「不妊治療」中国人患者受け入れが日本の医療を救う 医療崩壊(30)

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「日本で男女の産み分けができる産婦人科医を紹介して貰えないでしょうか。御礼は支払います」

 知人の中国人女性から相談を受けた。この女性は、生殖医療を希望する中国人カップルを海外の医療機関に斡旋することを生業としている。その中には日本の医療機関も含まれる。

 中国では不妊治療を求めるカップルが激増している。きっかけは2015年10月に中国で「1人っ子政策」が解除されたことだ。

 1979年に導入されたこの制度は、中国に急速な高齢化をもたらした。2015年に15.2%だった60歳以上の割合は、2050年には36.5%に達する。

 高齢化に喘ぐ日本の60歳以上の割合は2015年で33.1%だ。いまの日本以上になる。

 中国人の対応は迅速だった。彼らは国家に頼らない。助けてくれるのは家族だけと割り切っている。やることは極端だ。

 2016年には61歳の女性が生殖補助技術を用いて出産した。30歳の娘が病死したため、新たな子どもを欲したのだ。

 1人っ子政策が終わると、中国人カップルは一斉に子どもを作り始めた。驚くべきことだが、2017年には第2子の出生数が第1子を上回った。

 2018年のわが国の状況は、第1子が42.6万人、第2子が33.8万人、第3子以降が15.4万人だ。中国の状況が如何に異様かおわかり頂けるだろう。

「不妊治療は日本」を望む中国人

 第2子を願う中国人は問題に直面する。それが不妊症だ。

 日本では、不妊症は老化に伴う自然現象と見なされているが、世界では必ずしもそうではない。高血圧や糖尿病と同様に病気と見なされ、積極的に治療されている。世界の医師の中にはがん、心疾患、脳血管障害とともに「21世紀の3大疾患」と考える人もいる。

 中国は不妊症大国だ。有病率は15~20%と推定されている。出産適齢期(21~49歳)の女性が約3.1億人いるため、4000万~5000万人の女性が不妊に悩む。35歳以上を高齢出産とすれば、単純計算で2000万人以上が高齢の不妊症となる。

 彼らにとって残された出産のチャンスは多くない。第2子は第1子と異なる性別を希望することが多い。

 また、高齢出産では先天奇形や未熟児のリスクが高まる。着床前診断(PGD)・スクリーニング(PGS)を用いれば、産み分けや遺伝子診断が可能になる。希望する人は多い。

 ところが、36年間にわたり1人っ子政策を続けてきた中国では、不妊治療の専門家が不足している。2019年5月現在、中国政府が認定した不妊治療施設は全国で497しかない。上海や北京でさえ20施設程度だ。

 さらに、中国での不妊治療の規制は厳しい。結婚しているカップルに限定され、同性カップルへの第三者からの精子や卵の提供、代理母は禁止されている。PGDやPGSも規制されている。

 日本人なら「日本では受けることができない」と諦めるだろう。中国人は違う。医療を求めて海外に出ることを厭わない。これは不妊治療に限った話ではない。

 筆者たちのグループは、新宿・立川・川崎の駅ナカでナビタスクリニックという「コンビニクリニック」を経営している。主要なサービスの1つがワクチン接種だ。

 2016年4月から19年7月までの間に、1287人がヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンを接種したが、このうち903人は中国人だった。来日の理由は留学(500人)や就労(139人)が多いが、201人はワクチン接種を含む医療ツーリズム目的で訪日した。

 私も、このような中国人を診療したが、「なぜ日本で打つの」と聞くと、「中国の医療は信頼できず、日本でいい医療を受けたい」と言われた。ナビタスクリニックを知った経緯は「SNSや友人からの紹介」だ。日本でのHPVワクチンの副反応騒動は知っているが、「全く気にならない。将来、がんにならないなら、予防しておきたい」そうだ。

 ワクチンでこの状態なのだから、不妊治療ならもっと関心が高いだろう。既に、大量の中国人が不妊治療を求め、国外に出ている。

世界で患者争奪戦

 最近、総合情報誌『選択』に興味深い記事が掲載された。2019年10月号掲載の『中国「不妊治療」一千万人の壮絶』だ。筆者が中国人の知人にこの記事を見せたところ、「この記事の通りです」とコメントをもらった。

 この記事を読んで、私が興味を抱いたのは、世界中が不妊治療を希望する中国人カップルの争奪戦を繰り広げていることだ。

 2017年には1万5000人の中国人が国外で治療を受け、市場規模は14億ドル。毎年20%以上成長している。

 では、どのような国が中国人を「誘致」しているのだろう。

 その筆頭がタイだ。タイ政府はメディカルツーリズムを国策としているが、不妊治療はその中核だ。バンコクを中心に9施設が中国人患者を受け入れている。中国で禁止されている男女の産み分けや着床前診断も行っている。費用は不妊治療1回あたり100万~200万円と、中国国内の相場(50万円)より高いが、希望者が殺到している。

 中国人がタイに殺到するのは、サービスが行き届いているからだ。ただ、その医療に満足しているわけではない。前出の知人は「どうせカネを出すなら、医療レベルが高い国で不妊治療を受けたいと希望する人が多い」という。

 彼らが、医療レベルが高いと考えるのは米国と日本だ。ところが、両者への評価は全く異なる。

 前出の知人は、「日本の不妊治療の評価は、日本人が考えるほど高くない」という。それは医療レベルに不安があるからではない。規制が強く、情報公開に消極的だからだ。

 例えば、米国ではPGS・PGDは勿論、第三者からの精子・卵の提供、代理母まで全て合法だ。米国人の代理母から生まれた子どもは米国籍を取得できる。

 一方、このような行為は、わが国では原則として禁止されている。ただ、そのやり方がいかにも日本らしい。

 国会での立法という手続きを経ず、日本産科婦人科学会の「事前規制」がデファクト・スタンダードとなっているのだ。私が調べた範囲でこのような先進国はない。

 同会のホームページには、「倫理に関する見解一覧」というページがあり、「体外受精・胚移植に関する見解」や「『着床前診断』に関する見解」などを掲載している。その中には「認可された施設より申請された症例の審査を開始しました」と記載がある。

民間専門病院がリードするが

 胚移植や着床前診断を議論する際、医学的な問題と倫理は分けて考えねばならない。

 前者について判断できるのは専門家だけだ。この意味で日本産科婦人科学会が「見解」を表明することは、国民にとってありがたい。

 ただ、国民が彼らに期待するのは医学的判断だ。その際に重要なのは、治療法のメリット・デメリットを説明し、患者が自ら判断するのをサポートすることだ。海外の状況も併せて教えるべきである。

 不妊治療に関する米国での状況は前述の通りだ。技術的には、ほぼ確立していると言っていい。日本産科婦人科学会は、このことをもっと強調すべきだ。

 問題は倫理面での議論だ。この問題は難しい。生命操作をどう考えるかは、価値観の問題であり、議論をしてもコンセンサスは形成しがたい。現に米国がそうなっている。ただ、そうは言ってもまずは議論をするしかない。

 その議論の主体は国民だ。専門家、特に日本産科婦人科学会がリードする問題ではない。それは幹部の肩書をみても明らかだ。学会の理事(理事長を含む)は25人の産婦人科医により構成されているが、全員が大学教授で、24人は男性だ。これで不妊症に悩む若きカップルの不安が、どれだけわかるのだろうか。

 このことは、彼らも後ろめたく思っているのだろう。私は、彼らの肩書を調べるため、ホームページの理事会名簿を調べたが、「〇〇大学教授」のような形での所属は記載されていなかった。これは異様なことだし、情報開示の点でも問題がある。

 話を戻そう。日本では、日本産科婦人科学会が不妊治療に様々な規制をかけた結果、不妊治療は民間の専門病院がリードすることとなった。

 2016年2月7日の『読売新聞』「[病院の実力]不妊治療 心身に負担 年齢設定も=東京」によれば、都内で2014年度に不妊治療により出産した症例数が多いのは、トップが「加藤レディスクリニック」で5705件、ついで「杉山産婦人科」1601件、「梅ヶ丘産婦人科」1029件と続く。大学病院でもっとも多いのは「慶應義塾大学病院」で245件だ。「東大病院」は128件に過ぎない。

 このような民間の専門病院が主導した結果、わが国は世界で最も不妊治療が盛んな国となった。国際生殖補助医療監視委員会が2018年に発表した報告では、2011年に実施された生殖補助医療の回数は26万8255件で、2位の米国の12万1654件の倍以上だ。

 量は質に転化する。日本の不妊治療のレベルは高い。ところが、このことを中国人の知人は納得できない。

 なぜなら、日本の不妊治療は成功率が低いからだ。1回の採卵あたりの成功率は6.2%で、世界平均20%を下回り、先進国で最低だ。

 どうして、こんなことになるのだろう。それは患者が高齢だからだ。日本では40歳以上が3割を占めるが、他の先進国は2割程度だ。

 これは、サービス提供者が需要を生み出し、メディアや政府が後押ししたからだ。街を歩いていると、不妊治療専門クリニックの看板が目立つし、メディアも頻回に取り上げる。新聞データベース『日経テレコン』を用いて調べたところ、過去1年間に『読売新聞』は136回、『朝日新聞』は97回、『日経新聞電子版』が53回も記事を掲載している。

 世論が動けば、政府も追随する。国は不妊治療の費用を助成している。初回治療で30万円、2回目以降は15万円だ。2019年度からは、男性不妊治療の助成額を初回15万円から女性と同水準の30万円に引き上げた。助成をうける患者は、2016年度には約14万件となり、2008年度の2倍だ。

 少子高齢化に喘ぐわが国で、不妊治療は官民一体となった「公共事業」の如き存在だが、それでも最近は調子が悪い。不妊症治療クリニックの数は、2000年の511から2010年には591に増加したが、2016年には604と伸び悩んでいる。市場が飽和したためだ。

 今後、この業界が「成長」するには、新たな「顧客」を開拓しなければならない。前出の知人は、「中国人は日本人の3割増しから2倍くらいのカネを払う」という。経営難に苦しむ医療機関にとってありがたい存在だ。

 ところが、中国人を受け入れることで息を吹き返した旅行業界、ドラッグストア業界などのようにはいかない。それは、「医師不足の日本で金儲けのために海外から患者を誘致するとは何事か」と考える国民、医療関係者が多いからだ。

アジア全体に視野を

 私の考えは違う。そんなことを言っている限り、日本の医療は衰退するしかない。日本の医療を守るためには、中国人患者を受け入れるべきだ。

 わが国で産婦人科医は不足している。厚労省は「診療科の偏在」を問題視し、大学教授や病院経営者は「若いお医者さんは激務を嫌って、外科・小児科・産婦人科を避ける」という。楽を求めるけしからん連中なので、労働条件が厳しい産婦人科や外科、あるいは地方病院での勤務を義務付けなければならないという論調になる。

 彼らには若手医師の行動は、このように映っているのだろう。このような若者が全くいないとは言わないが、それはごく一部だ。

 若手医師が外科、小児科、産婦人科を選ばないのは、その診療科の将来に不安があるからだ。このような診療科では、将来、患者が激減する。

 例えば消化器外科の場合だ。従来、この診療科の主な手術は胃がんだった。ところが、胃がん手術の将来は明るくない。内視鏡の進歩により、内科医が多くの患者を治療するようになったからだ。

 さらに、胃がんの原因の殆どがピロリ菌の感染によるものとわかり、感染予防対策が取られるようになった。浅香正博氏(北海道医療大学学長)の研究によれば、2010年の段階で60歳以上の8割がピロリ菌に感染していたが、10代では1割だ。多くの感染者が除菌治療を受けるため、胃がん患者は激減する。知人の40代後半の消化器外科医は、「上部消化管外科医になることは絶対に勧めません」という。この医師は10年ほど前にメスをおき、内視鏡専門医に転身した。

 私が専門としてきた造血幹移植もそうだ。かつては血液内科の花形だった。ところが、もはや過去の勢いはない。

 この治療の特徴は、抗癌剤や放射線による副作用が強いことだ。対象となる患者はほぼ50代以下に限定される。日本造血細胞移植学会が提供する「日本における造血幹細胞移植の実績2018年度」によれば、自家移植・同種移植を併せて約5500件の移植が実施されているが、このうち7割は50代以下だ。

 造血幹細胞移植は90年半ばから2000年代前半にかけて急成長するが、これは団塊世代ががんの好発年齢である50代になったためだ。

 彼らが60代となる2000年代半ば以降、症例数の増加は鈍化する。また、新薬の登場で移植が不要になった患者が増えたことも大きい。

 図1(記事冒頭)は造血幹細胞移植の症例数の増加率の推移を示す。「日本における造血幹細胞移植の実績2018年度」を用いて、当研究所でインターンを務める原田夏與さんが作成した。近年、急速に成長が減速しているのがわかる。

 最近、国立がんセンター時代に一緒に働いた看護師さんと話す機会があった。彼女は「先生が働いていた頃(2001~05年)と先生方の顔ぶれはあまり変わらない。みんな歳をとりましたよ」と言った。

 筆者が赴任した2001年当時、国立がんセンターには3つの移植チームが存在したが、チームリーダーの年齢は筆者が最年少の32歳、残りの2人は41歳だった。歴史の浅い急成長する領域で、年配の医師はおらず、若いうちから多くの経験を積めた。仕事は激務だったが、多勢の若手医師が研修にやってきた。

 その領域が成長しなくなれば、若者は敬遠し、年配の医師ばかりが残される。「最近の若者は」と愚痴も言いたくなる。これが、若者が敬遠する診療科の別の見方だ。

 胃がん、造血幹細胞移植、そして不妊治療は必要不可欠な医療だ。後世に技術を伝えていかねばならない。そのためには、医師が経験を積めるようにしなければならない。どうすればいいか。

 私は、医療需要が急増する中国などアジアに医師が出ていくか、そこから患者を呼び込むしかないと考えている。

 医療の中心は患者だ。彼らを診療するなら、彼らの望みに応えねばならない。中国人が求める男女の産み分けやPGS・PGDも例外ではない。

 多くの大学病院や公的病院は、日本産科婦人科学会の方針に従い、このような患者を治療するのに及び腰だ。結果として、中国人を診療するのは、「英ウィメンズクリニック」(神戸)や「杉山産婦人科」、「加藤レディスクリニック」(ともに東京)などの民間専門病院に限定されている。

  このような時代の流れに逆行する対応が、大学病院や公的病院の地盤沈下を加速させ、経営状態を悪化させてきた。そろそろ医療体制を日本だけで考えずに、アジア全体に視野を拡げてみたらどうだろうか。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

Foresight 2019年12月9日掲載

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