M−1創始者の島田紳助さんが「ミルクボーイ」優勝を絶対喜んでいるといわれる根拠

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サンド伊達は「島田洋七師匠のよう」

 だが15年にM−1が復活し、昨年に霜降り明星が優勝したことで奮起。「今年、テレビで漫才するのは初めて」と言うほど無名の2人だったが、審査員の松本は採点後に「これぞ漫才っていう、久しぶりに見せてもろた」と絶賛した。

 同じく審査員の上沼恵美子(64)も、翌日の正午から放送されたラジオ番組「上沼恵美子のこころ晴天」(朝日放送ラジオ)で「久しぶりに天才を見たな」と感嘆し、「人のセンスを欲しいって思ったことがないけど、ああいうセンスが欲しいって思った」と称賛した。

 披露する漫才は、パターンが決まっている。ボケ役の駒場の母親が、必ず何かの名前を忘れる。M−1で披露した2つのネタなら、「母親が好きな朝食」と「母親が好きな和菓子」だった。

 駒場からヒントを聞くと、ツッコミの内海は簡単に、「コーンフレーク」と「最中」という答えを導き出す。

 するとボケの駒場が、「俺もコーンフレークと思ってたんやけどな、死ぬ前の最期のご飯もそれでいいって言うんや」、「俺も最中と思ってたんやけどな、オカンが言うには、スーパーで子供がそれを欲しくて泣いてた言うんや」などと伝える。

 これに内海は、「死ぬ前のご飯にコーンフレークは荷が重い」、「子供は最中でごねへんもんな」と撤回してしまう。

 だが駒場から、「何であんなに栄養素の五角形が大きいのか」、「皮が全部、上顎にひっつくらしい」という次のヒントが提示されると、再び内海は「コーンフレークやないかい!」、「最中やないか!」と叫ぶ。こうした同意と否定の繰り返しで、次第に観客は爆笑していく。

 80年代からお笑い番組の制作に携わっている、ベテランのプロデューサーは「かつてM−1の創始者、島田紳助さん(63)とも何度か接したことがあります」とした上で、「紳助さんもミルクボーイの漫才を高く評価しているはずです」と指摘する。

「ミルクボーイの2人が決勝戦で披露した2つのネタは、M−1史上で最も面白いというレベルでした。いや、お笑い史上に残るクオリティだったと言っていいかもしれません。中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、若き日の中田カウス・ボタンというビッグネームを彷彿とさせる、超・正当派の漫才でした」

 スポニチアネックスは12月23日、「サンド伊達 ミルクボーイVに『ん?…かぶるなぁ』 ぺこぱには『驚いた』」を配信、サンドウィッチマンの伊達みきお(45)が更新したブログを紹介した。

 この中で、伊達はミルクボーイについて「島田洋七師匠みたいなしゃべり方で……堂々として滑舌も良いし面白かった!」と高く評価したが、このプロデューサーも期せずして島田洋七(69)の名前を出す。

「紳助さんはデビュー前から、島田洋七さんを強く意識していました。洋七さんは1971年、島田洋之介・今喜多代に弟子入りします。翌72年に初代B&Bを結成しましたが、すぐに解散。73年に今はのりお・よしおで知られる上方よしおさん(67)と2代目B&Bを組み、桁違いのスピードでまくしたてる漫才が業界に衝撃を与えました。この時、18歳の紳助さんは洋七さんをテレビで見て、『島田洋七を倒す事に俺の青春を賭けよう』と決心、島田洋之介・今喜多代に弟子入りしたのです」

 人名が不思議な縁でつながっていく。島田洋七――島田紳助――ミルクボーイというラインが浮かび上がる。そこに審査員の上沼恵美子も加わる。

「紳助さんは若い頃、海原千里・万里の漫才にも感動したそうです。この海原千里が現在の上沼恵美子さんです。そのため紳助さんは今でも上沼さんに深い敬意を払っていますが、その上沼さんがミルクボーイを『天才肌』と評したことも、どれだけミルクボーイの漫才が素晴らしいかを語っていると思います」(同)

 紳助は漫才でナンバーワンを目指すため、過去の名人も必死で研究した。そして「歴代で最高のコンビは中田ダイマル・ラケット」と結論づけたという。

「私はミルクボーイの漫才に中田ダイマル・ラケットを思い出しました。きっと紳助さんも同じことを考えたと思います。ミルクボーイの漫才は、全盛期のB&B、紳助・竜介に勝るとも劣らないテンポと間でした。復活を決心してからは、芸人仲間の誘いも断ってネタ作りと練習に心血を注いだそうです。一心不乱に努力すれば、必ず報われるという日本人が愛するストーリーを提示できたこともあり、本当に素晴らしいコンビにやっと脚光が当たったと思います」(同)

週刊新潮WEB取材班

2019年12月27日掲載

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