野村克也さんが説いた「女性上位のほうが国は栄える」「憲法より礼儀」の真意

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「礼に始まって礼に終わる」

〈そんな「鈍感」な若者たちの心に沁み込ませるべく、主になにを説いてきたのだろうか。〉

 まず、「節度を持ちなさい」。意見や希望はいい。しかし一度決まったら、自分は反対でもある程度抑制心を持ってチームに従う。そういう意味での節度は絶対に必要だと思う。もう一つは、「他人の痛みを知りなさい」。選手は監督の立場、監督は選手の立場に立って考える。試合だったら敵の立場に立って野球をやる。そうすることによって、人の痛みがわかるし、相手の心理状態もわかり、いい読みができる。三つめは、「問題意識を持て」。これは、常に優勝を目指していく進歩発展に欠かせないものです。

 人間は考える葦である。どうしたら一流選手になれるだろう、どうしたら落合を抑えられるだろう、って四六時中考えてるやつと考えてないやつっていうのは、大変な差が出てくる。答えは出なくてもいい。

〈ノムさんはまた、考えた末に得られる「動機づけ」を重んじていた。〉

 答えは間違っててもいい。単純に、野球とはなんだろう。そこがしっかりしてないと、方向性や動機づけが出てきません。優勝という目標を達成するための原則は、結局は能力と動機づけですから。ヤクルトは言うなれば、この動機づけで勝ってるんですよ。

 たかが野球ですけど仕事ですから、いろんなことに気がつかなきゃいけない。ただ漠然と試合を見てるのと、なにかを感じながら見るのと、大変な違いが出てくるわけです。そういうものがどっから出てくるのかって言うと、「あっ監督がきた、ちゃんと挨拶しなきゃ」って感じる人間と、「ああ監督がきたか」で義務的に「ウース」で終わるのと、大変な違いが出てくるってことなんです。

〈そう痛感していればこそ、少年野球を指導する際には、次のように意識していたという。〉

 野球がうまくできなくてもどうということはないけれど、礼儀さえきちんと覚えてくれれば、世の中に出てから困ることはないんで、それを覚えてほしいと思っています。憲法を知らなくても、生きていくことはできるけれど、礼節を知らなくては、社会で生きていくことはできないでしょう。

 権利とか自由とかは、動物にだって主張できることですが、礼節は人間だけしか知らない。礼に始まって礼に終わるというのは、人間社会の原点ですよね。

〈ヤクルト時代にノムさんの薫陶を受けた、西武ライオンズの辻発彦監督が述懐する。

「経験がある僕らには細かいことは言わなかった代わりに、印象に残っていることがあります。選手にかける言葉は難しいものですけど、それを野村さんは記者との雑談で話し、あとから選手の耳に入るようにしてくれた。40歳になるとき“辻は引退じゃないか”と言われていて、でも野村さんは“日本球界に貢献してきたベテランに、俺の口からはユニフォームを脱げとは言えんだろう”と記者に言い、あとから僕の耳にソフトに伝わった。そういう配慮は嬉しかったですね。いま監督として、野球は一つ一つの結果以上に、努力や取り組み方が大事だと痛感します。そういう過程を、ちゃんと頭を使ってやりなさい、というところを野村さんから学びました」

 そして、頭の使い方を、言葉で遺してくれたノムさん。その金言の前に多少なりとも謙虚になれば、野球界のみならず広く社会が、少しは真っ当になるかもしれない。合掌。〉

週刊新潮 2020年2月27日号掲載

特集「『憲法より礼儀』『出世する人はほぼ恐妻家』 子どもからビジネスマンにまで響いた『野村克也』金言集」より

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