「結婚して墓の近くに戻ってこい」親への罪悪感に悩まされ続けた33歳一人っ子男性の半生

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「墓がある場所から離れないでほしい」

「高校生の頃、部活から友達と帰っていたら、その友達は途中でラーメンを食べて帰るって言ったんです。僕も一緒に食べても良かったのですが、なぜかここでラーメンに付き合って帰りが遅くなったら親に悪い、という罪悪感が募って食べずに帰りました」

 私も明確な門限はなかったが「早く家に帰らなければ」という意識はあった。「夕飯は家族そろって食べるもの」という家庭だったので、学校帰りに友達とファミレスでご飯、なんて考えられなかった。また、食事中のテレビも禁止されていたため、夕飯時はその日あったことを事細かに親に報告していた。

 しかし、高校生の頃は親とのケンカが多く、家は私にとって帰りたくない場所だった。それでも他に行き場がないので自宅に帰り、夕飯と入浴が済んだら自室にずっとこもっていた。

 また、大学の頃、鈴木さんは年末に実家に帰省し、大晦日に友達の家に集まり、そのまま初日の出を見に行こうと予定していたが、親と一緒に過ごさねばと途中で帰り、年越しは家族で過ごしたという。

 実は私も盆暮れ正月は両親の元で過ごさねばと思いこんでいて、なかなか飛行機のチケットの取れない中帰省していた。満席でチケットが取れなかったときは鹿児島空港や大分空港で降り、そこから宮崎に移動していた。しかしおととしの年越しは生まれて初めて友達と過ごした。帰らなくても親は怒らなかった。なんだ、意外と大丈夫じゃないか。ずっとつっかえていた親へのモヤモヤした感情のストッパーが外れた気分で爽快だった。

 そして、今の自分は自由業で休める日を自分で作れるのだから、わざわざピーク時に帰省する必要はないと感じ始め、昨年は少し早めのお盆帰省をしたら、空港も飛行機も空いていて快適だった。鈴木さんもどこかでストッパーが外れれば少し楽になるのかもしれない。

 鈴木さんは当初、地元の大学への進学を希望していた。親から「墓がある場所から離れないでほしい」と言われたのだという。突然出てきた墓という単語に少々面食らった。最近では墓の管理が大変だからと墓じまいをする家や散骨をする人も増えているというのに、なんだか逆浦島太郎になった気分だった。

 しかし、第一志望の地元の大学は残念ながら不合格。滑り止めで受けた東京の大学へ進学した。彼は東京に憧れていたのかと思ったら、どうやら違うらしい。

「やはり地元にいたかったです。上京の日は両親も一緒に来てくれて不動産屋で手続きをして、最後に駅の側の中華料理屋で食事をして別れる際、泣きそうになってしまったんです。臆病な性格なので、東京で一人でやっていけるのだろうかという不安がありました」

 大学進学で上京時、これから一人だ〜! 親と離れて自由を獲得したぞ〜! イエェェェーイ!!!と解放感に満ちあふれていた私とは真逆である。彼の話を聞けば聞くほど、なんだか私、親不孝者なのではないかと思えてきた……。

 幼い頃から一人で何かを作ることが好きだった鈴木さんは広告系の職を希望し、東京で就職した。地元で就職してほしいと親には言われたが、地元には鈴木さんが就職したいと思える会社はなかった。

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