「座頭市」はいかにして勝新太郎の“代表曲”となったか 作曲家に出した注文とは
湯浅学「役者の唄」――勝新太郎(5)
音楽評論家の湯浅学氏が、勝新太郎の「唄」に迫る。役者としての代表作が「座頭市」ならば、代表曲もまた「座頭市」。ただし、そこは破天荒で知られたカツシンである。異例のレコーディングで録られたこの楽曲をきっかけに、“歌うスター”の看板をモノにしていく。
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歌う映画スター
勝新太郎の代表曲といえば、ほとんどの人が「座頭市」と答えるだろう。
この曲は映画の挿入歌ではない。座頭市をモデルにした“イメージ・ソング”である。リリースは1967年8月。大映が自社レーベル=大映レコードを立ち上げた、その第1弾だった。つまり、当時の大映の歌部門の代表が勝新だった、ということが示されている。
大映レコードはその後、藤巻潤、平泉征(現・成)、八泉鮎子、麻里エチコ(※注1)、姿美千子、速水ユリ(※注2)、渥美マリ、南州太郎、トリオ・ザ・パンチ(※注3)、渚まゆみ、さらに渥美清に江波杏子などを続々リリースしていった。しかし大映レコード作品の中で、「座頭市」ほど形を変え、リメイクされ、長く歌われ、広く聴かれた曲は他にない。やはり座頭市は特別中の特別。同時期の勝新主演作シリーズ、「悪名」の朝吉親分も「兵隊やくざ」の大宮貴三郎もそれぞれシングル1枚のみ、しかも朝吉親分は映画のサウンド・トラックからのレコード化、ということを見ても、座頭市がいかにミュージシャンとしての勝新に近い、あるいはミュージシャンシップが高かったかがわかる。朝吉親分も大宮初年兵も劇中で三味線を弾いたりしない。
人気者の座頭市であるから、シングル「座頭市(B面は「座頭市ひとり旅」)」は根強く売れた。思えば勝新を“歌う映画スター”にしようという大映の思惑は55年からあったわけで、「座頭市」は勝新にとって実に19作目のシングル盤だった。テイチク、日本コロムビア、東芝と渡り歩き、歌手としては6年ぶりの作品でついに“歌うスター”の仲間入りを果たした。
作詞の川内康範(※注4)は、すでにヒット・メーカーだった名人技で、映画のセリフの中から印象的なフレーズを引き出して歌にしている。作曲は「夢は夜ひらく」の曽根幸明(※注5)。
勝新は「座頭市」を美空ひばりの「りんご追分」のような曲にしてくれ、と曽根に注文したという。聴きくらべればなるほど“りんごーの花びらはー”と“およしーなさいよー”は通じている。座頭市の歩行速度やリズムともそれは関連している。
朝吉はズカズカズカと大股の2ビートで進み、大宮はズカズカとドドドドのポリリズムでどちらかというとデス・メタルやハードコア・パンクのほうに近くしかもしばしば動かなくなる。
座頭市は? 「座頭市血笑旅」の冒頭、「座頭市物語」で座頭市映画の空気の何割かを定める役割を担った伊福部昭によるタイトル・バックの音楽はボレロである。この曲は劇中で歌われる子守唄のヴァリエーションだ。伊福部は静岡県に伝わる子守唄を下敷きにこの曲を創作したという。市の足のアップでそのリズムが強調されている。軽快感はなく、座頭市の歩みにはところどころシンコペーションが入る。いわゆるリズムを喰う。ゆったりしているのは座頭市が常に油断のできない身であるからだと我々はよく知っている。
曽根幸明の自伝『曽根幸明の昭和芸能放浪記』(廣済堂出版 07)によると、この曲のレコーディングは当初、通常の歌謡曲のようにオーケストラの演奏による伴奏が録音され、それ(つまりカラオケ)を聴きながら勝新が歌うという、至極当たり前の制作体制がとられていた。しかしどうやっても歌い出しとリズムが合わず、現場監督役である曽根がいくらキューを出して指導してもうまくいかなかった。仕方なくそのオケを没にして、新たにもっとシンプルな、フルートとギターとティンパニー、という編成でやりなおした。しかしそれでも事前録音ではだめで、結局、勝新が勝手に歌ったトラックに、伴奏が後から合わせてなんとか仕上がったのだという。
台本はいらない。勝新の基本姿勢はここでも貫かれていた。考えてみれば伴奏というのは台本のト書きのようなもの。なによりト書きを嫌った勝新は音楽においても同様の相対し方であった。
とはいえ、その後は歌の録音やステージにも慣れていき、ディナー・ショーやレコードで“歌手勝新太郎”を披露していった。
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