フジ「世にも奇妙な物語」が原点回帰 「恋の記憶、止まらないで」でSNSは阿鼻叫喚

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 1990年4月からレギュラー放送が始まった「世にも奇妙な物語」は、1989年10月スタートしたその原型「奇妙な出来事」を含めると、今年でちょうど「30歳」になる長寿番組だ。

 毎回4~5本の“世にも奇妙な話”がオムニバス形式で放送される形式の同番組としては、その一本一本の面白さが勝負となる。

 ここ数年は残念なことに「以前のような面白さが感じられない」「パワーダウンしている」などと言う声が、ネットなどを中心によく見聞きするようになった。初期の頃から「世にも奇妙な物語」を観ているこのシリーズのファンを自認する人たちの間にも、そんな感想が散見される。

 ところが、先日11月9日「世にも奇妙な物語」放送された中に、近年の同シリーズ中でも「これは傑作かも」と素直に思える、とんでもなく面白い(コワい)作品があった。

 それが二話目にあった「恋の記憶、止まらないで」だった。

 あらすじをごく簡単に紹介するとこうなる。

 昔のように曲を作ることが出来ず焦りを感じているシンガーソングライター・村瀬志保(斉藤由貴)。新曲が思い浮かばない志保は曲作りをしながらうたた寝をした時に流れたメロディーが気になり、その記憶をたどりながら新曲を作るとそれが久々にブレイクする。ある夜、自宅で志保は夢の中で聞いたメロディーがかつて幼少期に自分が出演していたテレビ番組のCMソングだったことを知り、知らぬ間に盗作をしてしまったことに気づく。そして、その元歌を歌っていた人は既に亡くなっていることを知り…。

 後日再放送やDVDやFODなどで観る方もいるだろうしネタばれになるのも悪いのでこれ以上書けないが、これだけ読んでも「どこが面白いのかコワいのか」伝わらないだろう。けれど、この「恋の記憶、止まらないで」は本当に怖かった。

 この作品を観た直後、「昔観たなんかの感じに似ているな。なんだっけ?」と私は思っていたが、すぐに思い出した。

 結構昔の作品になるが、やはりフジで1995年に放送された「リング」の視聴後感と似ていたのだ。脚本を飯田譲治氏らが担当し、原田芳雄と高橋克典などが出演していた、あの「リング」だ。

 その後「リング」は映画になったりハリウッドでリメイクされたりといろいろ映像化され、その度私もほとんど観てきたが、私にはこの「リング」が中でもダントツにコワかった。

 この「リング」の演出家、脚本家、出演者は「人間は普遍的に何を怖いと感じるのか」の一点だけを凝視してこの作品を作っていたように、私には思えた。

 今回の「恋の記憶、止まらないで」もこれと同じで、「世にも奇妙な物語」シリーズによくある“見たことのないシチュエーション”や“奇想天外なストーリー展開”などの派手さはない。と言うより、寧ろそうした“目先のもの”を逆に排除し「人間がコワいと思う本質でごりごりに固めた」作品だった。

 フジテレビ「世にも奇妙な物語」公式サイトを見ると、主人公を演じた斉藤由貴も「注目のシーンは?」という質問でこんなふうに答えている。

「見て下さるお客様が、本当に怖がる“王道のポイント”というか“要素”が随所に散りばめられていて、限られた分数の中ですが“ホラーはこうでなくちゃ!”という構成になるのではないでしょうか」

 案の定というかやはりと言うか、「恋の記憶、止まらないで」放送終了後から翌日くらいまで、SNSでは“この作品がいかにコワかったか”にまつわる阿鼻叫喚で溢れかえった。例えばTwitterで「世にも奇妙な物語」を取り上げたツイートのうち、私の感覚では7割以上が「『恋の記憶、止まらないで』はヤバかった」という主旨のものだった。

 ついでに紹介すると、この作品に登場する“既に亡くなっている元歌を歌っていた人”「宮島素子」のツイッターアカウントが番組終了後、すぐに立ち上がってしまうという“暴走ぶり”も見られた。このアカウントはフジとは無関係のもののようだったが、なぜかすぐに「凍結」されてしまったようだ。

 今回の「世にも奇妙な物語」で非常に印象深かった点がもう一つある。

 二話目「恋の記憶、止まらないで」の一つ前の作品、杉咲花が主役を演じた一話目の「鍋蓋」は、「(作品中そうは言ってはいないが明らかに)Amazonと人工知能」をテーマとした極めて“今っぽい”テーマを持つ作品だった。杉咲花の演技力もありこれも結構おもしろい作品ではあったが、どちらかと言うと今までの「世にも奇妙な物語」らしい作品ではあった。

 一話目にこうした“今っぽい”テーマを持つ作品を持ってきて、二作目で“人間が普遍的に何をコワい”と感じるか、つまりは時代には囚われず人間そのものをテーマにした作品を持ってくるあたりに、私はフジのドラマ制作の凄みというか迫力を感じるのだ。

 それは、自分らが持つ高いエンタテインメント制作能力を前面に打ち出すことによって、「餅屋は餅屋。自分らはやはりこれからもこれで勝負していくぞ」というメッセージのようにも写った。

 メディア環境の激変やSNSが持つ影響力の巨大化の渦の中で、この「世にも奇妙な物語」シリーズもいろんな仮説と実験を行い、そして今まで迷ったりもしていたのではないのかと思う。

 例えば、2015年と2017年、二度にわたって「ががばば」という企画作品が放送された。このストーリーと連動する形で「“ががばば”という言葉をネットで検索すると、恐ろしい映像が出てくる」という“実験”を行い、たしかに当時そこそこ話題にはなった。しかし、こうした形でネットコンテンツと連動しても、それはやはり一過性のものに過ぎないものだった。今から思えば、それは確かにフジの考えた新たな仮説であり実験ではあったが、同時にそれは迷いでもあったのではないのかと思う。

(参考記事)
・絶対に検索してはいけない単語“ががばば”「世にも奇妙な物語」でまさかの復活 2017年10月
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/13/news133.html

 今回の「鍋蓋」から「恋の記憶、止まらないで」へと続く『世にも奇妙な物語』を観ると、そうした“迷い”を吹っ切り、原点である「テレビドラマ制作」そのものに立ち返ったように私には映る。

 そして、それは日テレが日曜夜10時半のドラマ枠で「3年A組」「あなたの番です」「ニッポンノワール」へと続く作品の中、それぞれがSNSでの反応を常に強く自覚し、さらにドラマ世界を補助するオリジナルストーリーを自社の有料配信サイト「Hulu」(フールー)で配信し、そこへ誘導することでマネタイズすることに舵を切ったのと、実に対比的な光景だと感じる。

“人間にとって恐怖とは何か”そのものに肉迫しようとした「恋の記憶、止まらないで」がそうであったように、今後フジテレビはドラマ制作そのものの質で勝負していくのではないか。今回の「世にも奇妙な物語」を観て、そんな気がした。

尾崎尚之(@YuuyakeBangohan)/編集者

週刊新潮WEB取材班編集

2019年11月25日掲載

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