「アンタッチャブル」復活で思い出す“やすきよ” MVPはザキヤマと言われる理由

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2010年に「長期休養」で暗転

 アンタッチャブルに初めて“メジャーの光”が当たったのは2003年12月。第4回の「M-1グランプリ」(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日系列)に敗者復活枠で選ばれ、最終決戦にも出場を果たした時に遡る。

 そのときで披露したネタが「ファーストフード」。少し内容は違うのだが、「全力!脱力タイムズ」でも同じネタを選択した。ひょっとすると再起という特別な瞬間に想いを込めたのかもしれない。

 圧巻だったのは翌04年の第5回。優勝候補と目され、プレッシャーとの戦いが注目を集めた。しかしファーストラウンドで「お父さん 娘さんを僕にください!」を、最終決戦では「息子の万引き」を熱演、圧倒的な強さを見せつけた。

 何しろ前者の場合、7人の審査員は全員、「出場した全ての漫才師の中でアンタッチャブルに最も高い点数」を付けており、これは現在までもM-1史上で唯一の出来事として記録に残っている。さらに、この時に獲得した673点も歴代の最高得点だった。

 最終決戦では南海キャンディーズと麒麟の2組と優勝の座を争ったが、審査員は1人を除いて6人がアンタッチャブルに投票。終わってみれば、文字通りの圧勝だった。

 審査員の高い評価を裏付けるように、アンタッチャブルの快進撃が始まった。読売新聞が05年10月31日に掲載した記事「番組司会者に出世 アンタッチャブルが止まらない 『M-1』覇者、快調トーク」は当時の雰囲気を伝えている。

 記事は《レギュラー番組10本を抱える人気者。漫才コンテスト『M−1』グランプリ」で優勝した後も、勢いが止まらない》とのリードから始まり、《この腰の低さと押し出しの強い芸風がある限り、2人の快進撃は続く》と結ばれている。

(註:引用に際してはデイリー新潮の表記法に合わせた。また当時の年齢や写真説明など、一部の表記は割愛した。以下同)

 しかし、好事魔多し。2010年1月31日、スポーツ紙など芸能メディアは柴田が芸能活動を無期限休養すると報じた。突然の発表に、どのスポーツ紙からも混乱が伝わっている。その中でもスポーツ報知の「アンタッチャブルの柴田英嗣が長期休養へ」をご紹介しよう。

《お笑いコンビ「アンタッチャブル」の柴田英嗣が、2月から長期休養することが30日、分かった。休養の理由について女性問題説や病気説が出ているが、所属事務所は、詳細を明らかにしていない。

 多くのレギュラー番組を抱えているが、「クイズプレゼンバラエティー Qさま!」(月曜・後8時)「いきなり!黄金伝説。」(木曜・後7時)に出演するテレビ朝日は「事務所の意向で、お休みを頂きたいと最近、連絡を受けました。理由は把握しておりません」としている。

 当面は、レギュラーを務めるTBSラジオ「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」などは、相方の山崎弘也一人で活動していくという。

 2人は04年のM-1グランプリで優勝。バラエティー番組を中心に活躍する売れっ子。柴田は07年2月に元ダンサーの妻との離婚危機が報じられている。同年12月には急性肝炎で入院したこともある》

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