【特別対談】名越健郎×春名幹男:「米露公文書」で解き明かす日本外交「秘史」(上)

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「ロシアの部屋」運営者としてお馴染みの名越健郎さんが、このたび新著『秘密資金の戦後政党史――米露公文書に刻まれた「依存」の系譜』(新潮選書)を刊行されました。米露両国の公文書を丹念に発掘・解読して日本政治の裏面を明らかにした労作です。

 この刊行を記念して、連載「インテリジェンス・ナウ」の筆者で、調査報道に定評のある春名幹男さんとの対談が実現しました。全3回にわたってお届けします。

春名幹男:名越さんの強みは、アメリカとソ連、ロシアの両方を股にかけたということだと思います。

 今回の著書『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)では、日本の政党が外国からの秘密資金に依存していたことを、米露の公文書を用いて明らかにした労作ですが、たとえば、「CIA(米中央情報局)が金を出してくれないと、ソ連が社会党に金を出すので、社会党が勝つよ」、だから金を出してくれと自民党がアメリカに要求していた、という話がよく出てくるわけです。

 けれどもアメリカとソ連の両方の動きを書かないことには、それが本当だったのかがわからない。結局名越さんが、この本でそれを証明した、というところに大きな意義があると思います。

名越健郎:アメリカの部分は、春名さんの著書『秘密のファイル CIAの対日工作』から何カ所も引用しています。春名さんの本は、米国の対日諜報戦を戦前からさかのぼって、広範かつ多角的に分析したもので、最高傑作です。私も教えられることが多かったですね。春名さんが書いたのは1990年代後半からですか。

春名:そうですね、2000年に共同通信社から刊行しました。

名越:こうした報道が可能になったのは、やはり冷戦終結が大きかったですね。ソ連の崩壊によって、モスクワで公文書がいろいろと出はじめた。アメリカでも、ビル・クリントン政権(1993年~2001年)が歴史見直しを重視し、文書公開を強化しました。日本のメディアも、1990年代は20世紀の総括が重要視されて、春名さんはその中で多くの特ダネを書かれたわけです。

 自民党に対するアメリカの資金援助については、1994年、『ニューヨーク・タイムズ』が報道して、大きなインパクトを与えました。当時、私は時事通信社の外信部でデスクをしていて、日曜朝にこのニュースに当たり、政治部と調整するなど慌てたことを覚えています。

春名:そうですね。

名越:春名さんは著書で、アメリカの対日諜報戦や舞台裏の外交を包括して網羅されました。私はその中でも、外国からの政治資金受け入れを禁じた1948年制定の政治資金規制法に抵触する部分をピックアップしてみようと思ったんです。

公文書「隠蔽」「廃棄」では何も学べない

――名越さんも春名さんも、公文書という文字情報から日米・日ソ関係の奥深い部分を明らかにしていったわけですが、それは逆に言えば、公文書が公開されるからこそ事実の掘り起こしが可能だったわけですね。

 現代史を考えるうえでも、政治がどのように動いているかということを知るうえでも、公文書は欠かすことのできないものです。それは公文書の功罪の「功」の部分だと思います。

 しかし一方で、国家や為政者からすると、公文書は「罪」だと思っている節があったりします。自分たちに都合の悪い公文書は公開したくない、そもそも存在を否定したいという気持ちが常にあるように思います。それは特に、日本において大きいのではないかと思うのですが。

名越:日本の外務省には、「廃棄」というシステムがある。つまり、都合の悪い文書を組織的に廃棄処分にできるわけです。

 でもアメリカやロシア、特にアメリカでは、「隠す」ということはあっても廃棄はないと思うんです。確かにCIA は文書をほとんど公開していないけれども、情報公開という点では、日本はアメリカより相当遅れていると思います。

春名:功罪ということで言えば、日本政府は、公文書には「罪」しかない、と考えているんですよ。でも公文書というものは本来、自分が政府の中でこういうことをしたとか、こんな発言をしたということが記録に残っているもので、それが、自分が間違ってなかったことの証明になるわけです。しかしそんなプライドを持てず、公文書公開を罪と考える政府関係者が多いことを、私は残念に思っています。

 1945年8月、日本が無条件降伏をした直後、陸軍省では膨大な文書を焼却し、その煙が夏空に漂っていたといいますが、これだって隠蔽ではなく廃棄。日本人の悪癖なのかもしれません。

名越:日本外務省は1987年に、アメリカの国務省に対して、公文書を解禁しないよう「内政干渉」をしています。アメリカには「30年ルール」というものがあり、作成から30年を経過した機密指定文書は指定解除の対象になるのですが、日米関係の微妙な文書については公表しないでくれ、と機先を制して申し入れをしているんです。

 戦後の日米関係は、安全保障から貿易までアメリカが攻勢に出て、日本は受け身になるばかりでした。ところがこの件だけ唯一、日本側が攻勢に出て米国に内政干渉しているんです。

春名:この事実を知らない人が多いんですね。日本政府がアメリカ政府に、文書を出すなと言っている、これは残念なことだと思います。自分が出さない以上に、相手にも出すなと言うのは、これは何なのか。日本政府は、歴史に学ぶということの意味を、何もわかってない。歴史に学べば、失敗を防ぎ、行政を有意義に運営できる。

 先ほど公文書の功罪の「功」について、自分の行動がそれによって証明されると言いましたが、それにプラスして、将来なにかがあったときに、元々の問題はどういうことだったのかということを、チェックしなければならないわけですね。だからアメリカの公文書館などに行くと、軍人や政府の官僚が来ていて、いろいろと調べている。あの時にどういうことを政府がしたのかを全部チェックして、政策を誤らないようにしているわけです。

 では日本政府は、どうやって過去から学ぶのか。隠蔽や廃棄では、それができなくなるんですよ。そこを日本政府の人は全然認識していないと思いますね。

 また、日本政府には、省庁間での共有という意識がないと思います。現代では省庁の間を結んだ形での政策立案が必要な時代になってきているのに、他の省庁に知られたくないということが非常に多い。こうした縦割り行政と文書の問題も提起していると思います。

岸信介の「闇」

名越:日本外務省が米国務省に、公表しないように求めたのは1957年以降の文書です。この年に岸信介政権が誕生している。日米安保条約交渉や核の問題、それに日本政界への資金工作も含めて、公表されたくない機密が多いようです。

(注・岸信介は戦前の革新官僚で、満洲国高官や東条英機内閣の商工大臣などを歴任。戦後A級戦犯容疑者として逮捕されたが不起訴。1952年の公職追放解除後は政界に進出して1957年に首相に就任、日米安保条約の改定を推し進めた。1960年に退任。実弟に佐藤栄作元首相、女婿は安倍晋太郎元外相、孫に安倍晋三首相)

「昭和の妖怪」といわれた岸信介には闇の部分が多いですね。米国立公文書館には日本の要人ファイルがいろいろあるのですが、岸信介についてはせいぜい4、5枚しかない。「ノット・ディクラシファイド(not declassified=不開示)」。こうした文書が公開されないと、戦後史の真相は分からないかもしれません。

 岸は東京裁判ではA級戦犯の容疑者だったわけですが、1948年のクリスマスイブに釈放されます。その前日、東条英機(元首相)や文民の広田弘毅(元首相、外相)などが処刑される。広田などはむしろ戦争を止めようとした人ですよね。

春名:そうです。

名越:それでも絞首刑になったのですが、岸は無罪で釈放された。そのあたりがどういうからくりなのか分からない。

春名:私は、岸信介の取り調べは、岸から情報を取るためのものであって、岸を起訴すべきかどうかを調べるものではなかったと思います。岸はアメリカの情報源だったのでしょう。

名越:情報と金の交換ですね。

春名:そのうえ、岸はジョセフ・グルー(注・日米開戦まで約10年にわたって駐日米大使を務めた。終戦直前まで米国務次官。東京裁判にも少なからぬ影響を及ぼしたとされる)との関係が非常によかった。アメリカの大使というのは唯一、大使館の中で情報機関と関係を持てるんです。

検証なき「沖縄返還交渉」

名越:岸の実弟の佐藤栄作(注・元首相。在任時にアメリカとの間で沖縄返還交渉をまとめた。退任後、ノーベル平和賞を受賞)もそうですかね。ダグラス・マッカーサー2世(注・連合国軍最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー元帥の甥。1957~1961年、駐日大使)、エドウィン・O・ライシャワー(注・知日派の日本研究者、ハーバード大学教授。1961~1966年、駐日大使)ら歴代米大使と密接な関係を築いた。日米安保条約改定や沖縄返還は、結果論からいうと成功したかもしれないけれども、それに至る闇の部分が大きすぎますね。

春名:そうなんですよ。

 沖縄返還交渉は、ヘンリー・キッシンジャー(交渉当時、リチャード・ニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官)のやりたい放題だったと思います。つまり密使外交をする、と。キッシンジャーと若泉敬(国際政治学者)が密使の役割を担うわけです。若泉の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年、文藝春秋)によると、交渉の内容を知っているのはニクソン大統領、キッシンジャー、佐藤首相、若泉の4人だけだと申し合わせているのですが、アメリカ側は、省庁の担当者がみんな知っている。日本側は2人だけが知っていたわけです。そして佐藤栄作は若泉に、「肚だよ、君」と言っている。つまり腹芸で密約を結んでいるんですね。

 ところがこうした事実をろくに調べもせずにここまできたのが、外務省なんです。私でさえ国務省、ホワイトハウスの文書をチェックしているのに、肝心の外務省自体が、沖縄返還とは何だったのかをきちんと検証していないと思います。外務省には外交研修所というものがありますが、いったいなにをしているのか、こういう検証こそやってほしいと思いますね。

 だから密約といいますが、省内で密約に関する了解事項を文書にして申し送りしたのは、東郷文彦(外交官。沖縄返還交渉時の日本側実務責任者。のち外務事務次官、駐米大使)と、栗山尚一(外交官。外務事務次官、駐米大使を歴任)です。この2人が事実上牛耳ったのですが、若泉敬の密使については、栗山は何も知らなかったし、それを自ら日米双方の文書で調べ直すということもなかったと思います。

名越:戦後の日本外交を見ていると、だいたい官邸が外務省に丸投げしていましたから、外務省の権限は強かったですね。例外としては、沖縄返還と日中国交正常化、日韓国交回復、そのあたりは官邸主導で、外務省は脇に置かれた。安倍政権では逆に官邸主導外交となり、外務省は「官邸の旅行代理店」と皮肉られています。(つづく)

名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『北方領土はなぜ還ってこないのか』(海竜社)など。

春名幹男
1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

Foresight 2020年1月17日掲載

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