八戸・家族4人無理心中 家族を道連れにした父の“忌まわしい過去”【平成の怪事件簿】
少年犯罪
八戸市出身の秀雄は、イカ釣り漁船に乗っていた父と姉さん女房の母、兄妹4人の6人家族に育った。
小学校時代から素行が悪く、たびたび盗みを働いていて、小学校3年の時には、忍び込んだ家の障子に火をつけ家を全焼させている。
そして小学校5年、11歳の時に近隣を震憾させる大事件を起こした。
白昼、「助けてえ!」という悲鳴に驚いて外に飛び出した住民たちが見たのは、全身血だるまでアパートからよろめき出てきた若い女性の姿だった。背中からは、まるで温泉のように泡と一緒にポコポコ血が溢れ出していた。
仰天した住民たちは、女性の肩を担いで近所の医院に運ぼうとしたが、50メートルほど歩いたところで女性はこと切れた。首の右側に3カ所、背中の右側にも1カ所、さらに手などにも数カ所傷を負っており、死因は出血多量。
女性を介抱した複数の住民は、女性の後ろから顔見知りの小学生が飛び出してきたのを目撃している。この小学生が実は秀雄だったのである。
1975年12月。今から44年前のことである。彼はその2年前まで、そのアパートから100メートルほどのところに住んでいたが、前述したように、住宅を全焼させる事件を起こし、一家は引っ越した。
だがこのアパートには秀雄の叔母が住んでいたため、秀雄は、引っ越した後もよく叔母のところに遊びに来ており、それでこの女性を知っていたらしい。
秀雄は犯行後、現場近くの倉庫に身を潜めていたが、翌日の昼頃、アパートに戻ったところを補導された。その際秀雄は、倉庫にあったナイロンの紐で両手を縛り、自分も誰かに襲われたかのように装ったが、下手な嘘はすぐにばれた。
八戸署の調べによれば、秀雄は、ドアが開いていた女性の部屋に入り込み、テーブルの上の1万円札4、5枚を盗もうとしたが、外から帰ってきた女性に、「泥棒!」と騒がれ、玄関で揉み合いになったため、台所にあった包丁を2本手に取って、女性の首や背中のあたりをめったやたらに突き刺した。
中学3年までどこかの少年院に収容されていたらしい秀雄だが、地元の水産高校を卒業して九州の水産会社に就職。20年ほど前に八戸に戻り、奈津美さんと結婚した。奈津美さんが、夫の過去を知っていたかどうかは定かではない。
過去にどんなことがあったにせよ、最近の秀雄に、惨劇を起こす動機があったとは考えられないと知人たちは口を揃える。ところが、妻子殺害の直後とみられる28日午前2時10分頃、秀雄はもうひとつ、事件を起こしているのだ。
八戸市内のパチンコ店に押し入り、従業員3人に刃物を突き付け、手足を縛るなどして現金を要求したが、店長がすきを見て逃げたため、何も取らずに逃走したのである。野球帽とマスクで顔は隠していたが、パチンコ店の防犯カメラに残されていた映像や、遺留物のペットボトルに秀雄の子どもの指紋があったことから、八戸署は秀雄の犯行と断定した。
また、八戸市内では、6月中旬、ビル内の消費者金融会社の入口が放火されたり、喫茶店経営の男性が自宅前で襲われるなどの事件が相次いで起きており、捜査当局は、これらの事件についても秀雄の関与を疑っていたが、断定には至らなかった。さらに、秀雄がここ数年、消費者金融や銀行などから数百万円単位の借金を繰り返していたことも明らかになった。
惨劇から3カ月後の9月25日、八戸署は、久田秀雄容疑者を、殺人と強盗致傷などの容疑で書類送検したが、10月1日、被疑者死亡のため不起訴処分とした。
捜査当局は、家族殺害は借金苦からであり、強盗に入ったのは逃走資金を得るためだったのではないかとにらんでいるが、秀雄と親しかった知人は、「アイツは無理してたんだよ。無理して良き父、良き夫を演じてたんだと思う。(中略)良き人物を演じて抑え続けてきた不満が、何かのきっかけで爆発したとしか思えない」(「週刊文春」2007年7月12日号)
という。
忌まわしい過去をひた隠しにして生きていくことはもはや限界だったのだろうか。
[2/2ページ]