氷川きよしではなく「きーちゃん」の姿に感無量、でもひどかった令和元年の紅白歌合戦

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 毎年夏に彼の歌声を大音量で聴いている。近所の寺の境内で開催される盆踊りは3日間。そのせいで無意識のうちに鼻歌が出て、彼の名を叫ぶようになった。♪ズン、ズンズン、ズンドコ「きよし!」。そう、氷川きよしのズンドコ節は、もはや私の夏の風物詩。それ以外できよしの歌声を聴く機会は、年末の紅白歌合戦のみ。いつも死んだ魚の目をしたきよしの、素っ頓狂というか突拍子もなく巧い歌声と、キラキラ輝く衣装の不協和音を愛でるのだ。

 が、令和初の紅白は違った。もう、きよしではなく、きーちゃんである。男性の演歌歌手はなにかと益荒男っぷりを要求される。ファンの女性たちから愛玩されるためには、永遠に可愛い従順な息子っぷりを求められる。エレガントに着飾りたくても女言葉でしゃべりたくても、自分らしさを封印。その呪縛からデビュー20年でやっと解放。微妙にちゃちい龍の頭に乗り、ヘッドバンギングでノリノリ。気持ちよさそうだった。小林幸子ばりの無駄に巨大な装置でドレスを着るかと期待したのだが、GACKTとか西川貴教とか、そっち方面か。自分に誇りを持って歌う姿は感慨深かった。

 まあ、それにしたって、今回の紅白のひどいこと!

 まず、番組名を考え直した方がいい。内容的には完全に「ジャニーズ事務所メンバーお披露目祭inNHK~with秋元康と数の暴力~feat.米津玄師」だった。いや、もうほぼジャニーズ感謝祭。制服女子たちはホステス代わりにこき使われ。しかも、美空ひばりをAIにする戦後最大の暴挙。

 米津の歌が聴きたいのに、米津は曲を提供しまくっただけ。映像には登場したものの「彼と目が合った人は死ぬ」くらいの不穏な印象の一人語り。「権力に飲み込まれ、才能の無駄遣いを強要されて、消費される自分」をその虚な目で表現。繊細な才能が有無を言わせず削られていく不憫さ。その呪詛は「ラルラリラ」に込められていたと悟る。何度も書くが、聴きたいのは米津本人の歌だ。YouTubeで聴けってことか。

 さらに「おいおい、ここはお遊戯会か場末のスナックかよ!」と思う人もちらほら。公開処刑と放送事故の文字が浮かぶ。「この人歌うまいのか? 雰囲気だけで担ぎ上げられた?」と視聴者を悩ませる段階で歌番組に出すのは止めたほうがいい。本業に専念して。

 司会は進行遵守の余裕のなさといい、微妙な間の気まずさといい、もう優しく見守れない段階に。「初々しい」の言葉でくさした上沼恵美子と視聴者の心が一瞬ひとつに。ONE TEAM。

 草っぱらで緑の服、カマキリ先生こと竹内まりやは、案外声が野太くて親近感。

 武田真治は五木ひろしを貶めるのに成功し、山内惠介のバックダンサーの仮面がひどく、やっつけ感満載。松田聖子のポジションはある種の古典芸能(能や狂言と同じ)だからいいけれど、Perfumeの電子衝立芸はいつまで通用するかな。つうかMattはピアノ弾いてた? ラグビーとユーミンに興味がない私は「画面がゴツイな」で終了。あけおめです。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2020年1月16日号掲載

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