13年間義母を介護した城戸真亜子さんが語る「介護と排泄」現場事情

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白髪になってからでは手遅れ!「介護と排泄」現場(1/2)

 現在の日本で、介護を要すると認定されているのは660万人。この20年間で3倍に増加するなど、まさに国民的課題と言える。当事者にとって深刻な問題なのが「排泄」の処理だ。

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 約半世紀前にベストセラーとなった有吉佐和子『恍惚の人』は、高齢社会の実態を詳(つまび)らかにした先駆的な作品である。その中で印象的なのは、主人公が、布団の中で粗相をした義父のオムツの後始末をする場面。

〈一枚や二枚のタオルでは足りず、遂にバケツに少量の石鹸水を落して、微温湯(ぬるまゆ)で丁寧に拭き潔(きよ)めた〉

〈死ぬと言われている老人が、これだけの物を押し出すには随分力がいったと思われるのに、熱の中で昏々(こんこん)と眠りながら(中略)排泄をしたのだろうか〉

 主人公が「髪を逆立てるようにして」処理をする一方で、夫はその光景を、身体を強張らせて見つめるだけだった。

 それから四半世紀後、やはりベストセラーとなったのが、佐江衆一の『黄落』である。

 寝たきりとなった実母の“下の世話”をする主人公。母のオムツを取ると、下半身があらわになる。

〈私は目をそらした。(中略)母の陰毛があった。(中略)母の繁みが女のしるしを剥き出していた。左の太股がわずかに動き、膝を少し立てて、母は隠そうとした。介助なしには生きられない八十八歳の母が、息子の私に見せた生身の女の羞恥の仕種(しぐさ)だった〉

 所詮、人間は獣の一種だ。どんな聖人君子であっても、食べ、眠り、そして出す……その営みから逃れることは出来ない。そして「介護」という“特殊状況”に追い込まれると、普段隠されてきたその事実が顕在化し、介護する側も、される側も当惑する……。

「私も排泄ケアには考えさせられました」

 と言うのは、画家でタレントの城戸真亜子さん。城戸さんは本業の傍ら、義母の介護を13年間続けた経験を持つ。

「はじめの頃は時折ズボンのあたりが臭うかな、という程度。それがだんだんと日常茶飯事になっていきましたが、義母は認めたがらなかったんです。介護が本格化してきても、その気持ちは変わらず、腰椎圧迫骨折を起こした時には、近くのベランダで用を足そうとしていたこともありました。トイレで排泄できないことがどれだけ苦痛で、人に隠したいことなのかを痛感しました。朝、なかなか起きたがらなかったのも、漏らしているかもしれないという、恐怖ゆえだったと思います。私もその話題はしないように努めました」

 城戸さん自身は、排泄ケアにはそれほど苦痛を感じなかったという。

「義母を快適にするためにはどうすれば良いのか、試行錯誤が楽しくて……。オムツから頻繁に漏れることがあれば、その部分だけパットを重ねたり、寝ている時と日中では排泄物が伝う方向も違うので着け方を変えたり……。病院でウォシュレットのようにボトルから水をかけて汚れを落としているのを見た時も、マネして食器用洗剤の容器で代用したり。これには義母も快適そうでした」

 DIYのようで楽しかった、と言うのである。

 その後、特別養護老人ホームに入っても、排泄との“付き合い”は続く。

「とてもよくしてもらったのですが、施設だと、どうしても入居者全員に意識を向けることは出来ません。不快感のためにオムツの中に入れた手を排泄物で汚してしまうこともあったそうです。これはオムツ替えが遅れたことが原因です」

 義母は2年前に大往生を遂げたが、未だに当時の日々を思い出す、というのだ。

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