「年収1000万円」家庭が世間のイメージほど「裕福」ではない現実
「夫の収入で楽をして生きる」というのは少し難しい
「なので、今はなるべく貯金を作ろうっていう方向ですね。うちは基本的には家計は夫が管理していて、2年くらい前に家を買ったのでそのローンや光熱費なんかは全部夫の口座から引き落としされる形で、わたしは月に生活費として11万円もらっています。
子どもの分の貯金だけわたしが管理しているので、そこは先によけちゃって、食費が外食は別で6万円で、雑費は2万。医療費は毎月1万円をストックしておいて、何かあった時に使う感じ。それでも若干足りないこともあって、そこはカードで払わせてもらって。でも、出来るだけ間に合わせるように努力します。
自分の稼ぎはお小遣いにさせてもらっていて、これはだいたい勉強代で消えます。ワークショップの生徒さんは、いろんな方が来るので、もっと知識も増やしたいし、自分の興味がある分野も学びたい。なので、自分が稼いだ分を好きに使わせてもらえるのは嬉しいですけど」
ちなみに外食はファミレスや回転寿司に行くことが多く、自家用車は軽。しかし、東京に住んでいて、車を保持しているということ自体が裕福と取れる向きもあるし、マイホームとして購入した23区内の戸建てのローンを組めるということも“年収1000万”の強みではある。また、食・住のほかにもうひとつかかるのが子どもの教育費だ。それについては、恵里菜さんはどう考えているのだろうか。
「わたしは、子どもが私立の中学校に進学してもいいと思ってるんですが、夫はなるべくお金を使いたくないっていうのがあるみたいですね。でも、何より子ども本人がまったく行く気がないっていう。もともと、あまり闘争心が強い子じゃないし、楽しく生きたいっていうようなタイプの子なので、本人が行きたいところに行けばいいんじゃないって。
それに、うちは夫もわたしもずっと公立だったので、お受験とかよくわからないんですよね。お受験がなくても、なんとかここまで来れたので、しなくてもよくないかっていう考えもあって。海外赴任中にそれこそ、優秀な学校を卒業した、いわゆるエリートの人と出会う機会があったんですけど、お話していてあまり楽しい感じじゃないというか……そういうのもあって、『わざわざ私立に行かなくてもよくない?』っていうのが彼の中であるみたいで。
わたしも駐在中に、奥さんに不条理に当たっている旦那さんとかを見ていると、『そういうルートを通るとこういう人になっちゃうのかな?』っていうのが若干あって。一緒くたに見ちゃいけないのもわかってるんですけどね。でも、浮き沈みが激しい世界で、途中でドロップアウトするとかもあるし、登校拒否になった人とかでも、40歳くらいになったらそれなりに生きてるよねって。
そういうことを考えたら、やりたいことに集中して、もっと楽しいことをしたいとか、将来こういうことをしたいからこっちに行きたいとか。そういうふうに育てたほうがいいなって思っています」
こうやって話を聞いているうちに、なんとなく“夫の年収が1000万”という暮らしがつかめてきた。働き方や子どもの教育、住む場所や、今夜の夕食をいくつかの選択肢の中から選び取ることが出来るのだ。
もちろん、選ぶ権利は、誰にでも当然ある。けれど、実際は選べない状況にある人も多い。働かなくては生活が立ち行かないから働き、高等教育を受けたくても断念せざるを得なく、夕食の献立は冷蔵庫の中身から捻り出さなくてはならないし、貧困の度合いによっては「食べる」という選択肢が取れない場合だってある。
“夫の年収が1000万”が、裕福か、さほど裕福でないかはさておいて、“選択肢のある暮らし”であることは間違いがない。では、その中で、恵里菜さんはなぜ“働く”という選択肢を取ったのかを、最後に尋ねた。
「年収1000万があったとしても、それは夫の収入。少額でもいいから、わたしはわたしの収入が欲しいからですね。年収1000万は、都内で暮らすにはそれほど裕福ではないけれど、給与所得者の数パーセントしか得られない収入なだけあって、手に入れるにはそれぞれの方にそれなりの苦労があります。その苦労を見ている妻の立場で『夫の収入で楽をして生きる』というのは、少し難しいなと感じます。
これまでに『なんでも好きな事をしてていいから、僕と結婚してください』と乞われて結婚されたという女性の方に、二人だけお会いしたことがあります。ひとりはお相手が老舗レストランの社長さん、もうひとりはヨーロッパの貴族の方でしたが、お二人とも『夫の収入で楽をして生きる』というようなことは全くなく、ご主人を尊敬して暮らしていらっしゃる感じを受けました」
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