眞子さまが小室さんへの想いを秘めた歌会始 〈望月に月の兎が…〉の隠喩

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離れていても「月」は

「仮にも“月”について詠まれれば、さまざまな憶測を招くことは、眞子さまも十分にお分かりのはずです」

 とは、歌会始の儀に携わった関係者である。

「陛下や皇族方の詠まれる歌は、ご自身で作られたのち、宮内庁で和歌の指導にあたる御用掛がアドバイスし、当日の発表へと至ります。そこでは、言葉の置き方やリズムなどを指導することはあっても、お題の用い方、今回でいえば“希望”で詠むか“眺望”にするかといったモチーフの部分まで手直しすることはありません。したがって、月をテーマに詠まれたのは、あくまで眞子さまご自身の意思であると言えます」

 さらに続けて、

「ただでさえ注目を浴びる令和初の歌会始で、あえて月を用いて詠んだのは、眞子さまなりの“挑戦”ではないかと拝察いたします。なぜなら、歌の趣旨は表向き“小さい頃の純粋な心は大事にしたい”というものですが、ここから転じて“小室さんへの気持ちや結婚への思いを初志貫徹したい”といった解釈も成り立つからです」

 さきの歌人も、こう推し量るのだ。

「短歌とは、何を題材にしたところで、心に秘めた思いが匂い立ってしまうものです。どの言葉を選び、どのように組み立てるかという点に、詠み手の思いが滲み出るわけです。ですから“眞子さまは、物事がうまく運ばないご自身の状況と重ね合わせて詠んでおられるのでは”との解釈も、決して的外れではありません。まして小室さんが眞子さまを『月』に喩えたという経緯を考えれば、あの歌を聞いた人が小室さんを連想するのは、ごく自然なことでしょう」

 それこそが短歌であるといい、

「古来、歌において“月”とは、思いを通じ合った二人が離れていても同じように眺めることができるものとして詠まれてきました。そうした想いが眞子さまにあったのだとすれば、実にロマンチックだなと思いますね」

 眞子さまは「月の歌」に小室さんへの想いを秘めた。いや、むしろそう取られるのを承知であえて胸の内を滲ませたということか。

 皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。

「歌会始の儀で詠まれるからには、国民は当然、その歌に注目します。例年通り宮内庁は、皇族方の歌については何も説明していません。つまり解釈は自由であり、小室さんとの関係に絡めて受け取られる可能性については、御用掛の指導が入っている以上、重々承知していたはずです」

週刊新潮 2020年1月30日号掲載

特集「令和初の『歌会始』で父宮に反逆! 『眞子さま』が思いを秘めた『月の歌』の残響」より

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