相模原殺傷被害者家族「実名を出さないこと自体が障害者への差別、犯人に屈したことになる」

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相模原殺傷遺族の手記が浮き彫りにした司法の硬直(2/2)

 元職員の植松聖被告(29、以下表記略)が、相模原市の「津久井やまゆり園」で入所者ら45人を殺傷した事件。1月8日から始まった公判では、被害者たちは「甲、乙、丙」の記号で呼ばれ、遺族が実名での審理を希望した「美帆」さんについても、当初、「フルネームか匿名しか認められない」と裁判所は拒否していた。

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 植松の弁護側は、大麻精神病などにより、事件当時の彼には刑事責任能力がなかったと主張しているが、

「私は、植松は正気を保っている、と感じています」

 そう語るのは、和光大学名誉教授で社会学者の最首悟氏。重い知的障害のある娘の星子さんと暮らす最首氏は事件の背景を知るため、植松と手紙のやり取りや接見を重ねてきた。

「昨年12月3日に面会した時、彼は『死刑は偉い人が決めたなら仕方ない』と話していました。しかし、その様子を見て、彼は死刑を回避したがっている、と感じました。自分は正当だ、それを誰かに認めてもらいたい、と思っているのでしょう。彼は自分が死刑になる可能性が高いことも分かっているし、無罪になるとは思っていない。控訴もしないと言っています。しかし、本心では本当に悪いことをしたとは今でも思っていないのです」

 検察側の冒頭陳述では、植松は「意思疎通ができず、不幸を生み出す障害者はいらない」と考えて事件を起こした、とされたが、

「どれだけ激情にかられたとしても包丁5本で45人もの人を刺すというのは普通出来ない。やはりその背景には『障害者は人間ではない』という彼の考えがある。障害者を排除してやった、ゴミを捨ててやったと考えているからこそあれほどむごい殺人が可能だったのでしょう」(同)

 そうして無残に「排除」された被害者の名前が公判で明かされないのは、遺族の意向を確認した上で、刑事訴訟法の「被害者特定事項秘匿制度」に基づいて決めたという。

「法律には人間の尊厳に反することは定めてはいけません」

 と、最首氏は言う。

「匿名にする、ということを法に基づいて定めること自体が間違っています。一見、司法や裁判所は我々のプライバシーや個人情報を保護しているように見えるかもしれません。しかしこれは保護主義に見せかけた国家の『上から目線』なのです。名前が出されないということは本来は根本的な人権侵害であり、法という名で人の尊厳を汚す行為に他なりません」

植松と「同じ側」にいる

 殺された美帆さんの母親は手記にこうも記している。

〈美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います。恐い人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです〉

 立教大学の服部孝章名誉教授(メディア法)が語る。

「下の名前のみとはいえ、遺族が実名でいいと言った美帆さんですら公判で匿名にする司法側には、一体どんな根拠があるのでしょうか。美帆さんの遺族は名前や住所を出すリスクを承知した上で、それでもせめて下の名前で呼んで欲しいと求めている。裁判所は最低限、遺族の意向に沿うべきでした」

 やまゆり園の元職員、太田顕氏(76)は、

「今回の美帆さんのご遺族の行動は、新しい風になったと思います。裁判所は今後、柔軟な対応が出来るようにすべきです。何かと理由をつけて認めないのは権力側のエゴです」

 と批判する。重傷者の一人、尾野一矢さん(46)は家族の希望で当初から実名で審理されてきた。取材にも一貫して実名を公表して応じてきた父の剛志さん(76)もこう話す。

「事件の記録を残していかなければ、亡くなった人のことや事件そのものが風化して抹消されてしまうという危機感から、私は実名を公表してきました。そもそもなぜ被害者が実名を隠さなければならないのでしょうか。実名を出さないこと自体が障害者への差別に他なりません。被害者が障害者だからという理由で実名が伏せられてしまったら、それこそ植松に屈したことになると思うのです」

 先の最首氏も同様の考えである。

「司法の側が被害者を匿名にし続ける限り、それは結局、障害者を差別する植松と、広い意味では同じ側に立っていると言えるのではないでしょうか」

 植松と「同じ側」にいる――。裁判所にとっては耳の痛い批判に違いない。しかし、こうした意見すらも、硬直しきった壁の向こう側には届かないのだろうか。

週刊新潮 2020年1月23日号掲載

特集「『娘は甲でも乙でもなく「美帆」』『相模原殺傷』遺族の『実名公表手記』が浮き彫りにした『司法の硬直』」より

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