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われわれの暮らしや営みを、毎年のように脅かす自然災害。昨年9月6日未明、北海道の観測史上初めてという最大震度7を記録した胆振(いぶり)東部地震も、地域に深刻な影響を及ぼしました。主要産業に大打撃を与えた未曾有の全域停電(ブラックアウト)。そして道内の死者44人中、37人と最大の犠牲者を出したのが、震源に近い勇払郡厚真町(ゆうふつぐんあつまちょう)でした。
あれから1年余。新千歳空港から車で40分ほど走り、厚真町に入ると、大規模な土砂崩れでむき出しになった山肌が今もあちこちに残り、地震被害の甚大さを思い知らされます。
私が目指した先は、胆振東部エリアにあるJAとまこまい広域の青年部リーダー、堀田昌意(ほりたあつお)さん(37)の圃場(ほじょう)。水稲、小麦、大豆、原木(げんぼく)しいたけ、ハスカップ(勇払平野原産・スイカズラ科の果実)など、複合農業を展開する堀田さんの圃場では、折しも、大豆の収穫の真っ盛りでした。
北海道は、国内大豆の最大の産地。厚真町では、納豆加工用の小粒の大豆を主に栽培しています。何を隠そう、納豆は日々の食卓に欠かすことがない私の大の好物。納豆の元になる大豆の圃場を訪ねたのは、むろんこれが初めてで、感無量の思いです。
積雪寒冷の厳しい北海道の中にあって、気象条件に恵まれた胆振東部地域は、道内有数の農業地帯。しかし、肥沃な大地を利用し、厳しい基準に基づいて栽培されるブランド米「たんとうまい(胆東米/たんとうまい)」は、今回の地震で大きな被害を受けました。
堀田さんの水稲の圃場でも、16ヘクタールのうち2・7ヘクタール分に土砂が流入し、その分、昨年の収穫と今年の作付けを諦めたといいます。住宅や農機具倉庫も損壊。原木しいたけ栽培のハウスは、井形に整然と積み上げていた菌を植える「ホダ木」が崩れてしまいました。「JAの仲間やボランティアの皆さんの協力でなんとか組み直すことができた。有り難かった」と堀田さんは振り返ります。
堀田さんは、地元の工業高校を卒業後、仙台の自動車専門学校に進学。その後、実家に戻って就農の道を選びました。「これは親父の口癖だけど、“農業は好きな時に自分の好きなことができる”。稼ぎは“意欲”次第というのも魅力」と堀田さん。例えば、1年で捨てていたホダ木を2年使えるよう工夫し、しいたけの収穫量を増やしたのだそうです。堀田さんは、GPSトラクターやドローンの導入にも積極的です。その結果、1ヘクタールだった水稲の1区画を2・2ヘクタールにまで拡大。品質と収量のアップを実現しています。ストイックに創意工夫を重ねる一方、「地域全体のレベルアップも同時に為し遂げたい」という堀田さんの思いは、私たちアスリートの鍛錬の手法とも共通する部分があり、とても共感しました。
堀田さんは、就農以来、JA青年部の一員として活動を続け、JA道青協(北海道農協青年部協議会)の副会長も務めています。地域を活性化し、農業を守るためには、「新規就農の促進が必須」というのがかねての持論。ところが、例年10名以上いる希望者が、昨年は1名に。「今年は絶対に元のレベルに戻したい」と誓います。堀田さんは、父と妻、子供3人を支える一家の大黒柱。「震災の経験を子供たちに伝え、災害に強い町づくりに繋げていきたい。人が自然に寄ってくる町づくり、地域づくりを仲間と一緒に実らせていく」という青年部リーダーの夢が叶うよう、私も精一杯、応援したいと思います。
JAとまこまい広域が誕生したのは、2001(平成13)年。道内有数の農業地帯である胆振(いぶり)東部地域の6JAの合併によるもので、以来、本所の置かれた厚真町(あつまちょう)、苫小牧(とまこまい)市、白老町(しらおいちょう)、安平町(あびらちょう)、むかわ町(ちょう)の一部(旧穂別町)を含むエリアの多彩な農業と地域の暮らしを支え続けている。
同JAの宮田広幸・組合長(64)が言う。「基幹となるのは開拓時代からの歴史を持つ米。現在は高品質・低たんぱくなブランド米『たんとうまい(胆東米)』が市場の高い評価を得ています。ほかに、大豆、小麦、メロン、馬鈴薯、和牛、酪農、豚、各種野菜、とあらゆる農畜産物を手掛けています」。また厚真町は勇払(ゆうふつ)平野原産のスイカズラ科の果実「ハスカップ」の生産地として脚光を浴びている。
昨年9月の胆振東部地震では、管内で38人(厚真町37人・むかわ町1人)の犠牲者を出した。大半が山腹倒壊による土砂崩れによるものだった。「ほとんどが農業関係の方々です」と宮田組合長。3日に及ぶ停電、その後も続いた断水。「厚真町では、約1500ヘクタールの作付面積の約1割が土砂に埋もれました。昨年導入された厚真ダムからの導水管も破損し、農業用水も打撃を受けた。家屋、納屋、ハウスの倒壊。JAの農業施設も大きな被害を蒙った」。JAでは、直ちに本所に災害対策本部を設置。組合員の速やかな被害調査と共済金の支払いに努めた。支援の輪も広がった。全国のJAの支援隊等、延べ3000人を超えるボランティアが駆け付け、復興へ向けて汗を流した。「嬉しかったのは、10年前から『たんとうまい』を販売されているスーパーの『たまや』(神奈川県茅ケ崎市)が売り上げの一部を寄付してくださったこと。管内の大豆で納豆を作る『あづま食品』(栃木県宇都宮市)からも熱いご支援をいただきました」
宮田組合長がこう誓う。「お世話になった皆さんを笑顔でこちらにお迎えできるよう、全力で頑張ります」
納豆は大の好物で、「2019納豆クイーン」(全国納豆協同組合連合会)にも選ばれた私。その元になる大豆が収穫される現場に立ち会うことができ、本当に嬉しかったです。食卓のお料理の素材が、どのように作られるか、を知ることは、とても重要だと思います。町民すべてが被災者とされる厚真町。けれど、JAの組合長も、青年部リーダーの堀田さんも、復興にとても前向きで取り組んでおられ、逆にこちらの方がエネルギーをいただいたような気がします。厚真特産のハスカップのアイスクリームもとても美味しかった。健康にも良いとのこと。病みつきになりそうです。
[提供][提供]JAグループ [企画制作]新潮社 [撮影]荒井孝治 [ヘア&メイクアップ]岩澤あや [スタイリング]吉田謙一(SECESSION)