小藪ポスター炎上で話題「人生会議」から透けて見える「医療費を削減したい」厚労省の思惑

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国家の過干渉

 10年に及ぶがん闘病の末に在宅医療を選んだ巨泉氏は、「週刊現代」に寄せたコラムの最終回で、初めて自宅を訪れた医師とのやり取りを明かしている。

〈いきなりボクに「大橋さん。どこで死にたいですか?」と訊いてきた。(中略)ボクは既に死ぬ覚悟はできていたのだが、「エッ? 俺もう死ぬの?」と呆然とした〉

 家族の有無や親子関係、病に対峙する気構え、経済状態など、患者を巡る環境は千差万別である。にもかかわらず、一律に捉え、

「まだガイドラインすらなく、医療関係者にも浸透していないACPについて、啓蒙活動を急ぐこと自体が本末転倒でしょう。ポスターの文言は在宅医療を勧めているようにも読める。在宅医療を増やして医療費を削減したい厚労省の思惑が透けて見えます。本当に広めたいのであれば、ACPを保険適用にするなどの方策も考えてほしい」(勝俣医師)

 皮肉なことに、騒動によって「人生会議」の知名度は全国区になった。だが、現段階であのようなポスターを打ち出すこと自体が、踏むべきステップを二段飛ばし、三段飛ばししているというワケである。

 他方、評論家の唐沢俊一氏の分析はこうだ。

「炎上劇を見て改めて感じたのは、日本人が“死”を意識することを苦手としているという事実です。もしかすると、死を“ケガレ”とみなす古来の神道的な考え方に由来しているのではないか。病院やホテルが4階や4号室をあえて飛ばすのも、“し”という言葉を避けたい、極めて日本的な思考が背景にある。今回はSNS上の不謹慎バッシングまで重なって大炎上してしまった。とはいえ、目先の快・不快を乗り越えて、将来的な利益を意識するのが大人の考え方だと思います」

 評論家の呉智英氏は、さらに手厳しい。

「人生会議というネーミング自体、野暮ったくて流行りそうにありません。そもそも、患者本人と身内が話し合って解決すべき問題でしょう。それを国家がポスターまで作って促進するなんて過干渉としか言いようがない。いかにも役人が頭のなかで考えたアイディアだし、芸人を使って無理に面白くしようとする姿勢もみっともないだけですよ」

 呉氏も3年前に91歳の母親を看取っている。

「長いこと糖尿病を患っていたせいで身体中にガタがきていました。足先は壊死して骨が見えそうなほど。痛みが激しいので母はモルヒネ系の痛み止めを欲しがった。ただ、医者は“他の臓器に影響が出る”と言って反対するんです。やはり医療ミスと言われるのを嫌がったのでしょう。厚労省が終末期ケアを推進するなら、まずは現場の足かせを取り払うような法整備をすべきです。安楽死や尊厳死の法整備も含めて選択肢を増やしてほしい。その方が“人生会議”なんて安っぽい看板を掲げるより、よっぽど効果的だと思います」

 常に死を思い、限りある人生を享受する。お上にお節介を焼かれるまでもなく、自ら考え、家族と話し合い、エンディングまで見通して生きることが、古代ローマ時代から変わらぬ成熟した大人の姿だろう。

週刊新潮 2019年12月12日号掲載

特集「エンディングにまでお上がお節介! 踊ってスベる『人生会議』騒動への溜め息」より

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