北島義俊(大日本印刷会長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】
「撤退」が難しい
佐藤 こうしたアイデアは、どういうところから出てくるんですか。
北島 現場で、相手の方とお話ししている中で出てくることが多いんじゃないでしょうかね。
佐藤 北島さんが様々なところで強調されている「対話」ですね。
北島 ええ。ただ単に言葉を交わすということではなく、双方が相手の意図に気がつき、さらに内容を深めていくものという意味合いです。海外の従業員に私の言いたいニュアンスを伝えようと思ったのですが、どうしても英語にしにくいので、あえてローマ字にして「TAIWA」と言っています。「対話(TAIWA)」によっていろいろなアイデアが生まれてくると思っているんですよ。
佐藤 英語で言うと Dialogue、もしくは Dialectics ですかね。
北島 それに近いです。やはり当社だけではアイデアがそれほど出てこない。今、再生医療の分野にも進出していますが、これもきっかけは、半導体製造で使っているフォトマスクの技術を医学関係の方に見ていただいたら、「これは血管再生に使えるんじゃないか」と言われたのです。そこから研究が始まり、東京医科歯科大学とともに血管の模様(パターン)を複製することを通じて、毛細血管を形成する技術につながりました。
佐藤 これは寿命の延長に結びつく技術ですね。先日、文部科学省の役人と会って話をしたら、2050年生まれの子供が100歳を超える確率は54%なんだそうです。
北島 それはすごい数字ですね。
佐藤 血管再生でもっと延びる。ただ延びるのではなくて、健康寿命が延びるでしょうね。
北島 そうですね。
佐藤 医療分野は他にもやられていることがありますか。
北島 血管再生の技術を応用して、現在では、国立成育医療研究センターとミニサイズの腸の作製に成功しました。医薬品などの新しい試験ツールとして開発を進めています。
佐藤 バイオテクノロジーの分野は今後の社会変革の鍵ですから、非常に重要です。『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』のユヴァル・ノア・ハラリの最新作『21 Lessons』では、AI技術とバイオテクノロジーが結びつく近未来の問題を描き出していますが、大日本印刷はその両方に足をかけている。
北島 何とかその両方をやっていきたいと思っています。
佐藤 北島会長が社長になられたのは1979年で、39年という長きにわたって社長をされてきたわけですが、経営の要諦はどのへんにあるとお考えですか。
北島 いくつかあるのですが、大切なのは「撤退」でしょうか。出るほうは簡単なんです。けれども撤退するのは非常に難しい。
佐藤 どんなことがあったんですか。
北島 例えば、外国からの撤退ですね。当社は早い時期、1964年に香港に進出したんですが、2003年に香港での印刷は難しいと判断して撤退しました。でも現場は違いますよね。そこでやっている人は、まだできますという気持ちがありますからね。
佐藤 昨年亡くなったのですが、日本債券信用銀行に勤めていた友人がいました。日債銀が潰れて、あおぞら銀行になった時、その有力なビジネスになったのが「撤退のコンサル」だったと言っていました。日債銀が各地で撤退せざるをえなくなった際、地元の従業員から恨まれずに、かつ費用を極小にして撤退するノウハウが蓄積され、それが商品になったんです。
北島 なるほどね。
佐藤 特に海外からだと、誘致の際に優遇措置を受けていたりしますから、政府とトラブルになったり訴訟になったりのリスクがある。
北島 香港では、それはなかったんですが、そこも難しいところですね。
佐藤 撤退の困難さは、情報の世界でも同じです。私は、外務省でいわゆる「情報屋」として活動してきましたが、情報源を開拓するのはそんなに難しくはないんです。しかし切るのは難しい。情報源として長く付き合ってきていますから、こちらの問題や関心を知られている。どんな依頼をされたか、それをしゃべられるとマズい。
北島 それはそうですね。
佐藤 だから若い頃は情報源を広げることに力を注いだのですが、関係を断つにはものすごいエネルギーがいることがわかると、情報源の獲得には非常に慎重になっていきましたね。
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