「有本恵子さん」の母親、嘉代子さん逝去 優しかった「八尾恵」への対応

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「何度も期待を裏切られました」

 時計を戻す。2002年3月、よど号事件関係の公判で証人となった八尾恵は「私が有本恵子さんを北朝鮮に送り込みました」と明言した。この前後、有本夫妻は横浜市で彼女と面会した。大事な娘を騙して北朝鮮に送り込み、取り返しのつかないことになったことを土下座で謝る八尾恵に対して、嘉代子さんは「よう、話してくださいました。立ってください」と抱き起こした。夫は「八尾さんは救世主や」と感謝した。ところがこれがあれこれ批判された。「『あんな女のことをなんということを言うんですか。寛容にもほどがあります』とジャーナリストの櫻井よしこさんから叱責の電話が来たんですよ」と嘉代子さんは筆者に語った。それでも「八尾さんも北朝鮮に子供を置いてきたんです。どんなにつらいのかよくわかりますから」と吐露していた。大正生まれの嘉代子さんはどこまでも温かい女性だった。

 2017年11月に来日したD・トランプ大統領に明弘さんが会い、握手した。大統領は横田めぐみさんの名を出すことはあったが、恵子さんや他の拉致被害者の名を覚えていたのかどうか。それでもその後、北朝鮮に行き、金正恩書記長と肩を寄せ合うトランプ氏に夫婦は「今度こそ」と大きな期待を持った。

 筆者は「有本夫妻が元気なうちにもう一度ゆっくり聞いておかなければ」と2018年6月、ご自宅に久しぶりに足を運びご夫妻を長時間、取材した。嘉代子さんは「何度も何度も期待を裏切られました、もうこの歳ですよ。これが最後です」と訴えていた。

 取材中、「おかしいわ、透さん。なんであんなこと言うんやろ」と話した。意見対立で家族会を離れ、著書などで安倍総理を激しく批判する元事務局長の蓮池透氏に夫婦は疑問を感じていた。特に明弘さんは怒っていた。夫妻は外務大臣だった父晋太郎氏と同様、安倍晋三首相を信用していた。安倍氏が総理にまで出世したのは拉致問題が大きかった。小泉訪朝の頃、官房副長官だった彼は拉致問題で連日、お茶の間に登場し世間の評価を高めた。

 だが安倍首相は総理大臣の在職期間の最長を誇れども、いまだに一度も訪朝しないうちに嘉代子さんは世を去ってしまったのだ。

 嘉代子さんは取材の別れ際、「恵子の留学が終わる直前、一番下の妹がロンドンで会ってきたら帰りしたくをしていた。その後のほんのちょっとの間に八尾さんに会ってしまったんですね」と寂しそうに語った。「運命」と感じていたように感じた。

 嘉代子さんが筆者に語った印象に残る言葉がある。「恵子の場合は、(横田)めぐみちゃんなんかと違って自分の責任もあるのです。軽率に八尾さんについて行って日本の政府や国民に大きな迷惑をかけてるんですから」。だが以前は、そんな彼女に対して「うちの娘も留学しましたがちゃんと帰ってきましたよ。どうせ遊んでるんでしょ」など無神経な電話がかかってきたりしていたという。

 1月12日、異国で還暦を迎えた恵子さんを自宅でケーキにローソクを立てて祝う誕生日にも初めて嘉代子さんの姿はなかった。死の直前まで「恵子に会いたい」と声を振り絞っていたという。合掌。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月11日掲載

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