「手取りは減額」となる年金改革「複雑さ」のカラクリ

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 1月20日に召集された2020年の通常国会で、年金制度改正が実施される。

 主な柱は、在職老齢年金の見直し、75歳までの繰り下げ受給の拡大など、いかにも年金受給者にメリットがありそうだ。

 しかし、2019年12月16日の拙稿『「年金制度改正」で加速する安倍政権「高齢者いじめ」』で問題点を明らかにしたように、実は “大きな落とし穴”が潜んでいる。

手取りベースでは……

 まずは、公的年金の受給開始年齢の繰り下げから説明しよう。

 現在の公的年金制度は、受給開始年齢は原則65歳だが、60~70歳の範囲で選択できる。この選択可能範囲を、制度を改正することによって75歳までに拡大するという。

 65歳から受給を開始した場合の年金額(基準額)に対して、受給開始を1カ月遅らせるごとに年金受給額は0.7%増額されるため、単純に計算すれば、70歳からの受給開始では42%、75歳からは84%増額となる。

 たとえば、65歳からの年金の年間受給額が100万円ならば、70歳開始なら142万円、75歳開始なら184万円に増額する。

 だが、65歳からの受給開始と年金の受取総額が同額になる年齢(損益分岐点)は、70歳開始の場合には82歳、75歳開始の場合には87歳と、かなりの高齢になってしまう。

 さらに、そこにはもう1つ“大きな落とし穴”がある。

 実際には、政府が“喧伝”するような単純計算した増額にはならず、年金の手取りベースでは、70歳で31%、75歳で64%の増額にしかならないのだ。

 それはなぜか。

 実は、年金所得が増えれば、それとともに社会保険料などの負担額も増加する。年金を多く受給すれば、当然、それらの負担額も増加するので、手取り額の減少幅は大きくなるのである。

 加えて、年金受給額は健康保険や介護保険の給付にも影響する。年金所得が多いほど自己負担割合が高くなるのだ。政府はこうした実生活面での影響について、まったく説明していない。

 手取りベースでの損益分岐点は、70歳開始なら90歳近くに、75歳開始なら90歳を超えることになるのだ。

 確かに受給開始年齢を遅らせれば、受取総額は増額する。だが、手取りベースの増額率や、保険給付への影響などを考えた場合、受給開始年齢を75歳まで遅らせることに、どの程度のメリットがあるのだろうか。

減額率にも“落とし穴”

 また、今回の改正では、年金を65歳より前倒しで受給する場合の、減額率の見直しも行われる。

 前述のとおり、現在、年金は60歳から受け取りを開始することができるが、受給開始を1カ月早めるごとに、65歳の基準額から0.5%減額されるため、最大で30%の減額となる。

 これが今回の改正では、減額幅が月0.4%に縮小され、最大の減額幅は24%となる。

 たとえば65歳からの受給額が年間100万円ならば、現状では70万円のところ、新たな基準では6万円増えて76万円になるというわけだ。

 確かに、2017年度に前倒し制度が始まったときには、減額を承知のうえで、65歳前に受給を開始した人が約20%もいた。だからこそ、改善されるのだろうと考える人も多いかもしれない。

 しかし、これにも“大きな落とし穴”があるのだ。

 前述した昨年12月6日の拙稿にも記したように、多くの企業では定年後65歳までは、給与を定年時の半額程度に減額しているため、

 「65歳以前に年金を受け取らないと、生活できない高齢者が多い」

 と指摘した。

 給与を減額され、生活がままならない人にとっては、65歳前の減額幅縮小は朗報かもしれない。

 だが、60歳からの年金受給は、実は“非常に複雑な制度”となっている。

 たとえば、60歳から受給できる「特別支給の老齢厚生年金」(以下、特別年金)という仕組みをご存じだろうか。

 1985年の年金法改正で、老齢厚生年金の支給開始年齢が、60歳から65歳に引き上げられた。このときにいわば“経過措置”として作られたのが、この「特別年金」だ。

有利になる「特別年金」

 老齢年金には「老齢厚生年金」と「老齢基礎年金」があり、会社勤めで厚生年金に加入していたか、あるいは自営業で国民年金に加入していたかなどの違いによって、いずれかを選ばなくてはならない。

 このうち、「老齢厚生年金」部分に含まれるのが「特別年金」で、2024年度まで支払われる。その受給資格を有するのは、男性で1961年4月1日以前、女性で1966年4月1日以前に生まれた人だ。

 ただし、「特別年金」は経過措置として作られたため、生年月日により受給できる年齢が違う。

 少々複雑な仕組みだが、たとえば、1949年4月2日~1953年4月1日生まれの男性と、1954年4月2日~1958年4月1日生まれの女性は、60歳から受給できる。

 だが、その後は2年度ごとに受給できる年齢が1歳ずつ延びていく。

 そして、前述の受給資格を有する最後の1961年4月1日以前に生まれた男性と、1966年4月1日以前に生まれた女性は、64歳から受給ができるようになる。

 加えて、「特別年金」の最大の特徴は、65歳になると通常の厚生年金に振り替わり、「老齢基礎年金」部分の受給もできるようになること。

 つまり、65歳前に繰り上げ受給をした場合、月0.4%年金額が減額され、その年金額が“一生続く”のに対して、「特別年金」を申請していれば、65歳からは、本来の年金を満額で受け取れるのだ。

 その上、年金の繰り上げ受給をした場合は、障害者となった場合の「障害基礎年金」、夫が亡くなった場合に妻が受け取れる「寡婦年金」などの受給資格がなくなるのに対して、「特別年金」では、65歳になればこれらの資格を有することになる。

 それらを勘案すると、たとえば今年60歳定年を迎えるならば、64歳までは働き、1年間だけ「特別年金」を受け取り、65歳になって本来の年金を受け取るようにした方が、60歳から繰り上げ受給をするよりもはるかに有利な計算になるのだ。

“メリット”だけを強調

 問題は、政府が、「特別年金」の仕組みそのものや、年金繰り上げ受給を選択した場合の受給額の減額、さらにそれ以外に受ける不利益などを正確に説明することなく、“手取りベースではない”受給額の増額だけを強調し、いかにもメリットしかないように誤解させていることにある。

 おそらく、「65歳前に年金を受け取らないと生活できない高齢者」の中には、「特別年金」の仕組みを知らずに、繰り上げ受給を選択してしまっている人が多いのではないか。

 加えて、今回見直される「在職老齢年金」との兼ね合いも出てくる。

 在職老齢年金とは、年金を受け取りながら仕事をして収入を得ている人の場合、65歳以上で月収が47万円、60~64歳なら月28万円を超えると年金支給額が減額される制度だ。

 これによって現在、約108万人の年金が減額され、約9000億円の年金給付が止められている。

 今回の改正ではここもポイントで、60~64歳の上限額も月収47万円まで基準が引き上げられるという。理由は、高齢者の労働意欲を高めるためだそうだ。

 もうこうなると、制度の複雑さや説明不足による誤解もあって、何をどう選択すれば最も有利になるのかさっぱり分からない、というのが国民全体の実感なのではないだろうか。

 果たして、60歳定年時に年金の繰り上げ受給をしつつ月収47万円までの仕事をするのがいいのか、あるいは「特別年金」の受給を選択し、それまで年金受給は我慢するのがいいのか、それとも減額されても年金の繰り上げ受給をした方がいいのか――。

年金支給額の“抑制策”

 厚生労働省は1月24日、「マクロ経済スライド」により、2020年度の公的年金の受給額を2019年度比0.2%上げると発表した。過去3年間の賃金上昇率は0.3%だったため、単純に考えれば、年金の改定率は0.3%増となるはずだった。

 しかし、政府が定める「マクロ経済スライド」を基準としたため、0.1%引き下げられた結果、年金支給額は0.2%の引き上げとなった。

 「マクロ経済スライド」とは2004年に導入されたもので、政府が最終的な負担(年金保険料)の水準を定め、その中で保険料等の収入と年金給付等の支出の均衡が保たれるよう、時間をかけて緩やかに年金の給付水準を調整する仕組みである。つまり、年金支給額の“抑制策”だ。

 2019年10月から消費税率が2%引き上げられたにもかかわらず、年金支給額は0.2%の引き上げでしかない。これでは、年金は“実質減額”となる。

 今後も、政府による「マクロ経済スライド」を使った年金支給額の抑制は続く。

 2019年度の公的年金の支給額は、政府が想定する現役モデル世帯の所得(平均手取り賃金35.7万円)に対して61.7%だったが、これ以上の年金財政逼迫化に歯止めをかけるべく支出を抑えようと、政府はこの割合を50%程度にまで縮小していく予定だ。

 結局、今回の年金制度改革は、政府が「マクロ経済スライド」による年金支給額の抑制を続けていく中で、あたかも年金制度が改善され、受給額が増加しているように見せかけながらも、実態面では、「高齢者がなるべく長く働かざるを得ない仕組み」を作ったものでしかない。

 年金制度は複雑で、60歳を超えても月収が47万円以上ある人、「特別年金」を受給する資格のある人など、個々人により条件は様々に変わる。

 自分がどのような形で年金受給をするのが自らのライフスタイルに合うのか、個々人が理解することも重要になってくるだろう。

鷲尾香一
金融ジャーナリスト。本名は鈴木透。元ロイター通信編集委員。外国為替、債券、短期金融、株式の各市場を担当後、財務省、経済産業省、国土交通省、金融庁、検察庁、日本銀行、東京証券取引所などを担当。マクロ経済政策から企業ニュース、政治問題から社会問題まで様々な分野で取材・執筆活動を行っている。

Foresight 2020年2月18日掲載

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