仏エリゼ宮「女性ソムリエ」が切り開いた地平と現在 饗宴外交の舞台裏(259)

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 フランス大統領官邸「エリゼ宮」のワインセラーを預かるのは、女性ソムリエのビルジニ・ルティスさん(41)。エリゼ宮に入って13年。世界の元首の館で唯一の女性ソムリエだ。

徹底した地元産

 スペイン国境に近い大西洋岸のビアリッツは、フランス南西部のバスク地方の主要都市だ。昨年8月、ここで主要国首脳会議(G7サミット)が開かれた。

 3日間の日程の初日、エマニュエル・マクロン仏大統領主催の非公式晩餐会がもたれた。会場は大西洋の波が打ち寄せるビアリッツ灯台のテラス。いかにもフランスらしい演出で、水平線に落ちていく夕陽を眺めながら、安倍晋三首相を含む7カ国首脳とEU(欧州連合)大統領は食事を堪能した。メニューは次のようなものだった。

セドリック・ベシャード料理長の現代風ピプラッド
一本釣りマグロのマルミタコ サン・ジャン・ド・リュズ風
バスク地方のチーズ
バスクのガトー

ドメーヌ・ブラナ 2018
シャトー・ブースカッセ 2011
シャンパン オマージュ・ア・ウィリアム・ドゥーツ 2010

 料理は地元バスク地方の四つ星ホテルレストランのセドリック・ベシャード料理長とエリゼ宮のギヨーム・ゴメズ料理長の共作。すべてバスク料理だ。

 前菜の〈現代風ピプラッド〉はトマト、ピーマン、ニンニクやタマネギをオリーブ油で炒め、煮たもの。主菜の〈マルミタコ〉はマグロの切り身をトマト、ジャガイモ、グリンピースなどと煮込んだ料理。ちなみにサン・ジャン・ド・リュズはビアリッツの南にある漁港で、ここに揚がったマグロである。

 これらの料理に合わせたワインも、シャンパンを除きバスク地方のもの。徹底して地元に拘った。

 ワインを選んだルティスさんは、昨年10月の仏季刊誌『ルビュ・シャルル』に、

 「G7サミットの数週間前、首脳たちはバスク地方のワインを知らないでしょうから、是非とも味わってもらいたいと思いつきました。料理とも絶対合います。執事長に承諾を得て、少人数のテイスティングチームで試飲をして銘柄を決めました」

 と、ワイン選定の理由を述べている。

 バスク地方のワインは固有品種のブドウが多い。白のドメーヌ・ブラナは、グロ・マンサン種60%、プティ・クルビュ種22%、残りがプティ・マンサン種と、フランスではまず聞かない品種だ。赤のシャトー・ブースカッセは65%がこの地方固有のタナ種。

 「素朴ながら複雑な味わいがあるのがバスクワインの特徴です。フランス本来の洗練されたワインよりも、野性味とスパイシーなスペインワインに特徴は近いです」

 翌日の昼食会でもバスク地方のワインだった。ルティスさんはバスクという個性豊かな地方を念頭に、名よりも実をとったワインを提案したのだ。ボルドーやブルゴーニュ産のワインを飲み慣れている首脳たちにとって新しい発見だったはずだ。

すべての責任が彼女の両肩に

 ルティスさんの仕事は幅広い。饗宴に応じたワイン選択は重要な役目だが、それ以外にも饗宴前に抜栓したボトルのテイスティングをし、また饗宴中には他の給仕と共にワインも注ぐ。

 さらにエリゼ宮の地下にあるワインセラーの管理や暇をみてのワイン産地回り、業者の売り込み対応と、エリゼ宮のワインに関しては、すべての責任が彼女の両肩にかかる。
ただ、中長期的に最も重要な仕事は、バランスのとれたワインリストの構築だ。

 現在、エリゼ宮のワイン総数はざっと1万4000本以上。もちろんすべてフランスワイン。2大銘醸地の1つであるボルドーが半分を占め、もう1つの銘醸地ブルゴーニュが4分の1。残る4分の1がアルザス、ロワール、ローヌ、プロバンスなどで占められている。

 バランスのとれたワインリストとは、特定の銘柄に偏らず、幅広い均衡のとれたワインの品揃えだ。

 しかし、エリゼ宮のワイン購入予算は年間約20万ユーロ(約2400万円)と限られている。そのため安い新酒を購入し、それを熟成庫で寝かせた後、頃合いをみて饗宴に出す。したがって、それなりの歳月を重ねないと理想的なワインリストは完成しない。

 エリゼ宮は館の外にもワインセラーをもっている。エッフェル塔に近いセーヌ川岸辺の地下倉庫で、室温も14度とやや高め。長期熟成ワインはまずここで保管し、エリゼ宮のセラーに移す。この熟成庫の管理もルティスさんの担当だ。

 シャンパンは熟成させず、基本的に早めに飲んだ方がいい。万一のために1000本ほどストックはあるものの、基本的には饗宴に合わせてその都度購入している。

 饗宴に何を提供するか、どう決めているのだろう。

 「国賓の歓迎晩餐会など重要な饗宴は、前菜にブルゴーニュの白、主菜にボルドーの赤と、2大銘醸地が定番の組み合わせです。ワーキングランチやワーキングディナーなど仕事が主の食事には、アルザスやロワールなどのワインを出します。白か赤のどちらかだけということもあります。具体的な銘柄は料理長のギヨーム・ゴメズ氏の料理をもとに決めます。

 賓客によっては、どこのワインか聞かれる方もおられます。ドイツのアンゲラ・メルケル首相とは饗宴中に何回か言葉を交わしました」(『ルモンド』紙)

 メルケル首相はワイン好きで、自分の知らない銘柄については臆せずソムリエに確認することで知られている。

「女性に何が分かる」

 ボルドー地方出身のルティスさんは、高校に行く代わりにホテル学校を選んだ。専門学校であるホテル学校は、料理、ワイン、給仕、レストラン経営などに携わるプロフェッショナルを育てる教育機関だ。

 ルティスさんは、ソムリエになろうと思った動機を、『ルビュ・シャルル』誌に話している。

 「お客さんと言葉を交わし、交流できるのが魅力的に映りました。私はひどく人見知りする性格ですが、ソムリエになったおかげでこれを克服しました」

 10代の終わりにホテル学校を卒業した後、英語習得のため英国に2カ月の予定で行ったが、3年暮らすことになった。オックスフォードやロンドンのレストランにソムリエとして雇われたからだ。

 オックスフォード近郊の豪華ホテル内のレストランにいたとき、忘れられない出来事があった。男性客にワインリストを渡すと、その客は、

 「男のソムリエを寄こせ。女性がワインのサービスをするなぞ、見たくない」

 と、ワインリストをルティスさんの顔に投げ返した。

 英国では、業者から届いた幾つもの重いワインケースの上げ下げをルティスさんがしていても、男性の同僚たちは見て見ぬふりをして手を貸そうともしなかった。

 当時、まだソムリエは男の世界の仕事とみられ、「女性に何が分かる」という雰囲気に満ちていた。同僚たちの視線が変わり始めたのは、ルティスさんが本気でソムリエの仕事に取り組み、ワインの知識も生半可ではないと知ってからだった。

 フランスに帰国後の2002年、パリの5つ星のホテル「ル・ブリストル」にチーフ・ソムリエの助手として採用された。ここでは多くのことを学んだという。

 2007年9月、エリゼ宮が辞めたソムリエの後任を募集していることを知ってこれに応募し、採用された。後に仏週刊誌『ルポアン』はこう書いている。

 「ワインリストを顔に投げつけた男に、ルティスさんは見事、仕返しした」

「ワインリスト構築」の財源とは……

 ルティスさんがエリゼ宮に入る4カ月前、館の主はニコラ・サルコジ大統領になっていた。

 アルコールを飲まないサルコジ大統領は、ワインについてまったく関心がなかった。
このため国賓歓迎晩餐会など重要な饗宴では、ルティスさんは大統領が再婚したカーラ・ブルーニ夫人の承諾を得ながらワインを決めた。

 2012年にフランソワ・オランド大統領になってからは、大統領の実質的な個人秘書である執事長の承認を得れば、あとはルティスさんの判断に任された。それだけ信頼を勝ち得たということだろう。

 ただ「社会党」のオランド大統領になって、饗宴予算がバッサリ削られた。この理由について大統領と最初のころ事実婚関係にあったバレリー・トリルベレールさんは、彼と別れた後に私とのインタビューでこう振り返っていた。

 「財政難もありましたが、社会党のオランド大統領は、『弱者の味方である社会党が贅沢をしている』とみられたくなかったのです。

 ですから、まず饗宴予算を削りました。これに伴い、ワインのレベルも下げられました。かつては国賓歓迎晩餐会というと、ブルゴーニュ、ボルドーの最高級ワインを提供していましたが、最高級ワインはめったなことでは出されなくなりました」

 オランド大統領が2013年、エリゼ宮のセラーにある最高級ワインを競売に付したとき、これを実務で担当したのもルティスさんだ。

 「饗宴で使うワインはまとまった本数が必要です。最高級ワインが半端な数だけ残っても使いようがありません。そうしたものを放出したのです」(『ルモンド』紙)

 セラーの整理の一環だったが、政権にとって「経費節減」に努める姿勢をアピールする上でも格好の話題だった(2013年5月14日『エリゼ宮所蔵ワイン放出で「饗宴を緊縮」するオランド大統領』参照)。

 ペトリュス、シャトー・シュバル・ブラン、シャトー・オーゾンヌ、シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン……。錚々たる最高級ワインは「エリゼ宮のワイン」という話題性もあって、1200本が落札され、約72万ユーロ(約8600万円)がエリゼ宮に入った。これはその後の「バランスのとれたワインリスト構築」の財源に回されている。

エリザベス女王は別格

 この13年間で、最も印象に残る饗宴についてルティスさんは、2014年6月6日に国賓でフランスを訪問したエリザベス英女王の歓迎晩餐会を挙げている。

 料理は、前菜が〈フォアグラ、ソーテルヌのゼリーとトリュフ〉、主菜が〈シストロン産仔羊の春野菜添え〉。これにチーズとデザート。ワインは、前菜に合わせて甘口貴腐ワイン〈シャトー・ディケム 1997年〉を、主菜にはボルドーの5大シャトーの1つ〈シャトー・オー・ブリオン 1990年〉。乾杯とデザートにはシャンパン〈ポル・ロジェ・キュヴェ・サー・ウィンストン・チャーチル〉が供された。

 「美食家がみたら、一部の隙もない料理とワインの組み合わせ、と感じるのではないでしょうか。ワインを事前に抜栓してテイスティングするときは、さすがに緊張しました。結果として、ほぼ頂点にあると言っていい状態でした」(『ルポアン』誌)

 国賓に対してですら、めったなことでは最高級ワインを出さなくなっていたエリゼ宮でも、エリザベス女王となると別格なのだ。

 また、ふつう白はブルゴーニュ、赤はボルドーとするのに対し、白も赤もボルドーワインだった。かつてエリゼ宮の執事長だったカミーユ・ダベーヌ氏は、

 「ボルドー地方がかつて英国領だったことへの敬意です。エリザベス女王に対しては、常に白赤とも、ボルドーを出すと決められています」

 と、私に話している。

 ルティスさんは2016年11月、最も活躍した女性に与えられるフランスの「金の女性賞」を受賞した。エリゼ宮の女性ソムリエになって11年目の年だった。

 男性優位だったソムリエの世界にあって着実に地平を切り開き、エリゼ宮のソムリエとしてやっていることに対して、「後に続く女性の模範」と高く評価されての受賞だった。

 ルティスさんは男女のソムリエの違いをこう語る。

 「女性は男性より敏感な味覚を持っているように思います。ワインについて、女性はより簡潔に説明するのに対し、男性は技術的なことに結構こだわって話しているように感じます。
 もちろん、どちらが優れているということでなく、男性であれ、女性であれ、才能のある人がそれにふさわしいということだと思います」(『ルポアン』誌)

 仏ソムリエ連盟によると、フランスで実際にワインの仕事に従事している女性ソムリエは全体の15~20%。フランスでも家庭との両立、子育てが働き続ける上で大きなネックになっている。

 フィリップ・フォール・ブラック連盟会長は、

 「個人的にはソムリエの世界にもっと優しさ、繊細さ、華やかさが加わってほしいと思っており、そのためには女性の割合がもっと高まってほしい。子供を1人抱えて頑張っているルティスさんは『女性でも立派にこの世界で成功する』というお手本であり、女性ソムリエ大使の役割を演じてくれている」

 と語っている。
 

西川恵
毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員を経て、2014年から客員編集委員。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。著書に『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮新書)、『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『ワインと外交』(新潮新書)、『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。

Foresight 2020年3月6日掲載

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