是か非か 神の領域に入った「着床前診断」

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恣意的な選別の心配

 他方「神経筋疾患ネットワーク」の運営委員で、自身も脊髄性筋萎縮症患者である石地かおる氏は、次のような意見である。

「着床前診断の技術ばかりが先行し、実施の既成事実が広く受け入れられてしまっていますが、障碍児を身ごもった場合を想定したカウンセリングなどのサポート環境が追い付いていないことこそ問題です。昔に比べれば障碍を持った人たちでも生きやすい社会になったかと思いますが、まだまだ万全とは言えない。健常者と障碍者が互いの立場を学んでいく包括的な教育や社会のあり方などを考えることに先んじて、着床前診断の技術が当然のように受容されていくことには危惧の念を抱きます」

 現在、着床前診断、着床前スクリーニングともに、法的な整備がなされているわけではない。安全性や有効性も、まだ確定段階にはない。

 そして何より、ここで考察してきたように「人為による操作」の問題がある。

 着床前診断は先に述べたとおり「重い病気」が発現する可能性のある胚を母体に戻さない措置をとるが、「重い病気」の定義は明確ではない。ということは、恣意的に胚が選ばれる懸念は払拭できない。

 そもそも人命の萌芽たる受精卵に人間が手を加えていいのかという議論もあるし、希望した子どもを選ぶことは、差別の助長のみならず、神の領域を冒すことではないかという声も聞かれる。

 とりわけ着床前スクリーニングについては、前述のように日本産科婦人科学会からも「実施を認めない」と位置づけられてしまっている。これについて大谷医師は反論する。

「私は、何年も不妊治療をされ、精神的にも金銭的にも追い詰められてきたカップルの方をたくさんみてきました。命の選別というレッテルを貼り、批判的に叫ばれる方もいらっしゃいますが、着床前胚染色体異数性検査は、そうした方々の負担を少しでも減らすために行っているのです。着床前胚染色体異数性検査と遺伝疾患に関する着床前診断を混同されている方も多いのですが、学会が認めている遺伝疾患の着床前診断は、特定の病気を持つ受精卵のみを排除するものですから、これこそが命の選別にほかなりません」

 着床前診断を受けるためには学会が定めた条件に該当せねばならず、また、申請から許可が下りるまでには約半年から1年待たなければならない。大谷医師が言うとおり、不妊治療をしている患者たちは大半が高齢で、時間的余裕がなく、着床前診断の認定のハードルが高いこともあいまって、着床前スクリーニングに流れる傾向がある。現に大谷医師のもとには全国から多くの患者が引きもきらず訪れている。

 そしてその大谷医師にして、着床前診断には命の選別の問題がある、と指摘するのだ。

 日本産科婦人科学会にこの、命の選別の問題について話を訊くと、

「学会は様々な意見を取りまとめる立場であり、命の選別に対して立場を表明しておりません」

 と言い、着床前診断に関しては、公表済みの見解にもあるように、

〈診断する遺伝学的情報は、疾患の発症に関わる遺伝子・染色体に限られる。遺伝情報の網羅的なスクリーニングを目的としない。目的以外の診断情報については原則として解析または開示しない〉

 などと、一定のルールを設けていることをただ述べるのみだ。

 着床前スクリーニングに関しても、臨床研究段階ゆえ見解は表明していない、との立場をとる。

 これら人間が生み出した高度な技術は、神をも畏れぬ“生命の操作”なのか。そもそも命とは何なのか。

 子どもが欲しいという人間的な欲求は、出生前診断、着床前診断、遺伝子のゲノム編集といった生殖医療を飛躍的に向上させてきた。それが多くの人々に福音をもたらしたことは疑いようもない事実だ。

 しかし一方で、命の選別という根源的な問題に対する解答は、誰も持ち合わせないままなのである。

中西美穂(なかにしみほ)
ジャーナリスト。1980年生まれ。元週刊誌記者。不妊治療で授かった双子の次男に障碍が見つかる。自身の経験を活かし、生殖医療、妊娠、出産、育児などの話題を中心に取材活動をしている。

週刊新潮 2020年2月13日号掲載

特別読物「是か非か 神の領域に入った『着床前診断』」より

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