子供を育てられない母親の最も悲惨なケース「妊娠依存症」という闇

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「妊婦」「母乳」の風俗で稼ぐ

 妊娠依存症とみられる小森唯菜さん(仮名)のケースを紹介しよう。彼女の父親は新興宗教の支部長で、養父だった。信者の娘だった唯菜さんを養子として引き取り、一人前に育てるために幼い頃から勉強や習い事をさせ、新興宗教を叩き込んだ。ところが、いくら勉強させられても彼女の成績は一向に上がらず、宗教も頭に入らなかったという。

「唯菜さんはスパルタ教育を受けたわけですが、それに耐えられない子供にとっては、虐待と同じです。彼女にはかなりの苦痛だったはずです。また、父親が新興宗教の熱心な信者ということで、中学の時にいじめにあったそうです。両親は、いくらお金をかけて塾に行かせても成績が上がらない彼女を、見放すようになりました。結局、唯菜さんは高校生の時、家に居るのが息苦しくなって、家を飛び出したのです」

 唯菜さんは、典型的な転落の道を歩んだ。生活費を稼ぐために繁華街で援助交際を始めた。そのうち、援デリ(無許可の違法なデリヘル業)をしている男に声をかけられ、彼のアパートに住み込みながら売春をするようになる。高校も退学になった。

「彼女は、18歳の時、警察に売春で補導されて1年ほど女子少年院に入っています。出院後、いったん家に帰るものの、また家を出て風俗店へ戻り、不摂生のため、かなり太ってしまう。髪もボサボサでアトピー性皮膚炎だったこともあり、まだ20歳と若いのに、1回あたり数千円で“本番”ができるデリヘルでしか働くことができなかったのです。彼女は、風俗で得たお金は、ホストクラブで散財していたそうです」

 唯菜さんが初めて妊娠したのは20歳の時。父親は誰かわからなかったという。

「唯菜さんは、自分が妊娠していることに気づいても、中絶するという考えはありませんでした。ホストクラブに行って、お酒を飲めば、妊娠のことも忘れることができた。目の前の快楽だけを追いかけ、この先どうなるか、という思考が抜け落ちていました。ただ、さすがに臨月を迎えた時はまずいと思って、実家に援助を求めますが、両親から拒否されたそうです」

 彼女はネットで検索して、子供を引き取ってくれる施設を調べたところ、乳児院に子供を預け養子に出す方法があることを知る。出産後、子供を乳児院に預け、無事、養子に出すことができた。

「普通、こういう苦い経験をすれば、二度と過ちを犯さないために生活を改めるものです。ところが唯菜さんには、そういう思考がなかった。すぐに風俗の仕事に戻り、ホストクラブ通いを再開するのです。そして、1年も経たないうちに二度目の妊娠をします。この時も中絶はせず、出産したら乳児院に預ける手続きを、最初からしていました。さらに彼女は、その後3年間で第三子、第四子と出産を繰り返します。NPO法人のスタッフの話では、唯菜さんは、妊娠することで幸せを感じるようになったそうです。出産前に養親が決まっていれば、彼らは『子供を産んでくれてありがとう』と喜んでくれるし、色々支援もしてもらえる。養子に出した後も、子供の写真を送ってきてくれるそうです。妊娠することで、人から認めてもらえると思ったようですね」

 それだけではない。唯菜さんは、妊娠すれば「妊婦」や「母乳」を売りにする風俗店で稼げる、と考えたという。

 では、なぜ妊娠依存症になってしまったのか。

「幼少の頃より、養父母から厳しいスパルタ教育を受けたことが影響していると思われます。スパルタ教育から逃れるため、その場しのぎの思考をするようになったのです。勉強をしているように取り繕って見せていたのでしょう。風俗で働いている時も同様です。場当たり的で、快楽だけ求めた。未来はどうなるかとは考えない。自分を大事にしないから、子供ができても大事にしない。だから、妊娠しても平気だったのです」

 妊娠依存症の女性を救う手立てはあるのか。

「本来なら、妊娠できないように不妊治療を勧めるべきなんでしょうが、本人にその意思がないとどうすることもできません。唯菜さんのような人は、今後も妊娠を続ける可能性がありますね。『Babyぽけっと』のスタッフによると、シングルマザーで8人の子供を産んだケースもあるそうです。『Babyぽけっと』が把握している『妊娠依存症』の女性は、数十人以上いると見られていますが、今の行政ではどうすることもできません。唯菜さんのような母親が出てこないように、子を特別養子に出す母親が社会復帰できるような施設を作る必要があります」

週刊新潮WEB取材班

2020年2月10日掲載

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