7歳少女まで「賄賂」を理解「カザフスタン」の驚愕「社会システム」
2年前、カザフスタンの若い女性がインスタグラムに投稿した写真に波紋が広がった。運転免許証を左手に持った彼女の写真に、こんなコメントがついていたからだ。
「免許証を買ってもらっちゃった。(中略)パパありがとう」
カザフスタンでは、運転免許証が売り買いされているという。しかも、それは誰もが知る「公然の秘密」らしい。そうは言っても、さすがにSNSで実名告白されると面食らうというわけで、この投稿は話題を呼んだ。
10月28日に刊行された『〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン』(白水社)に登場するエピソードである。
ジェトロ・アジア経済研究所でカザフスタンを研究してきた著者の岡奈津子さんは、生活のあらゆる場面に介在する「賄賂」を通して、カザフスタンの人びとの「暮らし」を描き出す。
本書で紹介されるエピソードには、嘘みたいな本当の話に思わずクスッとしてしまうものもあれば、事態のあまりの深刻さに言葉を失うものもある。
カザフスタンではどのような賄賂が交わされているのか、なぜ賄賂が横行するのか、岡さんに聞いた。
賄賂はごくありふれたこと
――なぜ「賄賂」について調査しようと思ったのでしょうか?
現地の友人と話をしていると、「病院で『謝礼』を取られた」「孫を保育園に預けているんだけど、臆面もなく備品を買うよう言われる」といった経験談がよく出てくる。彼らにとっては、賄賂がごくありふれたことなのです。
私はもともとカザフスタンの少数民族や民族政策について研究していたのですが、常に関心があったのは人びとの「暮らし」。そこで、賄賂を通してカザフスタンの人たちがどのような暮らしをしていて、どのようなことを感じているのかということを知りたいと思い、調べ始めました。
断っておきたいのは、カザフスタンが腐敗にまみれたひどい国だということを伝えたいわけではないということ。とりたててカザフスタンのマイナス面を強調して書きたかったわけでもありませんし、これはカザフスタンだけの問題ではなくて、大なり小なり旧ソ連地域に共通する問題です。カザフスタンは旧ソ連の中では相対的に自由度が高く、だからこそできた調査でもある。
ハイポリティクスではなく、私たちと同じカザフスタンの庶民が日々どんな問題に直面し、どんな暮らしをしているのかということを伝えられたら嬉しいです。
――どのように調査したのでしょうか?
社会調査をしている専門機関に仲介してもらい、10代から70代の男女、合計148人にインタビューしました。インタビューでは苗字を聞かず、個人を特定できないように配慮したので、文中では仮名にしています。
遠回しに話したくないとおっしゃる方もいましたが、みなさん割と抵抗感なくインタビューに応じてくれました。彼らにとっては、袖の下を渡して物事を解決するというのは、ごく当たり前の行為だからです。
ただ、私の方には何となく心苦しさがありました。これまで現地の人にいろいろな形でお世話になってきていて、本来は自分が恩返しをしないといけない人たちなのに、負の面ばかりほじくり出しているのではないか、と。
私がこういう研究をしているのだと理解して話してくれる方もいれば、中にはなぜ外国人がわざわざカザフスタンに来て、我が国にとってマイナスになるようなことを聞くのかと不愉快に思う方もいて、申し訳ないなという気持ちは常にありました。
運転免許証から医療サービスまで
――どのようなことに「賄賂」が支払われるのでしょうか?
運転免許証を買ったという話は耳にタコができるくらい聞きました。あとは交通違反のもみ消し、徴兵逃れ、保育園の入園、大学の入学、学位取得、教員や警察官などの公務員への就職、ビジネス上の手続き、医療サービス、あらゆる場面に「賄賂」が介在します。
賄賂には、やり取りされる便宜に応じておおよその相場があります。実際に払われる金額は人間関係や収入、その時々の状況次第で変動するのですが、徴兵逃れは1500~2000ドル、保育園の入園は200~500ドル。大学入学に必要な全国統一試験の点数を買うという話もよく出てきますが、2000~3000ドル程度を支払ったという人が多かったです。
ちなみにカザフスタンの2018年の労働者1人当たりの平均名目賃金は月額16万3000テンゲ(470ドル)です。
カザフスタンでは「掃除婦でも先生になれる」と言われます。
実際、カザフスタン西部のマングスタウ州で、法務省の調査機関が1990~2000年代に大学の卒業証書を取得した教師200名を調査したところ、ほぼ9割が大卒資格を持っていなかったという結果が出ました。内部告発などで「怪しい」とされた人がピンポイントで調査されたのだと思いますが、それにしても驚きの数字です。
こんなケースもありました。超大物政治家の親族同士が裁判で争うことになり、片方が5000ドル、もう片方が7000ドルの「賄賂」を裁判官に支払いました。すると裁判官は、政治家の親族というコネで拮抗する両者を公平に裁くために、差額の2000ドルを片方に返したというのです。全額返さないところが面白いですよね。
キルギス共和国の贈収賄に関する著書があるスウェーデンの政治学者ヨハン・エングヴァルは、「投資」という見方をします。公務員の給料が低くて暮らしていけないから「賄賂」を取るというのが通説ですが、そうではなく、最初に「賄賂」を支払って公務員の職を買っているので、その「初期投資」を回収しないといけないのだと。現地の人たちは、まさにそういう発想なのではないかと思います。
政府が腐敗の取り締まりを行うこともありますが、その結果、逮捕された人が再び警察官や裁判官に「賄賂」を払って見逃してもらう、ということが行われている。腐敗撲滅キャンペーンは政治色が強く、特定の政治家や政府高官を追い落とすために行われる傾向があります。
そのため、いくらルールを変えようが厳罰化しようが変わらないよね、という冷めた態度の人が多い。
――なぜ「賄賂」が横行するようになったのでしょうか
いくつか要因があると思います。
ソ連時代も賄賂がなかったわけではありませんが、非公式に問題を解決するのに使われたのは主に「コネ」で、必ずしも「カネ」は介在しませんでした。そこへ急激に市場経済が浸透したため、一気にお金が介在するようになったという面もあるでしょうし、共産党のコントロールが外れて縛るものがなくなり、大っぴらに行われるようになったという面もあるでしょう。
医療機関でやり取りされる賄賂に関して言えば、「公式な支払い」と「非公式な支払い」の区別があいまいのではないかと私は考えています。
医療サービスはソ連時代、実質的にタダでした。そこにお金がかかるようになったわけですが、一部の人たちには、国によって最低限保障されている以上の、よりよい治療を受けるために窓口で公式に支払うのと、自分を治療してくれる人に非公式に支払うのと、結局は同じじゃないかという感覚がある。
また、病院にお金を渡しても、自分を担当する医者や看護師がどれほど注意を向けてくれるか保証されない。それなら彼らに直接渡した方が安心だというのもあるのでしょう。
面白いのは、インタビューで「医療の腐敗がひどい」という人の話をよくよく聞くと、袖の下を要求されることだけでなく、「民間のクリニックの医療費が高すぎる」ということも「腐敗」と表現するのです。公式な支払いだけれど、それも「腐敗だ」と。
あるいは私立の保育園に高額な入園料がかかることを「腐敗」という人もいました。公式だろうが非公式だろうが、医療や教育に高いお金を取ること自体が悪い、という感覚なのです。
やはり「ソ連時代との比較」は折に触れて話題に上ります。日本ではあまりいいイメージが持たれていないソ連ですが、カザフスタンでは、手厚かった社会保障を念頭に「ソ連時代はよかった」と言う人が少なくありません。
「ママ、お金払ったの?」
――ソ連崩壊後に生まれ育った若い世代ほど賄賂に抵抗がないのでしょうか?
実際にそうであるかどうかはさておき、若ければ若いほど拝金主義的だと思われていることは確かです。
インタビューでは、ソ連崩壊後に生まれた20代後半(当時)の方が、自分より若い世代について、「彼らは友情ってものが分からない。すべてお金で動いていると思っているから」と話していました。若い世代の人たちでも、それよりもさらに若い世代の人たちを「なっていない」と言うのです。
その究極的な例が、ある女性の話でした。7歳の孫娘が、母親(女性の娘)が学校と交渉したおかげで自分の成績が良くなったのを知り、母親にこう言ったのだそうです。
「ママ、お金払ったの?」
この話は衝撃的でした。
別の24歳(当時)の男性は、こう話していました。
「このシステムの中で暮らすのは便利だが、ときおり、本当に嫌になる」
この男性は、私がインタビューの最後に「贈収賄の蔓延は今後どうなると思いますか?」と聞くと、「これ以上広まりようがない」と言って、こう続けました。
「広まるとしたら金額が上がるだけ」
現地の人と話していると、「システム」という言葉がよく出てきます。もともと多義的で抽象的な言葉ですが、「賄賂」の文脈で使われる「システム」は、誰も明確に定義することはできないけれど皆が知っている、「賄賂」を巡る社会的・組織的な構造を指しています。「システム」の構成員は、好むと好まざるとにかかわらず、その非公式な規範に従わなければならない。
このシステムでは自分の能力を活かせない、ちゃんと評価されないという思いを抱いている若者は多いと思います。
とはいえ、ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の退任を受けて2019年6月に行われた大統領選で、側近のカスムジョマルト・トカエフ氏が勝利した際、街頭に出て抗議活動をしたのも若者が中心でした。彼らがみんなこのままでいいと思っているわけではありません。
大統領は交代したけれども、今もナザルバエフ前大統領が実権を握っていると誰もが考えていますし、新大統領の下で国が変化しているという実感ももてない。それにストレスを感じている人は多いと思います。
――今後関心のあるテーマは?
カザフスタンは中国の「一帯一路」でも注目を集めていますが、中国ファクターは重要なテーマです。なかでも私が関心を持っているのは、新疆ウイグル自治区にいるカザフ人をめぐる問題です。
最近、新疆のウイグル人に対する人権侵害が国際的な批判を浴びていますが、新疆にはカザフ人も暮らしていて、ウイグル人と同じように弾圧されている。そのことにカザフスタンのカザフ人は心を痛めています。カザフスタンに移住しカザフスタン国籍を取得したけれど、親族の一部はまだ中国に残っているとか、家族が中国に行ったまま行方が分からなくなっているという人たちもいる。
中国政府との対立を望まないカザフスタン政府は表立って批判しませんが、避難してきた人たちの処遇をどうするのかということは今後向き合わないといけない問題です。