川崎通り魔殺人 好みの女性が死ぬ間際に見せる苦悶の表情が見たい…被告が法廷で語った“言い訳”
2006年の9月23日深夜、川崎市宮前区のトンネル内で、この近くに住むアルバイト店員、黒沼由理さん(27=当時)が何者かに刺され死亡する事件が起こった。現場は東急田園都市線梶が谷駅から南東2キロの距離にある通称『梶ヶ谷トンネル』内。JR貨物の梶ヶ谷貨物ターミナル駅や、武蔵野貨物線の下を通る市道トンネルである。右前胸部と左脇腹を刺された黒沼さんは、通行人の110番通報により病院に搬送されたが約2時間後に死亡。神奈川県警捜査一課は殺人事件と断定し、宮前署に捜査本部を設置した。ところが、懸命の捜査にもかかわらず、この『川崎通り魔事件』は容疑者検挙に至らぬまま、未解決状態が続いていた。
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それから10年後の16年1月、県警の捜査員に「事件の話がしたい」と葉書を書き、聴取の結果、翌年10月に、黒沼さん殺害容疑で逮捕された男が、鈴木洋一(ひろかず)被告(39)である。
鈴木被告は『川崎通り魔事件』から約6ヶ月後の2007年4月5日、午後10時25分ごろ、同じ宮前区で通り魔事件を起こした。当時40歳の女性に対して背中と腰の二箇所を刺し重傷を負わせたという殺人未遂罪に問われ、のちに懲役10年の刑が確定した。ところが、服役中の羽黒刑務所から『川崎通り魔事件』の犯行をほのめかす葉書を送り、奇しくも仮釈放の日、黒沼さん殺害容疑で逮捕されたのだった。
鈴木被告に対する黒沼さん殺害事件の初公判は、横浜地裁で2019年11月19日に開かれた。出所目前に自らの犯行を告白したわけだから、起訴事実を全て認めるかと思われた。しかし、彼は罪状認否でゆっくりとこう述べた。
「腹部の刺突行為については、殺意はない……」
二度の刺突行為のうち、一度目の、トンネル内でのすれ違いざまの腹部への行為は、殺意がなかったと主張したのだ。
検察側の冒頭陳述によれば、鈴木被告は「好みの女性が死ぬ間際に見せる苦悶する表情が見たい」という欲望を満たすべく、持っていた包丁で黒沼さんの腹部を刺し、さらに仰向けに倒れた黒沼さんの右前胸部を刺したという。
「平成15年に入籍し、当時の妻の兄の紹介で、義兄が勤める会社に入社。夫婦仲は悪くなく平穏で、仕事に関しても十分な給与が支払われており、充実を得ていた。子供にも恵まれ、普通の社会人だった。しかし被告人は別の側面があった。
もともと『女性の苦しむ表情や普段と異なる顔を見るのが好き』な被告人は平成14年ごろから、売春宿で性行為を行い、相手の首を絞めて失神させ、その売上金を盗むことを繰り返していた。性行為で性的満足を得たのち、その相手を失神させ、苦しむ表情を見ることでストレス発散していた」(検察側冒頭陳述)
その特異なストレス発散行為が、通り魔殺人にエスカレートするに至ったきっかけが、テレビでたまたま目にした『切り裂きジャック』を紹介する番組だったという。
「見ず知らずの娼婦を何人も殺害して逮捕されなかった。これに大きな影響を受けた。女性の苦しむ顔を見るのがストレス発散だった被告人は、切り裂きジャックの番組を観てその気持ちをさらにエスカレートさせる。死ぬときの苦しむ顔は、その最たるものであり、女性を刺して苦しむ顔が見たいと思うようになった」(同)
こうして事件を起こす3ヶ月前の2006年6月ごろから「包丁を持ち、車やバイクで川崎市内を徘徊し、女性を物色していた」(同)。ターゲットの女性が自分好みであれば殺害し、死ぬ間際の苦しい顔を見ることができる。一人で歩いている女性を見つけるや先回りし、歩いて包丁を持って近づくことを繰り返した。好みでなければ素通りし、胸や尻を触り逃走するが、その際も興奮を味わうと同時に、女性の怯えた顔を見ることでストレス発散していたという。事件の前に、好みの女性を何度か見つけ、刺そうとしたが、家に入られたり、他に人がいて失敗したことは何度もあったそうだ。
そんな日々を送っていた同年9月23日。日付が変わった頃、川崎市内を車で走っている際に、現場の梶ヶ谷トンネル付近を歩いて帰宅中だった黒沼さんを発見する。先回りしてトンネルの反対側に車を停め、包丁を手にトンネル内に。携帯を操作しながら前方から歩いてくる黒沼さんとすれ違いざま、犯行に及んだのだ。
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