野村克也さんを偲ぶ 担当編集者の“素人すぎる質問”に20分考えて出した回答とは
講演の名手に
一週間に六日、こういう生活を続け、七日目の夜、文章にしたものを野村邸に持参してチェックをしてもらう。野球では「送球」と「返球」は違う。足をすくわれないようにするには、確認が第一である。
言葉使いにうるさいと思っていた沙知代夫人も、文章を気に入ってくれたらしく、スポーツ新聞がよく使う「ワシ」という関西弁はやめて下さい、と言うこと以外は、何も注文がつかなかった。
どうやら野村さんも文章を気に入っていたらしい。毎回毎回、原稿を穴の開くほど読み返し、元々頭の良い人だからだろう、人に説明する時はどういう話を核にし、どんな順番で話を運べば良いか、理解されたようである。
この“訓練”は講演に役に立ったかと思われる。連載が始まって四、五ヵ月した頃、野村さんに、
「講演を頼まれたんだけど、何をしゃべれば良いのかなあ」
と言われ、
「お得意のプロ野球の裏話をすればいいんですよ。野村さん、野球について語ることのが一番でしょう」
と、即答した。
野村さんは、
「そんな話で本当にいいんですかねえ」
と、ブツブツ言っていたが、講演から帰ってくると予想以上に評判が良かったそうで、ニコニコしていた。
その後、野村さんは「講演の名手」の名を欲しいままにし、超のつく売れっ子になったのは、広く知られている通りである。
講演の決めゼリフは、
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」
というものだった。
しかし、最晩年、心を許した知人には、
「オレが残せたのは金だけだったなあ」
と言っていたそうである。
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