「感染爆発」韓国で見た「ウイルス対策」

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 韓国で新型コロナウイルス感染者が30倍以上と爆発的な増加を見せた1週間、ちょうど私は、ソウル市のオーケストラから招聘された夫の客演に同行してソウルに滞在していた。

 韓国に入国した2月16日の時点では、確認されていた感染症例数は30で安定。オーケストラ事務局からは、

 「新型ウイルスの感染者数は少なく、全員が隔離されているので心配しないように」

 と、メールをもらっていた。その数日後に歯止めなく感染者が増加したことが、韓国国民にとってもどれほど想定外だったか伺い知れる。

37度5分を超えた来場者は……

 2015年にMARS(中東呼吸器症候群)を経験した韓国での危機意識は、決して薄かったわけではない。2月中旬時点では、少なくともソウルのムードに比べると、日本がのんびりと感じられたほどだ。

 オーケストラ練習中には、楽団員が安心して練習できるよう、消毒液、マスクが配布されたし、コンサート当日も会場のエントランスには消毒液が設置され、希望する観客にはマスクが配られた。韓国では、マスクや消毒薬を買い占めたり、売り惜しんだりしたら、2年以下の懲役または5000万ウォン(約460万円)以下の罰金が科せられるという法律が、4月30 日までの期限付きで2月初めに施行されたという。それが功を奏したのか、私が滞在していたころは、マスクを宿泊先近くのコンビニで簡単に購入できた。オフィス街でも、ほとんどがマスク姿である。

 日本で最近、ようやく参議院や都営地下鉄で設置された、体温を感知するサーモグラフィーは、韓国ではこのときすでに、国公立の建物に置かれていた。公演が行われた「芸術の殿堂」と呼ばれるコンサートホール入り口では、体温が37度5分を超えた来場者に対して、鑑賞をお断りするというルールが導入されていたのである。

 市民の防疫意識も強かった。韓国人の友人が食事に誘ってくれた際にも、「コロナが怖いから」と、テーブルが適度な距離を保っていて、客席が少なく、大皿を皆で取り分ける韓国スタイルを避け、1人ずつ盛り付けられている店を選んでくれていた。もっとも2月29日には韓国保健福祉部が、

 「外出せずに家に留まり、他者との接触を最小限に」

 と呼びかけたので、1週間違ったら、会食そのものが流れていただろう。

 観客のみならず、舞台上の団員もマスク姿で行った演奏会は、結果として、ソウル市で行われた最後のクラシック演奏会となった。その2日後の2月23日、韓国ではコロナウイルスの警戒レベルが「深刻」に引き上げられ、美術館、図書館、映画館などは閉館し、演奏会などは、3月も軒並み公演中止になる見込みだという。

無償の「自粛要請」には限界

 韓国の感染者数は3月5日時点で5700人を超え、中国以外で最大となっている。 防疫態勢を強化した韓国が、ドライブスルー方式を含めPCRなどの新型コロナウイルス検査を全国計100カ所で、1日あたり約5000~1万4000件(『朝日新聞』2月29 日付)を徹底し、軽症者も含めて感染数が増えた結果とも言われている。

 しかし爆発的な増加は、2月18日以降、新興宗教団体「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」でのクラスター(小規模な集団感染)発生が判明してからだ。

 ソウル市は殺人などの疑いで、この教団の教祖を検察に告発した。次期大統領候補の呼び声が高いパク・ウォンスン市長にしてみれば、「ソウルではあれほど防疫対策を講じていたのに、このクラスターさえなければ」と忸怩たる思いがあったのかもしれない。

 現地の報道によると、韓国文化・スポーツ・観光省は公演自粛の呼びかけに併せ、これによって被害を受けるフリーランスの俳優、アーティストたちに対し、3月から約30億ウォン(約2億7300万円)の支援を行うことや、大臣が状況を視察し、国内430カ所の私立の公演会場に対して、建物の消毒やサーモグラフィーを貸し出す協力支援を発表したという。

 またソウル市の鍾路区には、芸術関係に特化し、公演自粛によって生じる損害に関して法律、経営上の助言を受けられる相談窓口を開設した。これはエンターテイメント産業を重要な輸出産業としている韓国ならではかもしれない。だが、ウイルスと長期戦となった場合に、一方的な無償の「自粛要請」では限界があるように思う。

 日本では現在、イベント主催者へは自粛要請のみだ。それがいつまで続き、その後どう防疫を強化していくのか、自粛以上の目安や防疫の指針が見られない。これでは自粛が解けた後でも、イベントを行う側も観客も、不安に感じるのではないだろうか。

意図せず「ウイルスの運び屋」に

 私のように海外在住で、たびたび日本に帰国する場合、また移動が多い場合、自分が滞在した地域に感染のリスクがあったのか、フォローできない不安が残る。

 その点、韓国では公開された情報をマッピングし、その場所に、いつ感染者が立ち寄ったのか見ることができるデジタルツールが韓国語、英語版で作られている。

Corona Live http://corona-live.com
Corona Map http://coronamap.site/
Corona Nearby http://corona-nearby.com/

 ソウル市のホームページでは、日本語版でも、感染の疑いがある場合にどこで検査が受けられるか、詳細が記されている

 日本ではプライバシーの観点から、感染者の行動を明らかにしていないが、私が関心を持つのは、感染された方のプライバシーではなく、感染の可能性がある場所に自分が居合わせたのか、自分に症状がなくても感染源となってしまう可能性がないか、ということである。韓国が情報開示しているマップのおかげで、それを確認し、外国にいても自分のリスクを意識することができた。

 マッピングすることによって、焦点は「個人」ではなく「場所」になり、行動の経路のみを可視化できるので、プライバシーを守りながらも情報を公開する1つの方法になるのではないだろうか。 

 また、マップであれば、外国人にもわかりやすいし、日本が外国人観光客誘致に力を入れるなら、「有事」に情報が公開されていることは何より大切だ。

 韓国では貧富の差が激しく、公衆衛生に差があるのでは、という指摘もあるが、ソウル市によると不法滞在者であっても、出入国管理局に通報されることなく、健康相談や治療を受けられ、医療関係者も患者が不法滞在者と知っても、当局に通報する義務を免除されるという。

 また韓国入国後にコロナウイルスを疑われる症状を発症した場合、日本語、英語、中国語など多言語で対応する疾病管理本部コールセンターがある。感染者が爆発的に増加している国とはいえ、グロバリゼーションの社会を意識した韓国のこうした取り組みは、日本が感染拡大を防ぐ際の参考にはなるかもしれない。

 日本でも政府観光局が設置する観光情報などの外国人向けの電話相談に、問い合わせが急増しているという(『NHK』2月18日報道)。中には中国人観光客から、

 「来日後に9歳の子どもが発熱し、新型コロナの恐れもあるので、助けて欲しい」

 との相談もあったそうで、外国人への対応も感染拡大防止へ大きな鍵を握る。

 前述したように私自身、移動が多い生活をしているので、意図せずに国境を越えた「ウイルスの運び屋」にならないか、と不安に思う。同じような思いを抱いた国際的指揮者チョン・ミュンフン氏は、2月に東京に滞在したため、万一に備えて14日間自主的に自宅待機するとして、欧州でのコンサートをキャンセルしたという。

 スペインでも感染者が日本人観光客と接触した可能性が報じられ、日本はかなり危険だという認識が出始めている。感染が収束した後でも、中長期的に見て訪日外国人が減らないよう、多言語で迅速かつ正確な情報提供が必要だろう。

教会での葬式も自粛

 一方、ヨーロッパでも感染が広がっているが、感染者のほとんどは北イタリアに滞在した人で、中国とのつながりがない人々である。

 イタリア感染者第1号は、ミラノから50キロほど離れたコドーニョに住んでいる。これまで大きな見出しになることもなかった人口1万5000人の街だ。

 2月中旬、ここに住む健康な38歳のスポーツマン(通称マッティア)が、体調を崩して3回病院に行ったが、病院側は、中国と何のつながりもない若い男性が、まさか新型肺炎を発症していると思わず、3回も風邪と診断した。その間、当然、何の対策もしていなかった男性は、妊娠8カ月の妻やジョギングを一緒にする友人、近所のバールの客、病院関係者、入院患者へウイルスを拡散させ、死者まで出してしまった。

 そしてウイルスは北部イタリアからヨーロッパ全土へ広がっていった。マッティア自身は集中治療室に入院中で話せる状態ではなく、その妻が、

「もしかしたら中国出張に行った友人と、夫が食事をしたかもしれない」

 と思い出したが、感染源については未だに判明していない。コドーニョには中国人数人がいてウイルス検査結果は陰性だった。それにもかかわらず、当初は感染源なのではないかと、相当疑われたという。

 ウイルスは、ヨーロッパの日常生活の習慣をも変容させている。挨拶として抱擁したり、キスをしたりするスキンシップは、南欧で親しみを示す文化だが、このウイルスではリスクになる。

 今の状況を皮肉って、TVBOYというストリートアーティストが、イタリア人画家フランチェスコ・アイエツ(1791~1882)の情熱的なキスを描いた《接吻》の恋人たちにマスクを着用させ、《新型コロナ時代の愛》と題した作品を作り、SNS上で話題を呼んでいる。

 影響はイタリアのキリスト教の習慣にも及んでいる。カソリックの「聖体拝領」という儀式では、神父がキリストの体を象徴する薄い紙のようなパンを信者の口に入れるが、コンタクトを避けるように、という指針が出され、この儀式はおろか、ミサ中の信者同士の握手も取りやめになった。

 キリスト教徒にとっては現在、復活祭前の重要な時期だが、ミサそのものを取りやめてネット配信にしたり、教会での葬式でさえも信者に自粛要請している地域があるという。

 習慣や文化をも変質させてしまった今回の新型コロナウイルスは、ヨーロッパ各国に伝播し、さらなる感染拡大の様相を見せている。その計り知れない影響は、今後、社会生活のどこまで及ぶのか、想像もつかない事態に陥っている。

大野ゆり子
エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。

Foresight 2020年3月5日掲載

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