言動の過激化は落ち目のサイン(古市憲寿)

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「落ち目の時ほど過激になる」という法則がある。

 たとえば政治がわかりやすい。自民党は2009年から2012年の野党時代、中々挑戦的なことを言っていた。当時発表された憲法改正草案には「国防軍」の創設や「表現の自由」への制約など、ナンセンスな言葉が並ぶ。今も草案は自民党のウェブサイトに掲載されているが、与党復帰後はあまり本気で議論された様子はない。

 野党は責任がない分だけ自由なことが言える。過激な発言をしないと注目が集まらないという事情もあるのだろう。

 最近もツイッター上でこんなことがあった。

 タレントのつるの剛士さんが、「政治家の皆さんにお願い」として「台風の被害で被災された地域の方々が大変な生活を強いられています。くだらないことに大切な時間を使ってないで来年の春に桜を見せてあげてください」とツイート。野党が桜を見る会の批判にばかり熱心で、台風の復興支援がおろそかになっているのではとの危惧からの発言だろう。

 それに対して国民民主党の元総務大臣のある議員が反応したのだが、さも炎上狙いのようなツイートだった。そんな「タレント」に言われずとも災害支援はしている、「劣悪番組を垂れ流す電波利権専有問題も追及します」というのだ。

 正確な意図が取りにくい発言だが、「タレント」や「タレント」を使うテレビ局に圧力をかけたかったのかも知れない。もしも総務大臣時代にこんな発言をしていたら大問題になったはずだ。だが彼も今や一介の野党議員。世間の気を引くのに必死なのだろう。

 落ち目の過激化には、一部の支持者の意見を聞きすぎてしまうという要因もある。人気の落ちた人を応援してくれるのはよっぽどのファンだ。意見が偏っていることも多い。そのファンに媚びるほど、余計に王道から逸れ、落ちぶれていくケースをよく目にする。

 政治に限らず、歌手や作家も同じだ。マニアックなファンの声に耳を傾け、大衆からズレていったアーティストは多い。もちろんアーティストがどんな人生を歩むかは自由だ。ごく限られたファンと共に自分の世界を探求する道もあるだろう。

 一方、長年第一線で活躍している歌手はそれとは真逆の行動を採ることが多い。

 かつてこの連載で中島みゆきさんを「タイアップの女王」と書いたことがあるが、最近は山下達郎さんのことを密かに「タイアップの王様」と呼んでいる。

 山下さんは現在放映中のキムタク主演のドラマ「グランメゾン東京」の主題歌を担当しているが、タイトルは何と「RECIPE(レシピ)」。ド直球である。歌詞もドラマの内容に寄り添ったものだ。かつては広告代理店の要求を全て呑んで「I LOVE YOU」の3語だけで作ったCMソングまであった。本当の作家性とはタイアップくらいで失われるものではないのだ。

 言動が過激化してきたら落ち目のサイン。というわけで今回のエッセイも「原口一博やばいな」とか書かずに穏当に終わろうと思う。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年12月5日号掲載

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