接見した大学教授が語る「植松聖被告」 初公判で頭をよぎった“幼い頃からの親の教え”

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 当時、戦後最悪の大量殺人事件となった2016年7月の「相模原知的障害者施設殺傷事件」。植松聖(さとし)被告(29)が19人の入所者を刃物で殺害し、職員を含む26人を負傷させた惨事は今も記憶に新しい。その初公判が1月8日、横浜地裁で行われた。彼と接見し、何度も手紙のやり取りをした静岡県立大学短期大学部の佐々木隆志教授に話を聞いた。

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 初公判に、黒のスーツに紺のネクタイで現れた植松被告は、犯行時の金色の短髪とはガラリと変わって、髪を長く伸ばし後ろで束ねていた。罪状認否の後に証言台に立つと、「皆さんに深くお詫びします」と述べ、いきなり手を口に押し込むようなしぐさをしながら前かがみになって暴れだした。4人の刑務官は「やめなさい」と大声で制止、廷内は騒然となった。青沼潔裁判長は「休廷します」と告げ、植松被告は開廷からわずか15分で姿を消した。

「初公判の様子を新聞で知りました。舌を噛もうとしていたとする報道もありました。この時頭に閃いたのは、植松被告から届いた2通目の手紙のことです。その手紙には、『私は“男が人前で涙を見せるなら舌噛んで死ね”と御指導を頂きました。それは滅茶苦茶だと思う一方で、とても説得力あるお言葉に思えます』と書かれていました。植松被告は、幼いころから親にそう言われて育ったそうです」

 と語るのは、佐々木教授である。同教授の専門は、社会福祉、老人福祉。

 改めて、事件を振り返ってみる。

 2016年7月26日未明、相模原市にある県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の植松聖(当時26)がハンマーで窓ガラスを割って侵入、職員らを結束バンドで拘束し、意思疎通のできない重度の障害者を次々に柳刃包丁で刺した。殺された19人のうち、男性が9人(41歳~67歳)、女性は10人(19歳~70歳)だった。負傷者は26人で、うち、重傷は20人にも及んだ。

 植松被告は大学時代に脱法ハーブ、卒業後は大麻を使用していたという。犯行当日も、大麻を使用していた。そのため、初公判で弁護側は、「被告は事件当時、精神障害があり、障害の影響で刑事責任能力が失われていたか、著しく弱っていた」として無罪を主張した。弁護側は事件の事実関係は認め、裁判では刑事責任能力の有無が争われる。

目立ちたかった

 佐々木教授が植松被告と接見するため、初めて立川拘置所を訪れたのは2018年4月である。

「植松被告と接見したのは、私の三男がきっかけです。彼には知的障害があり、やまゆり園の事件があって以来怯えてしまって、『植松が来る!』と言ってパニックになることもありました。社会の中で、第二の植松を出してはいけないと思うようになり、なぜこんな事件を起こしたのか動機を知りたいと思い接見を申し込んだのです。面会時間は一回30分。彼は、言葉遣いが非常に丁寧で、19人も殺した人物には見えませんでした」

 接見中、植松被告から逆に質問が投げかけられたという。

「寝たきりになって自分の意志で動けなくなったら、生きたいと思いますかと問うので、命というものは、両親から授かったものです。また、子供とか家族のためのものだから、自分だけの命ではないんだよと答えました。さらに、『貴方のご両親は面会に来ましたか』と問うと、ノーアンサーでした」

 やはり、やまゆり園に勤務したことが植松被告に大きな影響を与えたようだ。

「彼にもし、やまゆり園に勤めていなかったら、障害者を殺すことはなかったかと問うと、『そうです』と。やまゆり園で障害者と接して、なぜ障害者はいないほうがいいと思うようになったか問うと、『プールで溺れた障害者がいたので助けると、ありがとうと言わなかった。腹が立った』と言うのです。私は、『君の心が洗浄されるまで何度でも何度でも通い続ける』と言うと、彼は、深々とお辞儀をし、『本当にありがとうございました』と涙を流しながら挨拶していました。まだ数パーセントながら良心があると思いました」

 佐々木教授は同じ年の5月、自分のゼミの学生2人を伴って2回目の接見に行った。

「学生の一人がストレートに、『何故こんな事件を起こしたのですか?』と質問すると、植松被告は、『目立ちたかったからですよ』と。それで学生が、『こんなことをしたら、外に出られないし、死刑になるかもしれない』と言うと、彼は、『それはわかりますが、でも目立ちたかったのです』と。彼は、メディアとの接見では、一貫して、判断能力のない重度の障害者を“心失者”として、社会には不要であると主張しています。ところが私と会うと、命の大切さを何度も繰り返す私の話に感化されてその主張が崩れていくと思ったのでしょうか、2回目の接見以降、面接を求めても拒否するようになりました」

 佐々木教授は、植松被告に手紙を20通ほど送り、約10通返信がきたという。

「公判が近くなってきたので、昨年の12月23日に速達で手紙を送りました。これから裁判に向かって行くけど、自分の本当の気持ちを法廷で述べることが大切だと書いたところ、すぐ彼から返信が届きました。『「全ての人に愛を」といつもいわれていますが、自分のことしか愛していないのでしょうか。佐々木教授の熱意が正しい方向に行かないのは、とても残念に思います』と書かれていました。彼は執拗に、病的なほど重度障害者は社会にいらないと思い続けていました。けれども、わずかながら人間としての心もある。彼との面接で、その心を育むことができなかったのは残念でなりません」

 再び、初公判について聞くと、

「本来なら、植松被告は、重度障害者は不要と言ってもおかしくはなかった。それを言わなかったのは、彼の中にある数パーセントの良心がそうさせなかったのでしょう。心失者は不要という心とわずかな良心が葛藤して、あんな風に暴れたのかもしれません」

 2月19日に結審、3月16日に判決が出る予定だ。

週刊新潮WEB取材班

2020年1月16日掲載

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