少女連続監禁事件容疑者、祖父は「安倍晋太郎元秘書」父は「医師国家試験に受からず自殺」

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晋和会の秘書代表

 資産家だったという仁士の祖父は安倍晋三首相の父・晋太郎元外相の秘書だった――。

 これは、伊藤家について取材をする中で遭遇した驚きのエピソードである。先の叔父にこの点を尋ねると、

「仁士の祖父は五十男(いそお)と言います。会社員です。確かに安倍晋太郎さんの秘書は10年ほどやっていました」

 会社員? 10年ほど秘書? ならばと安倍家と親交のある元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏に聞くと、

「伊藤五十男ですよね。安倍家は親族が少ない分、秘書がしっかり支えていました。当時の安倍陣営の拠点は永田町のTBRビル5階の『晋和会』、同6階の『晋友会』、そして赤坂のホテルニュージャパンの隣にあったビルの『安倍晋太郎後援会』。それぞれ古参の私設秘書が取り仕切っていて、最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員? う~ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」

 その息子、つまり仁士の父親については、

「確かに愛知医科大に入りましたよ。当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が2人そこに入学します。そのうちの一人が伊藤五十男の息子(仁士の父)です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、いろいろあって自殺されたと聞いています」(同)

 仁士の叔父は事故死だと言っていたが、自殺?

 実際、大学の卒業生名簿に当たってもその名は見つからず。濱岡氏が挙げたもう一人の秘書の息子は1期生の卒業者として明記されているのだが……。同期の面々に取材すると、複数が、

〈確かに入学して机を並べたものの、途中で姿を見なくなった。在学中に自殺したようだ〉

 と答えた。さすがにそれでは仁士の年齢と平仄が合わないが、その後の取材で、仁士の父は85年卒だとわかった。卒業同期に聞くと、

「いたのは覚えていますが、かなり歳が離れているので、周囲とほぼ会話はありませんでしたね」

 亡くなったのは卒業の3年後である。入学から13年間をどう過ごしたのか。ともあれ、父の死が仁士にもたらしたトラウマは如何ばかりだっただろう。

 再び、片田氏の分析。

「容疑者が孤独であったことも今回の犯行に至った要因だと考えられます。容疑者は、“茨城の女子の話し相手になってほしかった”と言い訳していますが、まんざら嘘でもないと思います。ただ、話し相手が欲しかったのは自分ではないでしょうか。新潟少女監禁事件の犯人である佐藤宣行も“かけがえのない話し相手だったので、解放することはできませんでした”と供述しました。容疑者も、15歳の女の子がかけがえのない話し相手だったのでしょう」

週刊新潮 2019年12月5日号掲載

特集「摩訶不思議な『少女連続監禁事件』犯人は『安倍晋太郎元外相』金庫番の孫だった! 奇妙な共同生活を生んだ『被害者の家庭環境』」より

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