韓国で新型肺炎の患者が急増 保守派は「文在寅政権の無能、無策」と総攻撃
韓国で新型肺炎の患者が突然に増えた。4月の総選挙を前に「文在寅(ムン・ジェイン)政権を揺さぶるチャンス」と保守は非難の声を強める。大統領弾劾まで進みかねない「肺炎政局」が始まった。韓国観察者の鈴置高史氏が読み解く。
「遠からず終息する」と語っていた大統領
鈴置:韓国の保守が「政府の無能・無策」の攻撃に乗り出しました。2月19日以降、新型肺炎の感染者が突然に増えたからです。ことに感染経路が分からない患者が登場し、国民の恐怖感が一気に高まりました。
韓国で初めて新型肺炎が認定されたのは1月20日でした。患者の数は2月15日までは28人と比較的に少なかった。そのうえ、いずれも中国で感染して帰国した人やその家族・関係者らで、いわゆる「市中感染」ではなかった。
2月11日から15日の間は新たな感染者も発表されず、韓国では「新型肺炎は対岸の火事で終わる」との見方が広がっていました。2月16日、17日、18日に新たな認定患者が出ましたが、それぞれ1人でした。
2月13日に文在寅大統領が財界との懇談会で「国内での防疫体制はある程度、安定的な段階に入ったようだ。防疫当局が最後まで緊張を解かずに最善を尽くしているので、新型肺炎は遠からず終息するでしょう」と手柄顔で楽観して見せたことも、韓国人の安心に拍車をかけました。
2月19日には秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官がラジオ番組のインタビューで、「国際社会も韓国の感染拡大遮断について、かなり効果があると評価をしている」と誇りました。
同日、与党「共に民主党」の李海瓚(イ・ヘチャン)代表も「感染者が出て1か月になったが、政府も一所懸命やってきたし、国民もよく対応した」と自画自賛しました。
第3の都市、大邱が大量発生地に
――ところが……。
鈴置:そう、ところが、なのです。2月19日に感染認定患者が正式発表ベースで突然、20人増えました。翌20日には53人も増加して合計104人に。初の死亡者(1人)も出ました。21日には感染者はさらに100人増えて、合計204人となりました。
――なぜ、急増したのでしょうか。
鈴置:慶尚北道の中核都市で、韓国で人口が4番目に多い大邱(テグ)の、新天地というキリスト教系新興宗教の教会で患者が大量発生したからです。密閉空間に千人もが密集してミサを開く慣習のため、一気に感染が広がったと韓国メディアは報じています。
2月19日と20日の2日間だけで、大邱市を含む慶尚北道では72人の新型肺炎患者が見つかりました。大邱市長は21日、市民に外出を自制するよう呼びかけました。なお、同日以降は患者の「発見」が全国に広がっています。
実は、一部の韓国人は大邱での大量発生前から「政府が患者数を操作しているのではないか」と疑っていました。韓国政府は毎日、午前と午後の2回、新規の患者数と回復して退院した患者の数、それに検査中の人の数を発表しています。
検査中の人が数百人にのぼるのに、2月11日からの5日間は新規の患者がまったく増えなかった。そこでネット上には「陽性になった人も、陰性になるまで検査を繰り返しているのではないか」と疑う声があがっていました。
例えば、ポータルサイト、ネイバーの「速報・大邱東山病院、コロナ19が疑われる患者の判定保留…19日再検査予定」(2月19日、韓国語)にこうした意見が書き込まれています。
そもそも検査対象者も2月7日までは「中国湖北省を14日以内に訪問した人と、患者との接触者」に限定していたのです。「市中感染はあり得ない」との前提で検査していたわけです。
我々は先進国民になった
――しかし、政府が患者数を操作するなんて……。
鈴置:韓国人はそう疑うものです。2015年のMERS(中東呼吸器症候群)の社会的な後遺症です。当時は186人が感染者と診断され、37人が死亡しました。隔離された人は1万6693人にのぼりました。いずれも日本の国立感染症研究所が発表した数字です。
前の朴槿恵(パク・クネ)政権時代の出来事ですが、当時、野党の大物だった文在寅氏は激しく保守政権の無能・無策を非難した。今回、同様の感染症が大流行すれば、文在寅政権は何と言って非難されるか分からない。そこで「数字の操作」が疑われたのです。
それに国民の中にも「患者の増加」や「市中感染の発生」を認めたくない空気が濃かった。MERSの際は日本で患者が発生しなかったこともあって、いたく韓国人のプライドが傷つきました。
当時、WHOは病院内での感染予防策が不十分であることや、見舞客が長時間、患者と接する習慣などを韓国で大流行した原因と見なしました。
隔離された患者が病室の鍵を壊して脱走するなどの事件も起きたため、韓国紙には「民度の低さ」「国の後進性」を嘆く声が満ちました。
韓国人は5年後の今、「新型肺炎を上手に抑えた」ことで「もう我々は先進国民になったのだ」と祝杯を揚げる気分になったのです。
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