熊谷6人殺害事件はなぜ死刑にならない? 「永山基準」という量刑判断の呪縛

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永山基準

 裁判員制度がスタートして以降、一審の死刑判決が裁判官だけで審理する二審で破棄され、無期懲役となった例は、今回の事件を含めて6件を数える。

 松戸の女子大生殺害事件や、大阪・心斎橋の無差別通り魔殺人など、被告人はいずれも凶悪犯ばかり。にもかかわらず、なぜ「減刑」が続くのか。

 刑事訴訟法に詳しい甲南大学法科大学院の渡辺修教授によれば、

「一審判決に問題があるのなら、一審に差し戻して別の裁判員と裁判官に判断させるべきです。高裁が裁判員の加わった一審判決を破棄して、自分たちで量刑判断をすることがよく見られますが、これはプロの裁判官が量刑判断を握ろうとしているからに他なりません。彼らは裁判員制度が導入される前の判断基準を堅持したい。“市民と裁判官の協働”という制度の目的を無視していることは明らかです」

 裁判官が決して手放そうとしない量刑判断。その背後には、彼らが金科玉条のごとく崇める「基準」が見え隠れする。それが1983年に最高裁が示したいわゆる「永山基準」である。

 連続4人射殺事件で知られる永山則夫元死刑囚に対して最高裁判決が下される際に提示されたものだ。

「永山基準」は動機や被害者の人数、殺害方法の残虐さ、遺族の被害感情といった9項目からなる死刑の適用基準。裁判員制度が施行される前は、この基準で総合的に判断して「やむを得ない」場合に死刑が選択されてきた。被害者がひとりのみの場合は、強盗殺人や保険金殺人、身代金目的の誘拐や性犯罪を伴う残虐性の高い事件でなければ死刑はほぼ回避されてしまう。

 昭和末期に生まれた基準は、しかし、元号が令和に移り変わったいまも厳然たる影響力を保っている。

 加藤さんの長女・美咲ちゃんは、事件がなければ来年4月から高校生となり、次女の春花ちゃんも中学校に通い始めるはずだった。だが、たとえ春が訪れようと、愛娘が笑顔を咲かせることはもうない。

 いまも「現場」となった自宅で暮らす加藤さんは、

「妻子が帰る場所がなくなることは避けたかった。この家だけは守らなければいけないと思っています」

 かけがえのない肉親を失い、悲壮な思いを抱える遺族を、裁判で再び絶望の淵に追いやってはならない。

(2)へつづく

週刊新潮 2019年12月19日号掲載

特集「『永山基準』という呪縛! どうして『新潟女児殺害』『熊谷6人殺し』が死刑じゃないのか」より

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