【ブックハンティング】医師が本音で明かす「お約束」ではない「本当のこと」
〈私は、楽をして金を儲ける医師に対して、あまり良い印象をもっていませんでした。ところが、最終的に、私は医学部を受験しました。そこには、自分の適性や将来への夢のような高尚な話は一切なく、「片親で私を育ててくれた母親の期待に反したくない」という個人的、情緒的な考えに基づいて判断しました。これが、私が進路を決めるに至った本音です。……ただ、医学部進学の動機がいかなるものであったにせよ、私は医師を職業に選んで良かったと思っています。医師はやりがいのある仕事だからです〉(上昌広『ヤバい医学部 なぜ最強学部であり続けるのか』「第1章:私の医師人生 医学部を受験した動機」より)
これを、灘高校(兵庫県)卒、現役で東京大学理科三類に合格し、医学部医学科卒業、若くして東大医科学研究所教授となり、40代のうちに独立して自らの研究所を立ち上げるという、傍から見れば「エリート」コースを歩んだ著者・上昌広氏が書いたものだと知ったら、医学部志望の受験生達はどう反応するだろうか。
今まで教えられてきたことが裏切られたような衝撃が半分、有名医学者の若かりし日の等身大の姿が自分とさして変わらぬものであることを知った安堵が半分、といったところであろうか。
私は大学受験予備校で、現代文と小論文を指導している。
予備校講師の仕事は、基本的に講義部分について請負で仕事をする「職人」というポジションなので、進路指導自体はその業務ではないのだが、教えている科目の特性上、生徒が書いた自己推薦書や志望理由書の類を読む機会も多い。
中には医学部志望の生徒のものもある。どれも優等生が書いた立派な文章だ。内容も価値ある美談だ。その子らがどれだけ学校生活において貢献してきたかもよくわかる。しかし、いや、だからこそ面白くはない。
予備校だけに、生徒はほとんど浪人生である。それでも彼らの文章の中に、「失敗」の側からの語りはほとんど登場しない。出題する側もいわゆる「エリート」ばかりだとすれば、「エリート」同士のお約束に応えるスタイルが「正解」なのかもしれない。
もちろんその辺りも考慮に入れながら指導はするのだが、人が自分という存在を考え、成長する上で何よりの武器になるのがリアルな失敗体験や挫折感である。
その点、従来型のいわゆる「エリート」感覚を相対化できていない医学部志望者達には、本書の「第1章:私の医師人生」、「第2章:私が医学部を勧める理由」を併せて読み、自分の頭を使って、自分自身について考えるヒントを得てほしい。
「受験エリート」を超えた「四次元論法」
実は私は著者と30年来の付き合いだ。本書の中にも度々登場する東大の剣道部で著者は私の1期先輩、こちらが1期後輩であった。
学生時代は3年間ほとんど毎日、道場での稽古も、稽古後の風呂も飯も、酒も一緒。道場に泊まり込む5日間の合宿も年に十数回。社会人になってからはしばらく疎遠になる期間もあったが、東日本大震災が起きて以降、福島での様々な活動を中心に今も親しくさせていただいている。
その長年の付き合いをもとに言わせていただくなら、「第3章:医学部の歴史と現在」、「第4章:医療の近未来」には、著者の真骨頂が表れている。
学生時代、上記のような生活の中で『提督の決断』『信長の野望』『維新の嵐』といった歴史シミュレーションゲームの類を、剣道部室に備え付けたゲーム機で一緒に楽しむこともあったのだが、そこで発揮される著者の知識といったらそれは凄まじいもので、そこには量的なものだけでなく、質的な違いがあった。
受験エリートやいわゆるオタクにありがちな知的閉塞感がなく、歴史的・地理的というか時間的・空間的というか、なんとも果てしない広がりがそこにはあった。時に宇宙人だか四次元から来た人だかと話をしているかのような気分になるのだ(そこで今度は日本プロ野球をモデルにしたゲームで対戦すると、実際の選手の経歴を語り、その出身高校や出身地、そのまた歴史的・地理的背景にまで話が及び止まらない、といった具合であった)。
教科書で学んだもの、本で読んだもの、映画で観たもの、行って見てきたもの、聴いてきたもの……これらが時にマシンガンのように、時に結びつき束になり、塊になって大砲のように迫ってくるのだ。
私自身いつも自戒しているのだが、高い専門性は、それが狭い範囲にとどまることで一見簡単に「正解」を導いてくれる。ましてやそれが抽象的な議論で終わるなら、現実によって裏切られることもなく、本当にスッキリしたものとなる。それこそが「受験エリート」出身者の陥りやすい罠でもある。
したがって、著者の「四次元殺法」ならぬ「四次元論法」は、それぞれの「専門家」ならではの自明の世界に不協和音をもたらす部分が大いにあるはずだ。
中には牽強付会と取られるものもあろう。しかし、知の世界は本来大学の受験科目や学部名で分節されて、それぞれの蛸壺に閉じこもってしまうようなものではないはずである。それを克服していく知識の使い方、頭の使い方のヒントが、今の医学部や医療を歴史的・地理的広がりの中で価値づける著者の視点にはある。
「ヤバい」先輩
「第5章:医学部選びのポイント」「第6章:医学生時代をどう過ごすか」は、医学部の選び方と医学部での学び方指南と言ってもよいであろう。
予備校は本来、いわゆる進学塾と違って、大学に入ることだけでなく大学で学ぶことについて「予」め「備」える学「校」としての側面が強い学びの場である。その意味で、これらの章は受験生、医学生、そして我々の業界で働く人間にとって大いに参考になる。
第5章では、様々なデータも用いながら医学、医学部への「入口」について論じている。
予備校の発表している偏差値ランキング表も、我々の職場では、ともすれば個人の生き方を決定づける基準であるかのような使い方をされがちであるが、本書のように事実関係の一側面を捉えるための手段として使われているのを改めて見ると、また違った印象になるから不思議である。
また、一昨年大きな話題となった、医学部入試における女性差別の問題も非常にわかりやすく数値化したデータを用いて論じられている。受験生であれば、これらを読むだけで、自分は単に「選ばれる」者であるばかりでなく、「選ぶ」者でもあることに気づくであろう。
第5~6章には、実際に医学部の「入口」をくぐった者の学びの姿、活躍の様子も具体的に紹介されている。私自身、日頃から直接関わることも多い若者たちだ。ハイコンテキストな「ヤバい」という語を、現代流に正しく用いたタイトルを冠した本書の締めくくりが、ポジティヴに「ヤバい奴ら」のエピソードになっているのもいかにも著者らしい構成であり、そしてとても心強く思える。
著者はこの三十余年の間、私にとって常に「本当のことを言ってしまう」人で「本当のことを言ってくれる」人であり、「嘘をつけない」人で「嘘をつかない」人であり、正しく「ヤバい」先輩だからである。