パワハラ指針、国が決めること? 思考停止を招くマニュアル信仰の害

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殺伐とした職場

 評論家で、西武ホールディングスの社外取締役を務める、大宅映子さんも言うのだ。

「本来は、何がパワハラなのか、企業や個人がきちんと考えるべきこと。お上がこんな指針を作ること自体が間違っています。学校に校則ってあるでしょ。スカートは膝下何センチまで、前髪は何センチまでって決める。あれは子どもだから数字を定めているだけ。『場にふさわしい服装をしなさい』とだけ言えばそれぞれが適切に判断することが出来る。それが大人のやり方なんです。今回の指針は校則と一緒。自分で考えさせず、他人が決めたマニュアルに従わせるのでは、思考停止を招く。幼稚なことだと思います」

 考えてみれば、最近の「働き方改革」もそうだった。本来、生産性の向上や、多様な働き方の選択といった、包括的なテーマを論じるべき「改革」だったが、蓋を開けてみればいかに労働時間を短縮するかという、単純でわかりやすい話に逃げてしまった。

 あるいは、「少年法」や「差別語」を巡る議論も同じだろうか。20歳未満であれば、どんな凶悪犯罪に手を染めても匿名。20歳を超えれば軽微な罪でも実名報道。ある特定の言葉があれば、すべて差別。文脈をまったく考えず、「言葉狩り」をする。マニュアル信仰、思考停止状態だが、パワハラを巡る議論もその恰好の例となっているのである。

「ルールを作って、何かを防止しようというのは、欧米の真似事ですよね」

 と言うのは、大阪大学大学院元助教授(心理学博士)で、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏。

「欧米は、法が整備され、それに触れたらアウト、触れなければ何をしてもOKという価値観です。契約社会と言ってもよい。しかし、日本の社会は違う。法に触れなくても、見苦しいこと、卑怯なことはしない。口約束を守るという規範がある。言うなれば、間柄の文化ですが、そうした文化が破壊されていく。パワハラとはこれだ、みたいな例示をすることで、あくどい人物はその網の目を潜り抜けようとするし、善意の人を萎縮させる。日本であれば、それぞれの企業が人間関係や社内のコミュニケーションを良好にしていくことで問題を生じさせないようにしていくのが解決の近道でしょう。ルールを決めて、それに倣え、では、殺伐とした職場を作るのではないでしょうか」

 当の厚労省に尋ねると、

「パワハラについては、セクハラやマタハラに比べて線引きが難しいという議論があり、とりわけ適正な指導との区別がつきにくいという声があった。また、労政審議会でも、使用者側、労働者側双方から明示するのが適切との建議が出ました。そこで、過去の判例や実態調査を参考に指針を作成しました」(雇用機会均等課)

 となれば、上から、だけでなく、現場からもマニュアル化の要請があったということか。まさに他人任せ。責任放棄の思考停止状態だ。幼稚化、ここに極まれり、である。

「うちの娘がまだ小さかった頃にね」

 とは、前出・大宅さん。

「門限を夜の11時にしたら、10時58分に帰ってきたことがあり、注意したことがあります。私が門限を決めたのは、早く帰ってきてくれれば、家族に迷惑もかけないし、一緒にご飯を食べることが出来るから。形ではなくその根っこの部分が大事なんです。パワハラ対策も同じですよ」

「答えの安売り」を求める社会の劣化。

 果たして、そうしたマニュアル化への逃避こそが、人間存在に対する壮大なハラスメント、とは言えないだろうか。

週刊新潮 2019年12月5日号掲載

特集「マニュアルで安心!? 自殺者続出でお上が『パワハラ』指針という愚の骨頂」より

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