大学入試の民間試験導入は日本人を「英語帝国主義」の最底辺にする! ネイティブ信仰の罠

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危機に直面しているのは…

 日本語の特性上、日本語話者には英語の発音や聞き取りが難しい。それが反転して、過剰なほどに「流暢な英語」を崇める風潮がはびこってもきた。最近でも、メジャーリーグに移籍した菊池雄星投手が記者会見を英語で行ったというだけで「菊池、英語ぺらぺらですごい!」という見出しが新聞各紙を賑わした。文科省がこの30年ほど掲げてきた「コミュニケーション」という看板は、これまでにも増して純日本的な英会話信仰を勢いづかせ、英語学習の不必要な商業化をまねいた。その背後に「陰謀」があるとは言わないにしても、こうした英会話重視の浅薄なぺらぺら信仰が日本語話者の言語的、文化的な主体性の放棄につながりかねないことは指摘しておきたいと思う。

 ビジネスでもアカデミズムでも、本当に重要な判断や合意は文書を通して行われる。この原理は今後も揺るがないはずだ。オーラル中心のコミュニカティブ・アプローチにも一定の有用性はあるが、あくまで限定的だ。偏ったアプローチは早晩時代遅れとなる。とりわけネイティブ・スピーカーを理想として崇めるような言語観は、日本人の英語学習にとっては障害にしかならない。それに付随する過剰で歪んだ帰国子女幻想やインターナショナル・スクール信仰は、バイリンガルどころか、英語でも日本語でも日常会話がせいぜいで深い思考などできないセミリンガルを量産する可能性さえある。危機に直面しているのは、英語よりも日本語なのだ。入試改革の裏にあるのがこうした誤った言語観だとするなら、目先の混乱とは比べものにならない、混沌とした暗い未来がこれからの若者を待ち受けることになるだろう。

阿部公彦(あべまさひこ)
東京大学文学部教授。1966年生まれ。東京大学文学部卒。ケンブリッジ大学で博士号取得。大学では英米詩を中心に教えている。著書に『英語文章読本』等の啓蒙書があるのに加え、98年には小説「荒れ野に行く」で早稲田文学新人賞を受賞。

週刊新潮 2019年11月14日号掲載

特別読物「延期ではなく理念の見直しを! 『民間試験導入』は日本の若者を『英語帝国主義』の最底辺に位置付ける――阿部公彦(東京大学文学部教授)」より

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