新幹線殺人で無期懲役「小島一朗」からの年賀状 彼が望む“一生刑務所暮らし”の意味
ハンガーストライキ
去年末、私は「週刊新潮」に、小島一朗による手記と、解説を載せた。手記には、刑務所に入るのが子どもの頃からの夢であったこと、「裏寝覚」(長野県木曽郡)でのホームレス生活の最中に、警察から暴行を受けたことが犯行のきっかけになったと記されている。また、刑務所は自身が育つはずだった「岡崎の家」の代償で、そこに「理想の家庭」を求めているということを解説した。
私はこれまでの対話の中で、彼が何か言葉にならないものを抱えていると感じていた。手紙は何十通と貰ったし、どれも長々と自分の考えを綴っている。しかし、書いてある言葉を頭で理解することはできても、腑に落ちることはなかった。「なぜ刑務所なのか」「どうして人を殺したのか」、結局いつも振り出しに戻る気分だった。
その心の片鱗にようやく触れたように思えたのは、公判を終え、あとは求刑を待つのみという時期の面会でのことだった。
小島は、刑務所に入ったら模範囚になり「優遇区分においては第一類に、制限区分においては第一種に、労務作業においては第一等工になりたい」と言っていた。
しかし、それ以外の生活として、この時は「一生反則行為をやり続けて、保護室、観察室に行き続けること」も考えており、この2つは「同じくらい良い生活」だと言ったのだ。
実は彼は、小田原拘置支所にいたとき、2週間に及ぶハンガーストライキを行っている。それは、私に手記を託す際、手紙が枚数超過したため、その許可を出させるという些細な理由からだった(拘置所から送る手紙には枚数制限がある)。小島は、食事を完全に拒否したため保護室に入れられ、そこで毎日、結跏趺坐(けっかふざ)を組み瞑想していたという。あげく点滴が必要になり、より設備のよい横浜拘置支所に移送されてきたという経緯があった。
同じように、彼は刑務所でも法律を試すことを画策しているようだった。何かをやり、それによって懲罰を受ける、ということに特別な意味を見出しているのだ。
「私が刑務所でご飯を食べなかったら、点滴だけを受ける生活になって、骨と皮だけになって老衰のように死に至ります」
「骨と皮になることで、私には生きる権利があるということを、法によって証明したいんです。『裏寝覚』で私は、警察から『生存権はない』と言われました。本当に生存権が人間にあるのか、法律が本当に正しいのかを証明したいんです」
私は面会の最中に、その言葉を理解することはできなかった。しかし、これまで貰った手紙を読み返し、よくよく考えているうちにハッとした。彼が本当に求めているのは「生きる権利」、ただそれだけなのではないか。いや、何かの行為を起こし、その反応が返ってくることで、自分に「生きる権利」があることを確認したいのではないか。
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