母・松田聖子と同じ失敗はしたくない…? 神田沙也加があまりにも正直に離婚報告したワケ

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「子どものことで折り合いがつかず」離婚した神田沙也加。「生きてきた環境の中で持った考えを変えられず、彼を幸せにすることが出来ないと思いました」という離婚発表の一文に、母・松田聖子の奔放な恋愛遍歴が落とした影を見る人は多いだろう。

 2世タレントはどうしても、人生を世間に「答え合わせ」されながら生きていく宿命にある。親がああいう風だからこうなった、あるいは、親があんなに偉大なのにこの子ときたら、という論調にさらされがちだ。

 沙也加の離婚についていえば、冒頭のあの文章こそ、聖子や聖子込みで見る世の中に対する申し立てのように思う。沙也加は幼い頃、聖子の娘ということでいじめにあっていたようだ。デビュー時には親の七光りとバッシングを受けている。そうやって良くも悪くも「あの親だから」と言われ続けた彼女が、「だからこそ、まじめにきちんと考えて生きています」という宣言のようにさえ感じられるのだ。そもそも離婚理由なんて、本当のことを言う必要はない。性格の不一致や仕事でのすれ違いなど、言いようによってはいくらでもぼかすことができる。それなのに、なんとも真面目に答えたものだと、痛ましさすら感じた。でも「聖子の娘」だからこそ、のらりくらりとした理由では「あの親にしてこの子あり」と世間は言うものだと考えていたのではないだろうか。ちなみに全文を読むと、自分の仕事だけでなく夫・村田充の舞台や関係者への影響を考えて、報告のタイミングを控えていたと明かされている。ちゃんとしていたい、という想いが強すぎるほどに色濃くにじみでていた。

 なお離婚と同時に新しい恋人の報道もあったが、こちらも夫には報告済みだという。実際に村田も、男性の存在が離婚理由ではないと明言している。浮気相手から暴露本を出された母親の轍は踏むまいと、やはりここも丁寧に説明とケアをしていたのではないだろうか。

 ちなみに当の聖子はもともと結婚に反対していたとされ、結婚式にも招待されなかったという報道があった。一方で父親の神田正輝とは夫婦で写真を一緒に撮ったり、良好な関係と言われている。今回の離婚においても、神田正輝の影響を挙げる声はほとんど挙がらない。一方で、私が思い出したのは沙也加が芸能界の「母」と慕う大地真央である。

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