故人を復活 AIへの嫉妬(古市憲寿)

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 AI美空ひばりにAI手塚治虫。故人をAIで「復活」させる試みが盛んだ。紅白歌合戦ではCGのひばりさんが「あれから」という新曲を歌った。過去の音源をAIに学習させ、声や歌い方を再現したのである。

 AI美空ひばりには賛否両論が巻き起こったのだが、批判意見の多くは感情的なものだった。歌手の山下達郎さんはラジオで「一言で申し上げると冒涜です」とぴしゃり、ライターの武田砂鉄さんは「これはやってはいけないことだ」とエッセイで記した。

 現役ミュージシャンである山下さんの気持ちは理解できる。おそらく自分が死んでも「AI山下達郎」にはなりたくないのだろう。

 美空ひばりさんは1989年に亡くなっている。まさか30年後にAIで復活させられるなんて思っていなかっただろう。ではひばりさん自身はAIでの復活を望んでいたのか。

 それは「わからない」と言うしかない。何せ当時は現代のようなAIやCG技術がなかったのだ。怒り出すのか、興味を示すのかは残された人々が推測するしかない。

 武田砂鉄さんはエッセイの中で「故人に対し、とてつもなく失礼」「感動させる目的で死者に新しい言葉を与えてはいけない」と述べているが、どうして彼がそれを判断できるのか。AI美空ひばりに対して違和感を示す人もまた、自分なりの美空ひばりを「復活」させているのである。

 そもそも死者を「復活」させることは何ら新しい試みではない。たとえば小説や伝記がその典型例である。現代人がイメージする「坂本龍馬」の多くは、司馬遼太郎の創作に依っている。どんな緻密な学術書でさえ、限られた資料を基に議論をする以上、歴史に関しては推測が混じらざるを得ない。

 それは生きている人に関しても同じである。このエッセイでは山下さんや武田さんの言葉を引用したが、彼らが本当のところ、どう思っているかは想像するしかない。

 もしかしたらAIアーティストを「冒涜」だと考える人は、僕なんかよりもずっとAIを「本物」だと見なし、脅威を感じているのかも知れない。

 AI手塚治虫に関しては、娘のるみ子さんは極めて冷静なツイートをしていた。遺族がAI化を了解している旨を説明しながら「そもそも手塚治虫の新作って思ってないし。AIなんだから」と言うのだ。

 AI美空ひばりもこれが全てである。新曲ではあるが、もちろん本人の歌唱ではない。「あれから」の作詞は秋元康さん。サビの「あれからどうしていましたか?」「私も歳をとりました」というフレーズには、みんなが会いたかっただろう「美空ひばり」が詰まっている。

 創作の基本は、現実には叶わない夢を見せることだ。その意味でAI美空ひばりは、最高の創作だった。しかしAIアーティストをただの創作物ではなく、「本物」だと見なすなら、怒る気持ちもわかる。昔の人が「魂を抜かれる」とカメラを怖がったようなものなのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年2月27日号掲載

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