷もできない。被告弁護人の奥村徹弁護士(大阪弁護士会)は出て行ってしまい、焦ったが雨の中を走り何とか掴まえ、説明していただいた。

 実は今回、審理された事件の被害者は女性ではない。奈良市在住の三十代の男性H被告が2016年にやらかした、少年に対しての文字にするのも憚られる行為を自ら撮影し仲間に配信したという犯罪で被害者は少年だ。「強制わいせつ罪」「児童買春」などで起訴され、2018年に広島地裁で懲役3年、執行猶予(保護観察付)5年の判決となり控訴も棄却され上告していた。

「よく猶予がついたな」と思うほどのおぞましさだが、奥村氏によれば事実関係は争いようもなく、弁護側は上告に際し敢えて「違憲論」にもって行った。H被告の犯罪行為は改正される前年だった。

被害者が告訴しなくても検察が起訴できる

 さて、憲法39条は「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されている。前半は、事後法があった場合、前の事件に遡及することを禁じ、後半では一度刑罰を受けた人が同じ犯罪で二重に処罰されることを禁じている。

「二重処罰禁止」は1980年代に起きた「ロス疑惑事件」で、08年に米国で獄中自殺した三浦和義氏について取り沙汰されたのを覚えている人もいるだろう。旧来の「強姦罪」の被害者は女性だけだが、強姦罪が改正された新たな「強制性交罪」では成人男性や少年も加わった。だからといってH被告を検察が改めて「強制性交等罪」で起訴することはできないわけだ。犯行が強姦罪時代だったから「強制わいせつ罪」で済んだのだ。

 小法廷の宮崎裕子裁判長は「親告罪は被害者の意思を尊重する観点から告訴を起訴の要件としたもので、親告罪であった犯罪を非親告罪とする本法(改正刑法)は、行為時点の犯罪の評価や責任の重さを遡って変更するものではない」とし、改正法施行以前の犯罪を非親告罪として扱えるとした「附則」については「施行の際に上告されていないものを除いては、被疑者や被告人の法的地位を著しく不安定にはしない」と理由を述べて、この附則が憲法違反にはならないとした。5人の裁判官の全員一致だった。

 つまり、親告罪時代の強姦などであっても、現在の非親告罪として扱うことができ、被害者が告訴しなくても検察が起訴できるとしたわけである。

 他方、この裁判でH被告の弁護側は最高裁に対して、広島地裁段階から検察側が明確にしてこなかった「わいせつの定義」も問うていた。弁護人の園田寿甲南大学法科大学院教授が「原判決が被告人(Hのこと)の行為をどのような観点から『わいせつ』と判断したのかまったく不明。国民は裁判所の有罪論理を事後的に検証できない」などとして上告趣意書を提出していた。しかし、宮崎裁判長は「刑法176条にいう『わいせつな行為』の概念が不明確とは言えない。園田教授の趣意書は単なる法令違反の主張で、刑訴法の上告理由に当たらない」と退けた。下級審での法令適用の違反について「憲法違反を問える時だけ上告できる」と定める刑事訴訟法405条を盾にしたわけだ。

 奥村弁護士は「一審で求めた『わいせつ』の定義について広島地裁の裁判長は明示することができず、代わりに執行猶予を付けたのではないか」と推測する。「上告では違憲論に持って行ったが通らなかった。刑が確定してしまったH被告には申しわけない」と話す。

 だが、今回の最高裁判断はH被告だけのことにとどまらない。「法の遡及適用」にお墨付きが与えられたからだ。「親告罪時代」に示談で済ませて現在、安心している人間にしてみれば、場合によっては起訴されるかもしれないという「怖い御達し」になったのである。

 最高裁に対して「一つの問いかけ」をしたともいえる第三小法廷の今回の憲法判断。関心は薄かったのか読売新聞以外はさほど報じなかったように見受けられるが、こうした判例はジワリと国民に影響してくるのである。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年3月16日掲載

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