「ウイルスは米軍のせい」「主席に感謝せよ」習近平の「焦燥」

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 中国の習近平国家主席が3月10日、ようやく「新型コロナウイルス」の発生地となった湖北省武漢に入ったが、その直前から「感恩教育」、一言で言えば「新型コロナを上手く抑え込んだ習近平主席と中国共産党に感謝しなさい」という運動を展開しようとしていた。

 その背景には、武漢を除く全土で新規感染者数を(公式発表では)ほぼ抑え込んでいるとした上で、経済活動の再開を指示した点と、習近平主席の対新型コロナウイルス「人民戦争」での指導力を宣伝し始めたこととを合わせてみれば、習近平指導部が国内外から政治的、歴史的な評価を受けたい、との考えがあるように思える。

 しかし、中国を発生源とし、「言論封殺」「官僚体質」「習近平主席への忖度政治」が世界中で感染が拡大し続ける要因となったにもかかわらず、「世界は中国に感謝すべき」(『新華社通信』)とまで言うズレた感覚は、中国国内からも批判の的となっている。思惑通り、求心力を回復できるかが問われている。

 一方、中国外務省の趙立堅報道官は3月12日、ツィッター上で、

「米軍が武漢にコロナウイルスを持ち込んだ可能性がある」

 と投稿した。

 これは、米国側がウイルス蔓延をめぐり中国側の透明性などについて批判していることに党中央は反発し応酬が続く中、米国疾病対策センター(CDC)の主任、ロバート・レッドフィールド所長が米国で流行しているインフルエンザ患者(死亡者)から新型コロナウイルスが検出(陽性)されたと認めたと報道されていることを念頭にしたものだろう。

 米国では、今シーズンは現在まで約3400万人がインフルエンザに感染し、2万人が死亡したと指摘されている。

 趙報道官は、

「米国で最初の感染者確認はいつなのか? 感染者数は? 病院の名前は? 米軍が武漢にコロナウイルスを持ち込んだ可能性がある。米国は透明性を持て! 数字を公開しろ! 中国に説明する義務がある!」と書き込んだ。

 報道官の「米軍」とは、2019年の10月18日から27日まで武漢で世界軍人体育大会が開かれ、米国など105か国の軍人たちが参加したことを指しているようだ。

 趙報道官の発言は党中央の米国に対するイライラを感じさせるものだが、独断での投稿とは考えにくく、中国はすでに政府専門家チームリーダーの鍾南山氏も感染源は中国とは限らないと発言していることと合わせれば、中国は発生源は中国ではなく米国に疑惑がある、データを公開せよとの主張を内外で強めていくとみられる。

 仮にその主張が浸透すれば、国民の不満の眼は習近平政権ではなく米国に向けさせることにもつながる。

「主席と党に感謝せよ」

 中国のメディアは習近平指導部の意向を受け、「終息ムード」を醸成している。

「感染拡大がみられず、ほぼ抑え込みつつある」

 という趣旨の記事が散見されるなかで、苦笑を禁じ得ないのは、習近平主席が武漢入りしたことについて、

「楽観的な気分となり、春の雰囲気が盛り上がった」(中国共産党機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』)

 という提灯記事だ。

 最初の発生から3カ月経過しての現場視察にもかかわらず、ここまで言うかとの印象を持つが、習近平主席が武漢入りしたのは、約2500人(3月12日現在)が死亡して「地獄」と化した武漢市民の反発を和らげるためだ。

 しかし新型コロナウイルス以外の病気で治療を受けられずに死亡した人や、自宅隔離で死去した人などは公式発表の死者数に含まれず、市民は今も封鎖生活を強いられている。

 しかも、武漢入り直前の3月6日、ウイルス対策の初動対応の詰め腹を切らされた前任者に代わり、習近平指導部の肝いりで山東省済南市という田舎町から武漢のトップに異動した王忠林・市党委書記は、ウイルス関係の会議で、ウイルスを抑え込みつつある状況に絡み、

「武漢市民は習近平主席と中国共産党に感謝すべきだ」

 と強調し、「感恩教育」の展開を主張した。

 要は、10日の習近平主席の武漢入り前に、自らの上司である主席に武漢市民が感謝するという雰囲気を醸成しようという、中国のヒラ官僚にありがちな行動だった。

 書記の発言は独断ではなく、党中央の指示があったともみられるが、習近平主席への「忖度」と、武漢という大都市のトップに抜擢され習近平主席に認められたいという気持ちもあっただろうと思われる。

 しかしSNS上は、当局の削除が間に合わないほどの批判で溢れかえった。

「武漢では恐ろしいほどの人間が死んだ。医師も相次いで死んでいる。生活が困窮する市民の声が聞こえないのか。それを感謝しろとは、ひとかけらの人間性もない。お前らは民のための公僕のくせに」

「食品の値上げがひどい。どうやって生活していくのか。何が感謝だ」

 声の多さに怯んだ王忠林書記は、(党中央の指示を受けたと思われるが、)180度方向を転換し、

「耐え忍び勇敢な武漢市民に感謝する」

 との運動に切り替えた。「党への感謝」強要から「武漢市民に感謝」への転換だ。

 党中央の「感恩教育」は、習近平主席の権威を高めようとする狙いがあったとみられるが、本来、「指導者に感謝しろ」と押し付けるのではなく、習近平主席の指導が国内外で認められれば、自ずと感謝の気持ちが湧くわけで、習近平主席を取り巻く者たちの「忖度政治」と国民の感覚とのズレをここでも示した形だ。

 ちなみにネット上では、国務院は王忠林書記発言の翌7日、市民らの強い反発に対し、主要メディア、湖北省・武漢市のメディアを統括する宣伝部門などを集め、王忠林書記の「感恩教育」の言葉を報道せず評論しないよう指示したとされる。

 すでに報道したメディアには、教訓を読み取り反省することを求めている。

 しかし、地元メディアは市トップの発言を報道しろと言われているのだから、「反省しろ、削除しろ」と言われても本末転倒との思いだろう。

「世界は中国に感謝すべき」

 武漢で習近平主席は、

「艱難辛苦を経てよい方向に向かっている、重要な成果を得た」

 としたうえで、

「カギとなる時期だ。緊張を緩めることなく頑張ろう」

 との趣旨を強調した。

 そして、王忠林書記が「感恩教育」を180度方向転換したように、

「武漢市民の強さを世界に見せた。武漢市民は英雄。全党全人民はあなたがたに感動し、感謝している」

 と述べた。

 習近平主席の「武漢市民に感謝」という言葉は、武漢市民の不満、反発を和らげたいとの狙いだが、一方で「終息宣言」に向けて現場を引き締め、自身の指導力を強調する目的もある。

「終息宣言」に関連し、中国政府の専門家チームのリーダー・鍾南山氏は、

「4月末に基本的に抑え込める」

 とする見解を2月末に出しているが、「終息宣言」の裏に含まれる党中央の意識はどのようなものなのだろうか。

 まず、習近平主席の武漢入り前の4日、『新華社通信』が「世界は中国に感謝すべき」と題して配信した記事から見てみよう。ここからは、習近平主席の取り巻きが「中国、習近平主席が世界から評価を受けよう」と考えている姿勢がうかがえる。

 記事には、中国が新型コロナウイルスの発生源となって世界中に拡大した、という視点は全くない。

 わかりやすく意訳すると以下の通りだ。

「米国で感染が拡大する状況の一方で、中国は米国人に対する出入国措置で米国経済に打撃を与えないよう配慮し、米国政府の対中国人入国措置にも報復しなかった。マスクについても米国に対し輸出禁止措置も執らなかった。しかし米国政府の一部は、ウイルス拡大は米国企業の米国内還流に役立つなどと言っている。米国は感染の受難国になろうとしているが、中国は米国とは違って井戸に落ちた者に石は投げない」

「中国は世界に謝るべきだ、との声があるが不条理だ。中国は巨大な犠牲を払い、巨大な経済損失を出し感染拡大の道を切断した。ここまで犠牲を払った国があろうか」

「感染が爆発した国は中国だが、感染源は中国であるとは限らない。ウイルスの感染源は他国である可能性を示す研究も多い。中国が謝罪する理由はない」

「世界は中国に対する感謝の声が欠けている。中国は巨大な犠牲を払い、世界がこのウイルス戦に対抗する時間を稼いだ」

 まさに、武漢で示した「感恩教育」の考え方とそっくりで、こうした意識が党中央にあることが推測されるわけだが、SNSでは、

「世界に蔓延させて申し訳ないという気持ちなのに、世界に感謝しろとは恥ずかしい」

「マスクを送って助けてくれた日本にも感謝を要求するのか」

 という声が多い(しかしこうした声はすぐに削除されている)。

 さらに、習近平主席の「指導力」があったからこそ中国では「終息」したとの意識、宣伝もある。

 習近平主席の求心力、権威を回復させる狙いで、主要メディアでは、習近平主席が武漢で、何が重要で何をすべきか、どういう意識で取り組むべきか、その心とは、などなど具体的に指示を出したと列挙している。

 国営メディアでは、

「感染発生以来、習近平主席は終始、自ら指揮を執ってきた」

 とし、1月7日(当初は1月20日と位置付けていたが前倒しした)以来、重要な会議や外国首脳との電話、または指示を行ってきたと、38項目の時系列表までつけて、指導力と指揮の卓越さを強調している。

 簡単に言えば、

「果断な措置を執るよう指揮し、心を引き締めるよう指導し、感染ルートを断ち切った」

 というもので、さまざまな対策は習近平主席の指導力と着眼点のよさがあったからこそ、終息への道を歩んでいるのだとの趣旨のようだ。

 遠くない時期に出されるとみられる「終息宣言」は、これら2点を踏まえたものになると思われる。

 指導部の狙いをわかりやすく言えば、中国は早期に感染拡大を終わらせ、世界に貢献した。習近平主席の指導力があったからこそ成し遂げられたのであり、内外から評価されて権威を回復させたい。大きなダメージを受けた中国経済を回復させることが世界への貢献でもある――というものであろう。

党中央に有用なものは削除せず

 先に、国民の感覚を読み取れない感度の悪さに言及したが、一方で武漢市民の不満の強さを感じ取り、党中央に有用な局面を使うしたたかさも覗かせている。

 たとえば、3月5日に孫春蘭副首相が武漢の集合住宅(マンション)を視察した際、マンションの管理者が視察前に敷地を掃除し、食料が住民に届けられている様を装う演出をして見せた。

 しかしこの演出に多数のマンション住民がベランダから「嘘だ」「形式主義だ」と叫ぶ様子が、動画で出回ったのだ。

 演出は、マンションの管理組織(党の末端組織)の独断だったとは考えられず、武漢市と打ち合わせをしたはずである。だがこの動画はネットで削除されておらず、党中央は、武漢市民の強い反発を感じ、演出を調査するとしている。

 動画が削除されない背景には、かつての北京で頻繁に見られた、地方からの「直訴」と同じ構図がある。党中央は、地元政府の行為に反発する武漢市民の声を真摯に聴くという姿勢を見せることで、習近平政権の求心力、党の統治に役立つとの考えだろう。

 直近の拙稿(2020年3月9日『習近平「訪日延期」で強まる中国「監視・管理システム」の近代化』)で「言論封殺」が強化されている点に触れたが、この動画同様、当局が完全削除しない例がいくつかある。

 1つは、「警笛を鳴らした人」という題の文章だ。雑誌『人物』のネット版が、武漢中心医院の女性医師(呼吸器科)・艾芬氏に取材したインタビュー記事である。

 同僚医師が3月に入って相次いで感染していくことに我慢できなくなった艾芬氏が、取材を受けたのだ。記事は10日に掲載されるなり数時間で削除されたが、AI(人工知能)でも削除されないよう、「写真版」「書道版」「DNA配列版」「点字版」「甲骨文字版」「楽譜版」「逆さ読み版」など、33種類の形式でも文面が読み取れるようにし、相次いで転載されている。

 記事では、昨年12月30日に新型コロナウイルスを撮影した写真を艾芬氏が仲間の医師に送ったことから、それが医師の間のSNSで出回り、感染死した李文亮医師(同じく武漢中心医院)ら当局から処分を受けた「8人の医師」にも渡った、としている。

 これまでの経緯を詳細に記述しているが、ポイントは、艾芬氏が武漢中心医院の首脳から、ウイルスの写真が出回ったことが人心を惑わせたと強く叱責された結果、口を閉ざしてしまったことで多くの人が死亡し、医師仲間も相次いで亡くなったことに、自責の念を感じている点だ。

 記事はSNSでも散見され、33種類の形式で掲載されて削除できないことも反映したのか、『環球時報』は、

「これは不満を表した一種のネット上の芸術だ。大したことではない」

 と言及せざるを得なかった。

 もう1つは武漢在住の著名な女性作家・方方(本名・汪芳)氏の『封城日記』だ。武漢封鎖以後の様子が綴られ、SNSでアップされて450万人のフォロワーがいる。

 日々の文面では、武漢の官僚や武漢中心医院の幹部らに批判の矛先を向け、謝罪と辞任を求めるなどしているが、その特徴は、批判の矛先を習近平指導部に向けているのではないことだろう。

 たとえば、9日に書いた「引責辞職を、武漢中心医院の書記と院長から始めよ」と題した文章では、隠蔽した幹部医師の責任を追及している。

 10日は「勝利ではない。(大切なのは)終息だ」と題した文章で、安易な勝利宣言を戒めている。11日は「すでに一歩一歩進んでいる。それでも削除できるんですか?」と題し、先に紹介した艾芬医師の「自責の念」の記事が削除の対象となっていることを批判。33種類の形式で掲載されたことや批判の声を上げようとする人が多いことを踏まえ、武漢中心医院の幹部は辞職しろ、と迫っている。

 方方氏の日々の文章は削除されるのもあるようだが、直接的に習近平指導部を批判しているのではなく、官僚や医院の幹部に矛先を向けていることから、ブログの閉鎖はされていないようだ。

 党中央としては、批判の矛先が地元レベルであれば、不満の高まる市民のガス抜きの効用と党中央への有用性を考慮していると思われる。

 ちなみに、最近発売された『大国戦「疫」』という書籍が、書店から撤去されたことがあった。

 この書籍は、習近平指導部の対ウイルス戦の成果を大々的に宣伝する内容だが、撤去したのは、

「感染が終息していないのに賛美するとは何事か」

 という批判が殺到したためだ。習近平主席への批判が高まる事態を避けるためなのは明白だろう。

 今後、習近平指導部は高まる批判や不満を微妙にコントロールしながら、習近平主席の個人的権威と党の求心力を回復させる動きを迫られ続けることになる。

野口東秀
中国問題を研究する一般社団法人「新外交フォーラム」代表理事。初の外国人留学生の卒業者として中国人民大学国際政治学部卒業。天安門事件で産経新聞臨時支局の助手兼通訳を務めた後、同社に入社。盛岡支局、社会部を経て外信部。その間、ワシントン出向。北京で総局復活後、中国総局特派員(2004~2010年)として北京に勤務。外信部デスクを経て2012年9月退社。2014年7月「新外交フォーラム」設立し、現職。専門は現代中国。安全保障分野での法案作成にも関与し、「国家安全保障土地規制法案」「集団的自衛権見解」「領域警備法案」「国家安全保障基本法案」「集団安全保障見解」「海上保安庁法改正案」を主導して作成。拓殖大学客員教授、国家基本問題研究所客員研究員なども務める。著書に『中国 真の権力エリート 軍、諜報、治安機関』(新潮社)など。

Foresight 2020年3月16日掲載

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