お笑い芸能人の引き際とは 「荒井注さん」の場合

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海の匂いを嗅ぐとホッとする

「最初の女房は学生結婚でね、随分苦労させちゃったねえ。結局、肺ガンで死んじゃったんですよ。赤坂で小さいスナックをやってたんですが、体を壊して『具合悪い具合悪い』と言ってたんだ。病院に連れて行った時はもう手遅れだったんだよ。忙しくて何もしてあげられなかった……」

 テレビの画面を通してはまったく感じさせなかったが、荒井は悔やんでも悔やみきれない苦い過去を背負っていたのだ。妻の死は相当に堪え、逃げるように、好きな釣りに出かけていたというが、むしろ沖でボーッとしている方が多かったという。しかし、心の傷が癒えないまま、32歳年下の女性と再婚した。

 1年半と持たなかった。

「あの結婚は女房が死んで落ち込んでいた時に、出会い頭の交通事故にあったみたいなものだったなあ」

 体力的にも精神的にも追い込まれていた荒井は、ドリフをやめたことを全く後悔していなかった。

「ドリフの10年間はそれまでなまけてきた分を、すべて詰め込んだという感じだった。だから、やめることに後悔なんてまったくなかったよね」

 突然やめることに、まわりは慌てたが、荒井にしてみればドリフに十分尽くしたという気持ちがあったのだろう。口にはあまり出して言わなかったようだが、人気に引きずられることなく、自分の気持ちに忠実に従ったのだ。幸い、後釜には付き人の志村けんがおさまり、すぐに大ブレイクしたことで混乱はなかった。ただ異彩のコメディアンを失ったことは業界の痛手であったことは間違いない。

 今では決して珍しくなくなったが、半ば不貞腐(ふてくさ)れて視聴者に喧嘩を売るような態度で笑いを取ることは、荒井が初めて築いた世界であり、誰からも愛されるキャラクターだっただけに、その引退を惜しむ声が多かった。

 ドリフをやめて15年、荒井は、それまで気を紛らせてくれていた伊豆に移り住んだ。

「お金と暇ができたら、こっちに来たいなあとは漠然と思っていたんですよ。お金はできなかったけど、暇はできたんでね。時々、車で東京に出かけることがあったけど、疲れますねえ。多摩川を越えて首都高速に入ると空気がいきなり変わるんですよ。排気ガスだろうねえ。60年も住んでいたのにまったく気がつかないできていたんですね。伊豆に戻って海の匂いを嗅ぐとホッとします」

 荒井はお笑いに関しては天性のものを持っていたが、まわりがそれをいくら惜しもうとも、本人はそれにはまったく無頓着を決め込んでしまったのである。誰もが足抜けできない華やかな芸能界に未練もなく、磯の香りの方に惹かれてしまったのである。

 荒井はその後、伊豆の遊び仲間の娘と結婚した。38歳も年下であった。

「まさか許してくれるとは思わなかったよ。半ば冗談で『嫁にくんないかなあ』って言ったら、『ああいいよ』だもんね。『何寝ぼけたこと言ってるんだ』と親父に怒られるのが関の山だと思っていたのに、『当人がいいって言ったらいいんじゃない』と軽く流されてしまって、拍子抜けしたというか、親父には感心したよね」

 荒井は若い女房と伊豆で穏やかに生活を続けていた。

「実はオーストラリアのゴールドコーストに家を持っているんだよ。ビザが取得できたら老後は向こうで暮らしたいね」

 荒井の口からは芸能界についての話はもうまったく出てこなかった。そもそも未練がないのである。本人いうところの、なまけ者で、表に出ることが好きではなかった本来の姿に戻ったということなのか。こういう引き際もあるのだろう。

 今でも荒井の人を食ったような演技と笑いを懐かしむ声は多く、テレビで昔の映像が流されると荒井の存在感がひときわ光って見えてしまう。

 ***

 ドリフ脱退時、荒井さんは45歳。平均寿命が延びた現在ならば考えられないほど早い段階での引き際だった。2000年に亡くなった際の葬儀で弔辞を読んだのはリーダーのいかりや長介さん。霊柩車は参列者の「なんだバカヤロー!」の掛け声で見送られたという。

デイリー新潮編集部

2020年2月19日掲載

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