小路明善(アサヒグループホールディングス株式会社代表取締役社長兼CEO)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】
経験値が通用しなくなる
小路 これからは経営陣だけでなく、企業人に求められる資質も変わってきます。VUCAの時代には、経験値が通用しなくなる。これまでは前から弾が飛んできたら、衝立(ついたて)を前におけばよかった。
佐藤 雨が降ったら傘を差した。
小路 でも弾が横から飛んでくる、雨が横から吹き付けてくるなら、これまでの衝立や傘は役に立たない。今は前例踏襲主義が通用しなくなってきています。だから、まず自ら考えて、自らが前例になるようなことができる人材が必要になってくる。
佐藤 考えてみると、スーパードライはまさにそういう発想で生まれた商品ですよね。
小路 そうです。弊社は、スーパードライで百八十度、社内風土、企業規模、経営方針、経営ビジョンが変わった会社です。1987年、今から32年前に販売を始めましたが、その前の経営者、商品開発部門はもう打つ手がなくなっていた。
佐藤 当時はキリン一強でした。
小路 キリンさんのラガービールはシェアが半数以上あって、私たちはキリンさんの味にどう近づけるか、ということばかりやっていたんですね。でもあるマーケッターが、結局キリンさんの味に近づけたって、キリンさんを飲めばいいのであって、アサヒを飲む理由にはならない、もうちょっとベースの部分、消費者のニーズや食生活の変化を調べてみようと言い出した。それで色々な調査を重ねてみたんです。その結果、トップブランドの物まねではなくて、独自商品にチャレンジしていこうとなった。
佐藤 綿密な調査があったんですね。
小路 ええ。5千人に試飲調査をしました。もう社運をかけていましたので。
佐藤 その頃、アサヒは「夕日ビール」なんて呼ばれていたんですよね。
小路 ええ。たぶんスーパードライがうまくいっていなければ、アサヒという会社は単独で存続するのが難しかったのではないかと思います。大衆消費財、日用消費財は、シェアが10%を切ると見向きもされなくなってしまいますから。
佐藤 10%というボーダーラインがある。
小路 10%が生き残りの損益分岐点と言われています。そうなったら例えば10店に1店です。置いてあっても目立たないし、他では棚から消える。結局、企業として存続が難しくなっていきます。弊社はそのラインを一時的に切りました。そんな中で、今申し上げた考え方をベースにスーパードライを出して、爆発的な人気を博していったんです。
佐藤 日本の食生活にもマッチしました。
小路 日本の食事が洋風化して、重いビールよりはさっぱりしたビールが好まれるようになっていた。街ではイタリア料理店が増え、ファミリーレストランやファーストフードがどこにもあり、家庭でも食事が洋風化していました。また、若い人から見ると、当時のビールはおじさんの飲むもので魅力がないということもわかりました。だから食事に合う、キリッとした苦味を抑えたビール、それも若者にカッコよく飲んでもらうビールということをコンセプトに銀ラベルのスーパードライを作った。
佐藤 若い人たちから広がっていったんですね。
小路 ええ、若い人がターゲットでした。50、60代の人たちは、既存ビール以外は受け付けないという頑なさがあった。当時のCMには国際ジャーナリストの落合信彦さんに出ていただき、グローバルにアクティブに活躍する方が飲むというイメージを作り出した。
佐藤 まさに前例のないところに前例を作った商品だったわけですね。
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