新型コロナから台湾を守る「蔡英文政権」の「強力布陣」と「大局判断」

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 新型コロナウイルスへの対応が世界から称賛されている台湾の民進党・蔡英文政権。その背景には、2003年の「SARS」流行時に危機対応にあたったメンバーや、医療・感染症に詳しい人材が、現在の政権に多数入っていた強力布陣の存在がある。

 日本のように政策決定で右往左往している印象を与えて世論の批判を浴びることもなく、実態がわかりにくい北朝鮮を除いて、東アジアで最も効果的にウイルスの感染拡大を抑え込めている点が際立ち、蔡総統の支持率や台湾への国際的評価は急上昇している。

「LINE」でマスクの情報を発信

  まず、台湾の新型コロナウイルス問題への対応が成功している第一の功臣といえば、陳建仁副総統を挙げるべきだろう。

 1月末、蔡総統と陳建仁副総統がチャットアプリ「LINE」で交わした対話が公開された。

蔡総統「仁さん(陳副総統のあだ名)、SARSの経験から、マスク使用について正確な知識を教えてください」

陳副総統「発熱、咳、鼻水などの症状があるか、症状がなくても病院に出入りするとき、必ず『常時マスク着用』! 換気が悪い、混雑した密閉空間、あるいは慢性疾患の持ち主は『着用した方がいい』。健康な皆さんは常時着用しなくてもいいのです」

蔡総統「体温を測り、手を洗い、人が多く密閉されたところには行かない。そこが大事ですね」

陳副総統「その通り! 民衆には『一般医療用マスク』であればよくて、(微粒子用の)N95マスクは必要ないことを知らせないといけませんね」

 もちろん一般向けの告知のためにやったことではあるが、より多くの人々がマスクに関する正確な知識を得られるよう、親しみやすい方法を選んだのだ。

陳副総統の退任前で幸運だった

 この「LINE」での対話は、蔡総統が陳副総統に教えを求める形式になっているのがポイントだ。なぜなら、陳副総統は公衆衛生のプロだからである。

 彼はもともと政治家ではなかった。台湾大学の「公共衛生研究所」で修士号を取得し、米国のジョンズ・ホプキンス大学でも公衆衛生に関するテーマで博士号を取得した。B型肝炎などの研究に取り組み、ヒ素中毒研究では国際的に知られた学者だった。

 2003~2005年には、陳水扁・民進党政権で衛生署長(衛生相)を務め、SARSの流行に直面。そのときの対応が評価された。その後、台湾の国立アカデミーに相当する「中央研究院」の副院長のポストにあったが、2016年の蔡政権誕生時に副総統に就任している。

 今年5月に蔡政権の2期目が開始するのに当たって退任することが決まっているが、新型コロナウイルスの流行が彼の退任前だったことは、蔡総統にとっても、台湾全体にとっても、大きな幸運だったと言えるだろう。

 SARSのときは、台湾でも病院で集団院内感染が起こり、84人の死者を出した苦い記憶がある。

 当時から台湾は、中国の圧力によって国際機関に加入できておらず、世界保健機関(WHO)から情報提供などの協力を得ることができなかった。

 陳副総統は、『産経新聞』(2月26日付)のインタビューで、

「SARSの際、台湾は国際防疫の孤児だった。原因、診断法、死亡率、治療法の全てが分からず、世界保健機関(WHO)に病例を報告したが反応はなかった。検体は米国から入手し日本の専門家とも情報を交換した。香港やシンガポールの状況から学んだ。WHOから検体が得られていれば、不幸な院内感染は起きなかった」

 と当時の悔しさを語っている。

 だが、「WHOにいないことで、世界の防疫網の穴になってはいけない」と決意し、感染対策の法整備を一気に進めたことが、今回の迅速な対応を可能とした原因の1つになったようだ。

蔡総統が下した大局的な判断

 SARSのときも、今回の新型コロナウイルスも、ウイルスは中国から台湾に渡ってくる。そのため、中国との間で毎週数百便ものフライトが飛び交い、80万人の国民が仕事などで中国に生活拠点を置いているとされる台湾にとって、中国からやってくる感染者のリスクをいかに抑え込むかが、危機感の基本にある。

 SARSのとき、蔡総統は対中政策を担当する大陸委員会の主任委員のポストにあり、中国との交渉にあたった。その経験から、民進党政権に警戒心を抱いている中国からは、いくら「人道」を理由に依頼したとしても、感染症対策において十分な協力が得られない可能性があることを熟知していた。

 そのため、中国との窓口を閉じることでしかウイルスの侵入を押さえ込む方法はないと判断し、最も早い段階の1月下旬に中国人の入国制限を強化し、2月上旬に全面禁止に踏み切ったとみられている。

 台湾企業の対中ビジネスや中国人観光客の経済効果を考えれば、間違いなく、日本以上に痛みの伴う措置ではある。しかし、ウイルス感染の蔓延の方がはるかに失うものが大きいという大局的な判断があったからこそ、できたことだろう。

 中国人の入国禁止を求める声が世の中から広くあがりながら、習近平国家主席の国賓訪日やインバウンドへの影響を配慮してか、3月9日まで入国制限に踏み切れなかった日本の安倍政権とは対照的な行動となった。

最も株を挙げた「衛生福利相」

 一方、防疫の現場を支えているのは、陳時中・衛生福利部長(衛生福利相)であろう。

 彼は、台湾における「疾患予防管理センター」(CDC)が設置した「中央流行疫情指揮中心」のトップも務める。

「情報が多いほど、パニックは防げる」として、毎日記者会見を行い、メディアから手が挙がらなくなるまで質問を受け付ける。常に鬼のような厳しい表情を崩さないなかで、時に感染者を思っては涙を流すという人情味あふれる態度を見せて、国民の人気は急上昇。「次の台北市長」の呼び声すら上がっている。

 陳時中部長はもともと歯科医だったが、歯科医団体の幹部から能力を買われて、蔡総統らと同じように、陳水扁総統時代に衛生署副署長として政権入りした。

 当時、台湾で最大の課題となっていた健康保険制度の整備に辣腕をふるい、「アジアで最も優れた健康保険制度」とも称される台湾の健康保険制度の導入を行った。

 その後、蔡総統が勝利した2016年の総統選挙で医療分野の政見公約策定を担い、蔡政権発足後は総統顧問に就任。医療全般の知識と行政経験などを見込まれ、2017年から衛生福利部長となった。

 鬼のような厳しい表情で感染拡大への注意を呼びかける一方、台湾の基隆市にクルーズ船が到着し、感染検査を行ったことがあったが、船に駆けつけて乗客に温かい言葉をかけた。横浜港沖に停泊していた「ダイヤモンド・プリンセス号」の台湾人乗客が開いた帰国のお祝い会にも、駆けつけた。この硬軟取り混ぜたフル回転の超人的な働きぶりは、「1日で3日分働く」と国民を感動させている。

 新型コロナウイルスへの対応において台湾で最も株を上げた人物といえば、彼をおいて他にない。

日本は台湾の情勢判断を聞くべき

 このほかにも現在の民進党政権には、日本でも盛んに報じられた通り、「マスク在庫マップ」のアプリを開発した「38歳の天才」ことオードリー・タン(唐鳳)デジタル担当政務委員(大臣)や、SARS流行時に台北県長として行政対応した経験を持つ蘇貞昌・行政院長(首相)、医師免許保有者で台湾大学の公共衛生研究所で修士号も取得している陳其邁・行政副院長(副首相)など、医療問題だけでなく感染症対応にも強い、新型コロナウイルスの対応にはうってつけの人材がずらりと揃っていることがわかるだろう。

 蔡総統はその意味で幸運とも言えるが、結果論として、それだけの人材を揃えていたことが今日の称賛につながっている。

 台湾の新型コロナウイルスへの対応は、現在、感染者が急激に増えているヨーロッパのメディアからも模範例として取り上げられており、マスクの実名販売制を模倣する国も現れている。

 単純な比較は禁物であることを承知のうえで言えば、安倍晋三首相、菅義偉官房長官、加藤勝信厚労相など日本政府の面々と蔡政権とを比べてみると、日本側は発信力も政策力も不足しているように感じてしまう。

 日本と台湾に外交関係はないとはいえ、日本政府は今からでも台湾に担当者を派遣し、情報交換を兼ねて、台湾の対応と情勢判断について話を聞いてくるべきである。

 台湾の動きを見ていると、米国政府の対応と一致していることも多い。冷徹に中国の感染情報を収集しながら、バイアスがかかっていそうな中国政府やWHOの楽観論に振り回されていないことが功を奏している部分も大きいのではないだろうか。

野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

Foresight 2020年3月10日掲載

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