中曽根康弘元首相を偲ぶ レーガン大統領が署名した「最高機密文書」で読み解く日米関係
金丸信の書簡
やがて80年代も半ばに入ると日本の政界は大きな転換期を迎え、それが政権運営に思わぬ影響を及ぼしていく。田中派の分裂である。85年2月に竹下登が政策研究を名目に創政会を立ち上げると金丸信や小沢一郎らが相次いで参加し、同時期に田中元総理が脳梗塞で入院、「闇将軍」と呼ばれた田中支配の時代は過去のものとなった。
そして世間の関心を集めたのがポスト中曽根で、候補者に安倍晋太郎総務会長、竹下登幹事長、宮澤喜一大蔵大臣の名が浮上した。だが党内の話し合いによる調整は進まずに結局、総理に一任する事が決まった。87年10月に中曽根は後継者に竹下を指名して翌月に新内閣が発足、5年間続いた中曽根政権はこうして幕を下ろしたのだった。
その新政権が発足する直前の11月2日、東京のある有力国会議員からホワイトハウスのハワード・ベーカー首席補佐官に書簡が送られた。差出人は金丸信、竹下政権誕生の立役者である。英文で2枚の書簡から、金丸が世代交代を訴えて米国に竹下を必死に売り込んでいたのが分かる。
「わが国が国際的責任を果たすには国内政治の安定が不可欠ですが、竹下内閣の誕生はそれをもたらすものと信じています。彼は中曽根総理ほど海外での知名度はありませんが、長年国会運営の舵を取った経験がございます」
金丸は中曽根内閣が発足した時、「ボロみこし」と嘲笑った田中派の幹部である。その彼も、大統領と個人的関係を築いて利用した中曽根の手腕は認めざるを得なかったらしい。翌年1月に訪米した竹下は初の首脳会談に臨むが、ホワイトハウスのNSC文書は彼を「国際的な知名度が低く、前任者の存在感や手法と比較されるのを気にする」と記述していた。
ここまで見たように「ロン・ヤス」関係はレーガンの思いつきなどでなく米国の綿密な戦略とシナリオの産物だった。歴代の大統領と側近は米国の国益を第一に考えて周到な情報収集を行い、相手国の首脳の弱み、願望を調べ上げ、必要なら歯の浮くような台詞も用意する。そのシナリオを完璧に演じきったのが俳優出身のレーガンだった。
だが、レーガンが中曽根に対して抱いた親近感と友情は本物だったようだ。それは死後に公開された日記が裏付け、また在任中に彼は中曽根にある極秘の外交工作への協力を要請していた。それが成功するかどうかで国際情勢が大きく動き、米政権の命運さえ左右するかもしれない。
「ロン・ヤス」関係が生んだ陰のドラマ、それは中東でイスラム教武装組織に拉致された米国人人質を救出するCIAの極秘工作だった。(敬称略)
(3)へつづく
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