甲子園Vの「花咲徳栄」元主将が強盗致傷、強盗殺人犯もいる有名「元甲子園球児」で逮捕された人たち

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強盗殺人もいる

 では、過去に甲子園出場を果たした球児たちが起こした事件を追ってみよう。

「まず、名前で思い出すのは本田拓人。スクーターみたいでしたからね。上岡龍太郎がOBであることでも知られる京都外大西高で、彼は1年生ながら、05年の夏の決勝で、マー君こと田中将大(駒大苫小牧3年)と投げ合い、準優勝投手になりました。史上初の5試合連続救援勝利も記録。“スーパー1年生”と呼ばれ、マスコミからも注目されました。それ以降は06年には選抜で出場しましたが1回戦負け、07年の夏は3回戦で敗退。卒業後は、近畿大へ進みますが、1年で中退。ここまでは千丸と似ていますが、09年に独立リーグに入団するのです。しかし、チームは経営難で11年春には活動休止となってしまいました。事件はその直後のことでした」(同)

 犯行に及んだのは11年5月。大阪府内を歩いていた女子大生が持っていた鞄を、スクーターで追い抜きざまにひったくったのだ。防犯カメラの映像から、彼が浮上したという。

「アルバイトをしていたが長続きせず、遊ぶ金に困ってやった」と供述したそうだ。

「しかし彼は、13年に再び逮捕されます。前回同様、スクーターに乗ってひったくる窃盗で、指名手配もされました。確保されたのは静岡県内で、自暴自棄になって遠出したといっていたそうです」(同)

 同年9月、計9件の窃盗容疑で送検。取り調べではマー君に触れ、こう嘯いたという。

《プロになったからといって、勝ち組になったわけではない。逮捕されたり、留置場に入ったり、人生の経験値は僕のほうが上だ》

 では、“人生の経験値”が豊富な方々を見てみよう。

「小山高の黒田光弘投手といえば、76年春の準優勝よりも、3回戦で敗れた夏のほうが記憶に残っています。スター球児だった原辰徳が率いる東海大相模と2回戦でぶつかり、実質的なエースだった彼は3安打完封でシャットアウト。地元の栃木県は大いに盛り上がったそうです。彼は早大に進み、社会人野球のリッカーに入団しました」(同)

 その後、作新学院大学野球部の監督なども務めたこともあったが、04年に逮捕された時は無職だった。栃木県内のショッピングセンターで、買い物中の女子専門学校生のスカートの中を携帯で隠し撮りしていたところを警備員に取り押さえられて……。

「黒田は県条例違反という軽微な罪でしたが、強盗殺人事件を犯して無期懲役となり、現在も服役中であるのが、前橋工業高校出身で元ロッテの小川博投手です。甲子園には3回出場。甘いマスクと豪腕で人気となり“群玉(群馬の玉三郎)”の愛称もあった甲子園のアイドルでした。青学からロッテに進み、88年には204三振を奪って両リーグ最多となります。最多奪三振のタイトルは彼が生み出したものなんです。92年に引退しますが、その後もコーチとしてロッテに残りました。その頃から借金に悩まされていたそうです」(同)

 02年に球団から解雇される。離婚した妻への慰謝料や消費者金融などからの借金は1700万円を超えていたという。当時、“ヤミ金”とも呼ばれた消費者金融は、借金が返せず自殺者が急増したことで、社会問題化していた。

「球界を去った後は産廃処理会社に就職。しかし、借金の返済日に勤めていた会社の会長宅へ押し入り、住み込みで働いていた女性に借金を頼み込んだそうです。ところが、断られると、彼女を殴って気絶させ、近所の川に投げ込んで、水死させてしまいました」(同)

 その日の返済額はわずか3万円だったという。憧れの甲子園に出場したばかりか、プロ野球の選手にもなったのに――。

「プロ引退後、お金に困って事件を起こしたパターンもあります。平安高校時代は強肩強打の捕手として鳴らした松岡正樹は、91年にドラフト3位で巨人に入団しました。が、一軍で出場する機会のないまま、95年に退団しました。会社に勤めたりもしていたそうですが、05年に元同僚らと共に、タクシー運転手を座席に縛り付け、刃物で脅して売上金を奪ったことで逮捕。その後、余罪が次々と出てきて、強盗致傷などの罪に問われ奈良地裁で懲役20年に判決が下っています。その後、控訴したはずですが……」(同)

 松岡は「生活費が欲しかった」と供述したという。

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