ジョージア・ワイン・ルネッサンス(2)クヴェヴリの秘密「唯一無二の魔法のタイムマシン」
今回は前回に引き続いて、ジョージアを代表するクヴェヴリワインの醸造家、ジョン・ワーデマンの講演をもとに、ジョージア・ワインの秘密に迫りたい。その核心は「クヴェヴリ」と呼ばれる甕である。
2013年にユネスコの無形文化遺産にジョージアの伝統的なワイン造りが登録された際も、「クヴェヴリを利用した製法」と明記された。もっとも、わずか十数年前にはクヴェヴリ製造の存続自体が危機に瀕していた。ジョージア・ワインの「復活」はクヴェヴリそのものの「復活」とほぼ同義であり、それはジョージアの伝統の再生とも重なる。クヴェヴリこそ、ジョージア伝統文化の1つの象徴なのである。
ワインは新しい生命の誕生
クヴェヴリを大地に埋めることからジョージアの伝統的なワイン醸造はスタートする。
地下に埋めたクヴェヴリにブドウを果皮ごと漬け込むことで、ジョージアのオレンジ・ワインが熟成されるのである。
オレンジ・ワインは、白ブドウを赤ワインと同じ方法(果皮や種子と一緒に熟成させる)で造るワインの総称で、赤、白、ロゼに続く第4の種類として注目を集めている。
なお、ジョージア語では「カルヴィスペリ・グヴィノ」、すなわち「琥珀色のワイン」、英語で言うところの「アンバー・ワイン」と呼んでいる。「グラスの中の太陽」とか、日の光がワインの中に差し込むといった形容の仕方も存在する。
ジョージアでは、収穫したブドウをクヴェヴリに漬け込んで醸されるワインを、胎児に喩える。母なる大地よりいずるブドウは、父なる天空の光を浴びて育ち、人の手を経てふたたび母なる大地に戻される。そして、数カ月「胎内」で大地と呼吸しながら成長していくのである。まさしくワイン造りは、新しい生命の誕生になぞらえられる。
それほど神聖かつ重要な営みゆえに、前回最後に紹介したワインないしクヴェヴリが「住民」の「ワイン村」まで存在するわけだ。
先祖代々受け継がれるクヴェヴリ
クヴェヴリの一番の肝はジョン曰く、「無色透明」であることとだという。
クヴェヴリはまさにブドウが大地と自然に呼吸するための媒介者であり、ブドウがワインに熟す過程を母親のごとく慈しみ、悪いバクテリアなどから我が子のように守る。
しかし、樽が色や香りをワインに移すのとは対照的に、クヴェヴリそのものはワインの色や味覚の展開に直接関与しない。決して子どもの成長に介入せずに、あくまで自然に熟すのを見守る、まさに慈愛溢れる“母親の胎内”と言えるだろうか。
また、クヴェヴリは先祖代々継承され、分家を立てる際には実家からクヴェヴリを分けてもらうことが習わしであったという。実際に有名醸造家の中には百年以上前のいわば「形見分け」クヴェヴリを今も使用している家がある。
今から半世紀以上前、大きな災害の発生時に西ジョージアから東ジョージアに移住した一家を訪れたことがあるが、その時にも先々代がはるばる実家からもってきたというクヴェヴリを見せてもらった。
なお、クヴェヴリについては、フランス在住の写真家Keiko&Maika氏の素晴らしい写真集が存在する。クヴェヴリ復活初期の姿を日本人がカメラに収めてきたことは誇りに思える。首都トビリシの自然ワインレストランでも、彼女たちの写真が至る所に飾られているので、是非注目していただきたい。
予約が世界中から殺到
ここで国際文化会館で行われたジョンの講演に戻ろう。ジョンはクヴェヴリ造りの写真を見せながら、レクチャーを進めていった。
冒頭の写真に写っているのは、クヴェヴリ職人のザリコ・ボジャゼ氏である。彼は存命のクヴェヴリ職人の中でもっとも有名な人物であり、郷里の西ジョージア・イメレティ地方でクヴェヴリを造り続けている。1990年代末には、自分の代でクヴェヴリ造りは終わってしまうと考えていたという。しかし、今や予約が世界中から殺到している状態である。そして嬉しいことに、この伝統を引き継ごうとする若者も現れだしたという。
この連載を「ルネッサンス」と名付けたのは、まさに、ジョージアの国づくりとジョージア・ナチュラル・ワイン復興が軌を一にしているからであり、だからこそ歴史研究者の自分にとっても、この現象は非常に興味深い。
ワインが国づくりに直結する国など、なかなか世界にないだろう。しかし、ジョージアではあらゆる意味において、ナチュラル・ワインが彼らの誇りとする伝統文化の象徴であり、粋そのものなのである。
クヴェヴリ造りも1年がかり
さて、ジョンはクヴェヴリ造りの過程を順を追って説明していった。クヴェヴリもワインと同じで1年かけて造られる。そのため、製造サイクルがおおよそ決まっている。
だいたい夏に造り始め、冬は基本的には作業をしない。暑すぎても寒すぎてもクヴェヴリを精巧に造り上げるには条件が悪いのである。
クヴェヴリ造りで重要なことは、きれいに乾燥させることである。クヴェヴリの中に水分が残っていると、バクテリアが繁殖する可能性が生じてしまう。とにかく十分に乾かさないといけない。そのため、気温が高すぎてもよくないし(しかも西ジョージアの夏はとりわけ高温多湿である)、気温が低すぎると水分が逃げていかない。
したがって夏に造り始めたクヴェヴリは、1年がかりで次の夏前に完成する。そしてワイン農家の手に渡って地中に埋め込まれ、秋には新しく収穫されたブドウを入れて熟成が始まるというわけである。
バクテリアの侵入を防ぐ「蜜蝋」
クヴェヴリ職人はいくつかのクヴェヴリを同時並行で制作しており、毎日約10センチずつ粘土を上にのせて、丁寧に乾かし、また次の日に作業を続けるという。
成形が終わっても、完成ではない。クヴェヴリは、1週間から10日ほど焼き上げなければならない。この時、1000度以上に耐えられないようなクヴェヴリは「失格」と見なされる。
そして仕上げは蜜蝋だ。クヴェヴリの外側に蜜蝋の層をつくるのではなく、クヴェヴリの内側に蝋を塗り込んでいく。こうすれば、ワインの滲出だけでなく、地中のバクテリアがクヴェヴリの内部に侵入するのを防ぐことが出来る。
ちなみにバクテリアのせいでワイン造りが失敗してしまうことは少なくないらしい。今回のレクチャーに参加したもう1人のジョン(ジョン・オクロ、本名はジョニ・オクルアシュヴィリ。同じく醸造家)は、最近もフランスまで「出張」してクヴェヴリの洗浄を行ったという。電子コイルで中から高熱で菌を死滅させるとのことで、クヴェヴリが高い温度に耐えなければならないのも納得である。
また、ジョージアはキリスト教国家なので、宗教的にも蜜蝋はたいへん大事なものである。筆者も聖地アトスでいただいた大きな蝋燭を大事に保存している。その意味では、クヴェヴリ文化の様々な部分にジョージアらしさを認めることができるだろう。これもまた、付け足しであるが、ジョージアの蜂蜜もまた絶品である。
自ずと対流が発生する卵型
このように、土で出来ているクヴェヴリを通して、中のブドウが大地と自然に呼吸して熟成されることが肝要である。
先述の通り、ブドウのジュースだけでなく、果皮ごと漬け込む。発酵している最中のスライドを見ると、ガスがどんどんでてきて、皮が上に浮かんでくる。
しかし、決して乾燥させてはならないという。そこで、1日に3、4回ほど、人力で混ぜていくことになる。筆者も間近で見学したことがあるが、クヴェヴリが大きければかなりの重労働である。
発酵が終わり、果皮が沈んでいけば、蓋をして冬の間熟成を待つことになる。そして、春の訪れとともに、“新しい生命”の誕生を祝うのである。
なお、西ジョージアでは伝統的にジュースのみでワインを造ることが多く、ジョージアのクヴェヴリ製法による伝統的ワインが全て「アンバー」ではない点も、注意が必要だろう。
最後に、クヴェヴリの形の科学的な合理性を指摘しておこう。
クヴェヴリ内部で熟成が進むのは、卵型のその形により、発酵の過程でクヴェヴリ内部に自ずと対流が発生し、混ざり合っていくからだという。
イギリスで物理学博士号を取得している先のジョン・オクロは、クヴェヴリでワインを醸造する理由を問われて、「何よりも先祖代々から受け継いだものだから」と述べつつも、それがまさにもっとも合理的な造り方であることを誇らしげに説明していた。
ジョージアきってのIT技術者であるジョン・オクロが完全無農薬のナチュラル・ワインにこだわる理由は、まさに「伝統」と「最先端科学」が重なるからではないだろうか。
それは、ジョージアの伝統の精髄としてワイン造りに励むジョン・ワーデマンの精神にもつながり、まだ20代のショータ・ラガジ(ショタ・ラガジゼ)がこれから発展させていくジョージア・ワインの魂でもあるのだ。古代製法にして最先端、クヴェヴリはジョージアの過去と現在をつなぐ唯一無二の「魔法のタイムマシン」とでもいったらよいだろうか。